INTERVIEWS

Interview between Darren Hayman and David Gedge (May 18th, 2008)
原文はこちら

2008年7月26日と27日の2日間、英ダービシャー州を走る1950年代の蒸気機関車用の線路を利用して行われたユニークな音楽フェスティヴァル、Indietracks Indiepop Festivalの初日にヘッドライナーとして出演したTHE WEDDING PRESENT。そのフェスの同じ日に出演した元HefnerのDarren Haymanによるインタビューの抄訳です(2008年5月に収録)。Darren自身がHefner以前の学生時代からTWPとデイヴィッド・ゲッジの大ファンであり、またミュージシャン同士の対話ならではの話題もあって、かなり興味深いテキストになっています。特にバンド運営と音楽ビジネスに対する考察は両者の境遇が似通っている所もあり、同じ様にインディー・ベースでバンド活動した方にとっては身に詰まされるものがあるのではないでしょうか?[last modified : 25th July, 2008 /Japanese translation by YOSHI@TWP-CINERAMA]



ダレン・ヘイマン(以下DH):
いつ、そしてなぜロサンジェルスに移ったんですか?
デイヴィッド・ゲッジ(以下DG):実際にはウェスト・ハリウッドなんだけどね。ロサンジェルスに囲まれている感じのところなんだけど、そこ自体は小さな街なんだ。理由は、何年もイギリスのリーズに暮らしていたんだけど、彼女と別れたものだから、もう離れたくなったんだ。そこにいる誰とも顔を合わせたくなかったしね。それから後に新しい彼女になる人物と出会い...彼女はシアトル出身だったもんで、何年間かはシアトルに暮らしていた。僕らが前のアルバム『TAKE FOUNTAIN』を作った街だね。で、今回のアルバム『EL REY』の曲を書くにあたって、「別の街で書いてみたらいいんじゃないか?どこにいたって自分の仕事は出来るだろ」って思ってね。ギターと紙とペンさえあればいいわけだから。ベーシストのテリー・ディ・カストロも10年間LAで暮らしていたし、彼女とも何曲も共作していたしね。それにあの街のポップ・カルチャーにも魅了されていたからね。


DH:
誰かと曲を書くのって新鮮でした?
DG:いつでも同じなんだけどね。僕が書いた曲でも状況によりけりで、誰かがリフや何やらを思いついたりするし、曲によってもやり方は変わる。でもある程度は、みんなアイデアを出して手助けしてくれてるよ。


DH:
作曲者クレジットに誰の名前を載せるのかって、どうやって決めてます?*1
DG:かつては全て「Gedge」とだけクレジットされていて、それは僕だけが唯一PRS(出版社)と契約していたせいだったんだけど、そのためTHE WEDDING PRESENTに関しては「Gedge」とクレジットされているものは著作権収入もメンバーで分配出来るようにペンネームとして考えていたんだ。でも、ラインアップも変わって、新しいメンバー達は既にPRSと契約していたので、全員の連名にし始めたんだよね。今回のアルバムに関しては半数がテリー、あと半数は新しいギターリストのものだったと思う。今は脱退してしまった前のギターリストのサイモンもだな。


DH:
TWP脱退直後に一度サイモンに会いましたよ。今はドイツのケルンにいるんですよね?
DG:確かそうだった。そう言えば彼、君のギグか何かに顔を出したって言ってなかった?


DH:
いや、僕らが機材を降ろしている時に通りかかったんで、ちょっと話したくらいで。それからそのまま家に帰っていったんで、ギグには来てないと思います。
DG:そっか(笑)。あとそれとドラマーのグラエム・ラムゼイ、彼はマルチ・ミュージシャンなんだけども、彼とも共作している。でも『THE HIT PARADE』時代のギターリストだったポール・ドリントンはその事でちょっと怒っていてね。あの頃、僕らはアート・スリーヴに関しては極めてミニマリストだったから、誰が演奏しているかとか記載していなかったんだ。だから彼は「僕はあの1年間のヒット記録でギネス・ブックにも載ったあのシリーズで演奏しているのに、どこにも僕の名前は載っていないんだ。どこにもね!」って言っててね。で僕も、彼の名前が作曲者やミュージシャン・クレジットにも載っていない事には大変申し訳なく思って。あれ以降、僕らは全員がクレジットされているべきだと思ってミュージシャン・クレジットも載せているし、かつてのミニマリスト時代とは反対に、近作ではメンバー全員の名前をクレジットしている。


DH:
たぶんあなたがレコードを出し始めてから、音楽を買う時に何をポイントに買うのか変わって来たと思うんですよ。僕の場合はレコードを作る時は、アートワークはもっとミニマルで最小限の要素で良いと思っていました。例えばしばらくの間僕はアートワークもやってましたけど、そういう音楽以外の事も手がけましたけど、もし何もかも僕がやったとクレジットしてしまったら、プリンスか何かになったつもりかと思われそうで...「ミックス、作曲、プロデュース by ダレン」みたいなのは僕にはどうも馬鹿げているなって...。
DG:あのHefnerでの一連のカートゥン風のスリーブも君が?


DH:
ええ、全部僕がやりました。
DG:そうなんだ!あれは良いよね。僕はコミック・ブックの大ファンだからさ。


DH:
ええ、でも何かおかしくて。アルバム・タイトルとか最初の何曲かは同時に頭の中でああいうスリーブの絵が思い浮かんだんですけど、例えば今作っているアルバムもそうなんですよ。とは言ってもカヴァーのアイデアはあるんですけど、曲はまだ2、3曲しか書いてないんですけどね...
DG:うん(笑)


DH:
まあそういう風にやってきた訳ですけど、曲そのものがカヴァー・アートに合わないな、と思って嫌になったんですよ。僕の両親にとってはおかしかったみたいですけどね。僕はイラストレーションの学位を持っているから。だから僕のママは僕の作ったCDを「これダレンが描いたカヴァーなのよ」なんて見せびらかしたいみたいで。実際にはそこに入っている曲も全部僕が書いているんですけど。
DG:今まで外部で自分のアートを発表した事も?


DH:
他のアーティストのためにスリーブを手がけた事もあります。
DG:いや、展覧会とかコミック・ブックとかという意味なんだけど。


DH:
まあ、Hefnerのスリーブに関しては全部パソコンでやっていたんで、そういう機会で使えそうなアートワークが無いんですよ。だから売ったり展示したりという事も無くて。今ではスリーブも手描きでやっているので、展覧会は考えてますね。
ところで、TWPの元メンバー達とは今でも仲は良いんですか?
DG:正直に言えばあまり会ってない。仲が悪い訳でもないけれど、直接会わないものだから仲良くしようにもね...。連絡を取る時は、分配する収入に関しての案件が発生した時くらいで。最後に連絡を取り合ったのはSanctuaryから出た『The Complete Peel Sessions』のボックスセットが出た時だな。


DH:
僕も買いました。
DG:あれホントに良いよね?僕が言うのもおかしいんだけど、僕らがリリースしてきたものの中でも一番のお気に入りだよ。


DH:
Hefnerのドラマーだったアントニーが大学時代に僕にTWPを教えてくれたんですよ。アルバムで言うと『Bizarro』の頃だったんですけど、そこから年代順に『George Best』、『Tommy』と遡って聴いて行って。『Seamonsters』の「Dalliance」が演奏された1990年のセッションの事はよく覚えてます。
DG:ああ、あれね。ピールはあのセッションをその年の「セッション・オブ・ジ・イヤー」に選んでくれたんだ。


DH:
アントニーがエアチェックしてくれて、彼の家に行って聴いたのを思い出すんですけど、本当にバンドにとって今が最高にエキサイティングな時で、新たな方向にシフトし始めたな、って思いました。あのセッションがボックスに入っていたのには興奮しましたよ。あれらの楽曲が発表された時、本当に曲そのものが変化したなって思ったんです。
DG:まあ、ピール・セッションを収録するのは製作中の作品の過程を見せるようなものだよね。ピールはまだ未完成の新しいバンドが大好きだったし、彼らにトライ・アウトとデモを作る機会を与えてね。普通ならデモを作る為に身銭を切らなくてはいけない所を、彼らがギャラを払ってくれるんだから素晴らしいよね。だからさっきも言った様に、発売元のSanctuaryから振込があったら、あのセッションに参加した全員にお金が行き渡るようにしたかったんだ。でもちょっとその事に執着しすぎているとも思うけどね。今バンドにいるメンバー以外に友達が本当にいないもんだから。いるとすれば、僕らと仕事をしたミュージシャンとかくらいで。バンドの歴史の中で入れ替わり立ち替わり関わって来た人たちだね。脱退したばかりのサイモン・クリーヴでさえね。本当に彼は最高の友人の1人だよ。でも今はあまり話す事もない。なぜなら、こう言うのは嫌だけど、その必要がないからね。


DH:
僕にとっても全く同じです。Hefnerのベース・プレイヤーだったジョンは、最高の友人ではないにしても、僕がヘレンと結婚した時の立会人でしたから...境遇はあなたのとよく似ていると思うんですけど、ああいう小さな集団ですからね。
DG:よく分かるよ。


DH:
...ツアーに出ている時とかホテルにいる時の話なんですけど、ツアー全体が上手く行っていない時、それでもみんなと折り合いを付けてやっていかなくてはならなくて、でもそれが悲しい結末に終わってしまった事もあったと思うんですけど、僕は最近になってようやく上手く立ち回れる様になったんです。Hefnerの元メンバーたちともe-mailを交わすようになったし、元メンバーのJackも再び加わってくれて。彼は本当に素晴らしいプレイヤーなんですけど、でもHefnerを再結成しない理由はいくつもあって、でも元メンバー達と音楽を一緒に作らない理由は何も無い訳で。
DG:本当にそうだね。僕にとってもサイモン・クリーヴとシネラマに関して同じ事があってね。彼は元々TWPにいて、それからシネラマに加入した。僕はもう何年もそういう場面に立ち会ってきてるけど、小さなグループから人が離れて行くっていうのは奇妙なもんだよね。例えば喧嘩別れするとか誰かに脱退してくれないかお願いするとか、でもそれから新しい人が入って来て、また新たな熱意を抱いたり。でも人はバンドのメンバーたちが以前と同じ様に良好な関係でいて欲しいみたいだよね。で、あの時代のバンドをまた蘇らせて欲しいとかね。


DH:
あなたが書いて来た曲、そして僕の書いて来た曲の傾向ってとても風変わりだと思うんですね。あなたの曲はこれがデイヴィッド・ゲッジの曲だって直ぐに分かります。他の人が興味を持ってくれるかどうか分からないんですけど...
DG:アレンジメントの事だよね?新しいドラマーのグラエムも相当驚いていたからね。彼はドラマーのブログをやってるんだけど、その中で僕らがアレンジに関して本当に込み入った所まで拘っている事に驚かされて、以前の彼の曲はもっと早く作業していたって。結局彼も協力してくれたけど、難しかったみたいだね。確かに、僕は細かい所まで拘りすぎる所があるよ。


DH:
新しいTWPのギターリストは昔の曲で弾かれていたギター・パートに忠実に弾いてます?もしくは弾けてます?例えば「Kennedy」でちょっとアレンジを加えたギター・パートを弾いていたり、みたいな事は。
DG:そんな事訊かれるとは思わなかったな。要するにルールなんてないし、僕がその事で無理強いする事はないよ。サイモン・クリーヴは多くの曲に関して自分自身の解釈を持っていたけど、その事にはクリスが加入するまでは気づかなかったしね。去年のツアーで『George Best』を再現した時は、クリスは昔のレコードで弾かれていたもの、そのまんまで弾いていた。僕にとっては懐かしいだけだから、その事が良いのか悪いのかは判断がつかないけどね。でも時にはもっと発展させなくてはならない事もある。20年経ったら君も考える事があると思うよ。僕らは今ではもっとあの頃の曲を上手くやれる。


DH:
あなたがどうかは分からないんですが、僕は自分が作ったHefnerのレコードをそんなに聴いてないんですよ。最近加入した僕らのベース・プレイヤーに関しても同じ様な事があって、彼はそのレコードを聴いて学習してますから、そうかこういう風な作りだったのか!なんて発見する事があるんですね。そんな事でもないとHefnerの曲がどんなだったかなんて知りようも無くて。最後に弾いたのが自宅だったりしますしね。
DG:確かに。今のバンドはなんていう名前?


DH:
「Darren Hayman and the Secondary Modern」です。ソロであれバンド編成であれ、ライヴにブッキングされる時にややこしくなるんで、バンド名を付けた方が早いと思って。僕はこの名前気に入ってます。一度音楽活動をリタイヤして教師になろうと考えて、実際教員養成コースに進んだんですけど、やっぱりミュージシャンでいる事の方が楽だったんで。で、書かれている曲も大半が学校や教育の事だったんで、バンド名に「Secondary Modern(中学校)」と名付けた、という訳で。
DG:そういうコンセプトか!


DH:
まさに。僕はめったに曲単体では書かなくて、テーマに沿ったシリーズで曲を書く傾向があります。
DG:僕のは全く違って、それぞれの曲はそれだけで独立してるんだ。だから人は今回のアルバムは「L.A.アルバム」と呼ぶんだけど、全てがそうという訳でもなくて。明確に反映させた所はあるけど、その方が面白いと思ったからでね。


DH:
確かに。Hefnerでのセカンド・アルバム以降がそうでした。スリーブやプレス・リリースには載せないまでも、僕にとってのコンセプトも時々あったりしますけど。そのコンセプトを明確にする事もありますよ。時には聴く人にそのレコードの事をもっと知ってもらいたから。
DG:僕らは唯一、ミニLPの『Mini』時にそういう事をやった。車がテーマの作品だったからな。あれはおかしかったな。僕にとってお気に入りのTWPのレコードの1つなんだけど、本当はLPにするべきだったものでね。良い曲ばかりなんだけど、6曲しか入っていないから。


DH:
あれってシネラマ以前の最後のTWPの作品でしたっけ?
DG:最後から2枚目だね。『Saturnalia』があるから。実際たくさんのギグをあのアルバムの時にやって、1997年に一旦休みを取ったんだ。それからシネラマに取りかかった。


DH:
あなたに初めて会ったのもシネラマの時だったんですけど、TWPが永久分解したとは考えませんでした?
DG:そうだね、そう思った。1997年にシネラマを始めた時は、TWPは単に数ヶ月お休みするくらいに思っていたんだけど。それから自分一人でコンピューターやサンプラーやドラムループなどをいじって、今までやった事の無い方法で曲を書き始めた。本当に楽しんだけど、しばらくしたらまたバンドに戻るだろうと思っていたんだよね。でも時が経つにつれ、段々もっとこのやり方を研究して追求したくなったんだ。で結局はソロ・プロジェクトの構想が思い浮かんで、それが後にバンド形態になった。シネラマがバンドになってから、君とも演奏したんだよね。当時思ったのは、今僕がやっている事はシネラマだという事で、またTWPをやるなんて本当に想像も出来なかった。でも僕が間違ってたね!


DH:
今はこうしてTWPをやっている訳で、TWPでもう活動しないなんて本当に想像していたんですか?
DG:まあ自分の過ちから学んで、「絶対なんて事はないよ」と言わなくてはいけないね。シネラマで3枚のLPを作って、4枚目に取りかかった時に、そのサウンドが実際にはTWPに聞こえたから、TWPになった訳でね。もう何度も話して来たストーリーだけど、シネラマで最後のピール・セッション*2を収録した時に、担当エンジニアが「デイヴィッド、こりゃあもうWedding Presentだよ!今君はこれをシネラマって呼んでるけど、どこにもストリングス・カルテットもフルートも入っていないじゃないか!」って言ってね。それでようやく分かったんだ。The Wedding Presentに聞こえるんなら、なんでこれをそう呼ばないんだって。そこに聞こえるギター・サウンドにシネラマのレコードだと思って買った人たちをがっかりさせたくなかったし、反対にTWPのファン達も逃したくなかった。TWPのファンの多くはシネラマを嫌っていたからね。単なるラベリングの問題だよ。Hefnerでも似た様なこと無かった?


DH:
ええ、ありました。僕に関しては最後のHefnerのアルバムを作った時に、僕にしてみればHefnerはもうギター・バンドとは呼べないものになったと...。今度お聞かせしますけど、エレクトロニックな作風になっていて、ファンからのリアクションもあまり良く無くて。いずれにしても僕はあのレコードはそんなに良く無いと思ってますが。
DG:バンドの他のメンバーはどう思ってた?


DH:
ある意味ではバンド内でのコラボレーション的なレコードだったんですよね。僕はベース・プレイヤーのエレクトロニック・ミュージックへの興味に注目して、ジャックの個性を出すようにしたんです。たぶんアントニーはあまりやる事なかったんじゃないかな。プログラムされたドラム音が多かったから。思うに、僕にしてみればですがHefnerが25枚のレコードを作るのか、それとも4枚のレコードを作るのかを決定付けた分岐点的な作品だったと思うんです。で、結局4枚しか作れなかった事も決定付けてしまったと。明らかに人は前の作品にあったものに対して執着するし、僕やあなたの立場の人間は出来ませんけど、それが良いかどうかはそのレコードを買った人たちが判断する事で。で彼らは、Hefnerはもっとギター・バンドっぽいと思っていたと言ってきて。だからThe Frenchをやる事に決めて、完全にエレクトロなレコードを作ろうと。その間Hefnerは休止しようと思っていましたが、結局それもやめて、最終的に解散しました。
DG:それっていつの話?


DH:
最後のHefnerのアルバムが出たのが2001年、それからThe Frenchのアルバムを作るのに時間がかかってアルバムが出たのが2003年か4年です。僕とあなたのケースの大きな違いは、Hefnerは今ではあの4人のメンバーのバンドとして認識されていて、もし僕がHefnerのアルバムを別のドラマーを迎えて作ったとしたら、人は怒ると思うんですね。結局「銘柄」の問題だと思います。もし仮にドラマーが最初のアルバムで抜けていたら、僕は新しいドラマーを迎えて活動を続けていたと思いますし。でも、あのラインナップで固まっていましたからね。
DG:それは僕の場合とは違うね。『George Best』の時にツアーをした頃、これがオリジナルのラインナップか?何て訊かれたんだけど、もはやいつのラインアップがオリジナルだったかなんて定かじゃないんだよね。ショーン・シャーマンはファースト・アルバムの後に脱退したオリジナル・ドラマーだ。イギリスではたぶん『Bizarro』が一番良く知られてるアルバムだと思うけど、ショーンが叩いていないからあれはもうスタジオ・アルバムではないって事かな。


DH:
ちょっと考えてみたんですけど、TWPはザ・フォールと並んでユニークな存在だと思うんです。でもザ・フォールの場合はマーク・E・スミスが唯一の生き残りで、写真もマーク・E・スミスだけでザ・フォールとなっている。でもTWPの場合はいまだに「バンド」として紹介されますよね。あなたの写真だけでThe Wedding Presentと紹介されているとしっくり来ない、いつも4人が写っている。
DG:君の言う通りだね。僕の意向という訳ではないけれど、僕はそういう方が好きなんだ。


DH:
あなたにとって居心地が良いんでしょうね。バンドとして見られているのは。
DG:シネラマでの場合はソロ・プロジェクトにしたくて、僕はバンドにはなりたくなかったから。でも友達がみんなあれ評判良く無いよって言ってね。バンドにした方がいいよって。とにかくそれからバンド形態になったんだけど。なぜって「The David Gedge band」にはしたくなかったからね。君はどう感じてた?


DH:
まあ、好きではなかったですね。あなたの名前がレコードのカヴァーに載っているのも変でしたし。
DG:僕はシネラマ形式の映画を見て、良い名前だなって思ったんだけどね。


DH:
話を戻しますけど、あなたは自分自身では決断できなかったと。Hefnerは終わって、The Frenchも終わって、The Frenchのレコードは僕が作ってきたものの中で最高の作品だったにも関わらずあまり売れず、でも僕にはHefnerを再結成する選択肢があるとは考えてなかった。それをDarren Haymanと呼ぶにはビジネス面で慎重に考えなくてはならなかった。それを何と呼ぼうと、その事はファン離れをさらに進める事になる。
DG:僕もシネラマで5年間活動した後でさえ「あなた、今このシネラマってバンドで活動してるんですってね。」っていう手紙をたくさんもらったよ。


DH:
その類いの話ありますね。僕、先週グラナダでライヴをやったんですけど、空港である男にあって「Hefner大好きです。全部のアルバム持ってます、ライヴも5回みましたよ」って。
DG:で言うんだろ?「今何やってるんですか?」


DH:
「名前なんていうの?」って彼は訊いてきましたね...僕はThe Frenchをやった時にHefnerが好きな人が買うだろうって思ってましたよ。僕ならそうしますよ!
DG:ね?でもそれが少数派なわけでね。10%のファンくらいは君の出す物を全て買っていると思うけどね。


DH:
あと実際に話かけてきたり会いにくるファンもですよね。僕はTWPを6、7回見てますけど、一度もあなたにライヴが終わった後に会いに行ったり話しかけたりした事はないです。ただバンドを見て、終わったら家に帰りたかった。たぶん80〜90%のファンがそうですよ。
一番気に入っていないアルバムって何ですか?
DG:George Best』だよ。そうだと思わない?僕はもっと上手く出来てたと思うんだよ!シンガーとしても、ソングライターとしても、アレンジャーとしてもね。『Bizarro』こそ『George Best』がそうあるべきだった姿だったと思う。僕には『George Best』は失敗作に聞こえる。ジャーナリストのアンドリュー・コリンズにもそう話したんだけど、彼は言うんだよね「だからこそ好きなんですよ」って。バンドが何かを成し遂げようとして、でもそれに失敗しているところがいいんだって。でもアーティストの立場では、そんな試行錯誤している所は聴きたくないよね。


DH:
またさっきの話になりますけど、でもアーティストと消費者では違う視点がある訳ですよ。僕はそういう「試行錯誤」作も好きなんです。僕はポール・マッカートニーのウイングスのアルバムの方が好きなんですけど、それはビートルズでの完成されたものより、マッカートニーがしくじっているのが分かるのが興味深いからなんですよ。僕自身はレコードを作る時に失敗はしたくないですけども。
DG:もちろんそうだね。


DH:
去年のツアーで、『George Best』を再現した時に、どうやってリハーサルなどの調整をしたんですか?
DG:レーベルのサンクチュアリがアルバムの20周年記念の再発盤*3を出す事を提案してきて、アルバムをツアーでまるまるやったら宣伝になって面白いんじゃないかって言ったんだよね。今や多くのバンドがやってるから流行っているよね。僕はあまりノスタルジックな事は好きじゃないんだけど、友達やスタッフは「いいじゃん、やりなよ!」って薦めてくれてね。


DH:
いつもよりオーディエンスも集まったんじゃないですか?
DG:2005年にTWPとして戻って来た時に、少しは増えたとは思うけどね。でもまたそれから少しずつ減って行って、去年の『George Best』20周年ツアーの時にまた増えた。24歳くらいの頃から、ほとんど忘れてしまっていたものを20年ぶりくらいにやるのは面白かったね。


DH:
George Best』の事はあまり良いアルバムとは思ってないようですけど、ツアーで再現してみて少しは好きになりました?
DG:曲そのものはOKだと思うし、ライヴ向きでもあった。あのアルバムの音が嫌いなんだ。その自分内での評価は変わらなかったよ。*4


DH:
その意見には同意します。『Bizarro』も、『George Best』から『Seamonsters』に向かう途中経過のように思えます。そこからの発展は素晴らしかったです。『THE HIT PARADE』シリーズも『Watusi』も。
DG:Watusi』はシネラマのレコードみたいだね。極めてポップだし。


DH:
Watusi』が出た当時、僕は陪審員をやっていたんですよ。毎日あのアルバムを聴きながら裁判所に通ってました。
まあ、たった2つの事件しか関わりませんでしたけど。たぶん2週間くらい続いたんじゃないかな。今よりももっと真剣に考えていましたね。僕も若かったし「厳正にやらねばならない!」なんて思ってましたから。
DG:映画の『十二人の怒れる男』の登場人物みたいに?


DH:
まさにそんな感じです。ある事件ではみんなが「彼がやったんだ!」なんて言ってるんだけど、僕とあとたぶん他に二人くらいが「それはどうかな、証拠を見てみなよ」なんて議論して。
DG:(笑)
話は変わるけど、デジタル配信についてはどう考えている?


DH:
ダウンロード販売とかですか?
DG:僕らはアルバムのからの最初のシングル「The Thing I Like Best About Him is His Girlfriend」をダウンロード販売だけにしたんだけど、「僕は所有出来るTWPのシングルが欲しいんだ」なんていうファン達からのメールをたくさんもらったもんでね。


DH:
僕はその事には関心持てないんですよ。持とうとした事もあったんですけど。
僕はこれまで、何年も探していたら、きっとそのレコードを入手出来るだろうと考えていたんですよ。ザ・ビージーズのロビン・ギブの1stアルバム『Robin's Reign』がそうだったんですけど、ある時ロシアのサイトでダウンロード販売しているのを見つけたんですよ。そのサイトにはリリースされなかった彼の2ndアルバム『Swing Slowly Sisters』も掲載されていて。妻は僕がエロ・サイトならまだしもロビン・ギブのレアなアルバムの為にそのロシアのWEBサイトにカード番号を打ち込んでいる僕の姿を見てバカバカしいって呆れてました。まあ数ヶ月後にレコードで見つける事が出来たんで僕はハッピーですけど。
でもこういうのも僕のビジネスの1つなんだよな、と思ってレーベルのCargoにiTunes Storeでのダウンロード販売について話しています。でも、実際ダウンロードで買っている人って少ないでしょ。現実にはしかるべき場所で音楽を買って聴いている人ってごくわずかだと思う。
DG:ダウンロードだけじゃなくて、彼らの友達にCDをコピーしてあげている人もいるからね。でも僕らだってかつてカセットにダビングしていた訳でね。


DH:
僕のライヴを見に来てくれた人が全部CD-Rコピーで僕の音楽を所有していたとしても、その人を怒れないですよ。彼が悪い事をしているのは分かっているし、僕の音楽が盗まれているんですけど、彼に対して怒る訳にはいかない。僕の音楽が好きなんだろうし...
DG:...そうだね


DH:
僕らのやってるこういう事って本来レーベルがやるべき事だし、小規模なものになってしまうけれど、だからといってやらない訳にはならない。僕はただ曲を聴いて欲しいだけだから。
DG:僕が思うに、かつてと同じくらいにレコードを売らないと、間違いなく大変な状況なっているよね。大きなグループにとっては構わないだろう。予算もふんだんにあるんだから。もし新人だったら、ただ音楽をたくさん発表したいだけだろうし、それでも良いと思う。でも僕らみたいな中規模なグループだと、時に全てのセールスに頼らなくてはならないと思うからね。


DH:
あなたは長い間、この音楽不況の中にいると思うんですよ。僕らが活動を開始した頃、こう言われたのを覚えてます。もう数年早かったらこの3倍はレコードが売れてたよ、って。今、The Wave Picturesっていうバンドを手助けしているんですけど、かつてHefnerが受けたのと同じくらいの好意的なレビューとラジオのエア・プレイがあるにも関わらず、彼らには全くお金が入ってこない。
DG:うん。


DH:
インターネットを使った上手いやり方も試してます。新しいレコードを紹介するのって自分にとっては昔と変わらず新鮮な出来事ですよ。デモ・トラックをアップする事もできるし、例えばデンマークのホテルでリハーサルした時に、ドラマーがそれをヴィデオで撮ってて、それをMySpaceとかにアップするのも良いと思うし。
DG:YouTubeも素晴らしいよね。80年代に僕が好きだったバンドって、どんなメディアでもヴィデオが見られなかったようなオルタナティヴ・バンドだったけど、今じゃ全部YouTubeで見られるからね。


DH:
本当に分からないのは、多くの人がなぜ売り上げがあまり見込めないにも関わらず、新しいレコードを出し続けているのかって事ですよ。だからチェリー・レッドみたいなレーベルは僕が何年も再発して欲しかった昔のカタログばかりリリースしているんでしょう。それでもあまり売れないんだろうな。たぶんレコード会社は可能な限り、最低限の収入が得られる程度のレコードしか出さないんでしょう。
DG:たぶんね。かつてCDは17ポンドだったけど、今じゃ7ポンドだ。普通は値上がりするもんだけど、最近じゃ全部安くなってるよね。こんなテレビが今じゃ300ポンドだよ。僕のなんか500ポンドだったけど、性能的にはだいぶ劣る。25年も前のだけどね。古いしデジタル対応じゃないから、もう捨てなきゃいけないのかな。


DH:
そんなに長持ちしているとは!
DG:一度壊れたんだよ。でもその時修理に来た人が「これは本当に良いTVだ!」って言ってね。で、修理してくれて本当に調子良くなったんだ。500ポンドは1988年には大金だったけど、間違いなくその価値はあったね。この手のデジタルの話にも同じ事が言えるのかな。


DH:
アナログとデジタルの話をすると、あなたと同じくらい、僕はスティーヴ・アルビニ作品の大ファンでもあるんですよ。彼ってどんな人なんですかね。
DG:素晴らしい人だと思うよ。彼の仕事に関しては間違いない。新しいアルバムを一緒に録音したんだけど、ちょっと厳しい決断だったね。というのは、前のアルバム『TAKE FOUNTAIN』ではかつて『Watusi』を手がけたシアトルのスティーヴ・フィスクと作ったんだけど、サウンドは素晴らしかったし上手く行った。だからまた彼と新しいアルバムは作るべきだろうけど、でも毎回違った何かにも挑戦すべきだからね。アルビニともう1度アルバムを作る事にはちょっと心配だったけどね。だって僕は『Seamonsters 2』やら何やらみたいなものにはしたくなかったから。でも僕ら自身が以前と全く違うグループになっていたから明らかに全く違うものにはなったけどね。彼がサウンドの鍵と確かな強度をもたらしているように思われているのかもしれないけど、それは彼とレコーディングしたバンドそのものの音だと思う。それぞれのバンドにとってベストな方法を引き出すのが彼の仕事で、そこに何か秘密がある訳でもなく、単に彼が良いエンジニアで昔気質のフル・アナログのスタジオで仕事をしているに過ぎないと思う。本当に素晴らしいスタジオ・ブースとマイクが用意されているのは明らかだよ。
ミキシングも素早い。1曲を1日かけてミックスする様なエンジニアとも仕事をしたけど、一体なんであんなに時間をかけているのか理解に苦しむね。


DH:
Hefnerの2ndアルバムと3rdアルバムでBBCのレディオ・セッションを収録するMaida Valeスタジオのエンジニアと仕事したんですよ。あんなに仕事が速くて、しかもあそこで録ったサウンドは見事だった。2枚目ではMitiと、3枚目ではSimonとMitiと仕事したんですけど、彼らの事ご存知ですよね?
DG:うん、知ってる。そうか、彼らと仕事したんだ。でもあのMeida Valeと古いBBCの機材でどうやってやったんだろ...


DH:
変だと思いません?みんなローリング・ストーンズの昔のアルバムのサウンドがいかに素晴らしいものか知ってて、それがみんな大好きで、まあ、60年代や70年代のレコーディングにもどうしたら凄いサウンドが作れるかの基準はあった訳ですよ。でも今時はスタジオにいったら別々のブースに入って、クリック・トラックに合わせてレコーディングしている。なんでみんな昔のやり方でやらないのか、おかしいですよ。ホワイト・ストライプスがアナログ・レコーディングで定評のあるToe Ragスタジオで作品を作った時にはほとんどアヴァンギャルドな方法だなんて思われたんじゃないですか。ショックですよ!あれこそが真っ当なやり方なのにな。
ところで、どのくらいのペースで曲を書くんですか?
DG:レコードを作って、ライヴをやって、それからまた曲を書くという流れが決まりだから、曲を書いている時はずっとやっているし、とても長い期間になるよね。前のアルバムは2004年から2005年に書かれたものだからかなり長かったね。君の場合は?


DH:
たぶん、アイデアが思い浮かぶのは1週間に1回とかですかね。
人が言うには、僕は多作だそうですよ。この11月にアルバムが出るんですが、もう1枚準備ができています。だから人よりは多く書いているんでしょうけど、時間はかかりますね。それに同時に書ける曲もたくさんある。下書きやら書き直したものやらも。歌詞を書いた本は棒線が引かれたページがたくさんあります。
DG:歌詞と曲は同時に書ける?それとも曲先で歌詞が後?


DH:
まず歌詞のアイデアが先だと思います。
DG:じゃあ僕とは反対だ(笑)。
かつては同時に書いた事もあったけどね。TWPが必要とするレベルのスタンダードになれなかった曲もいくつかあったから、それはお蔵入りにさせて、歌詞や何かいいライミングはないか、十分に時間を費やしてね。その中からフレーズを抜き出して、別の曲に利用してみたり*5...きっと君もやってるだろうけど。


DH:
まさに僕のやってる事ですね。いくつかの曲は、他の曲のフランケンシュタイン方式の作り方で出来ています。
DG:他の人との共作は?


DH:
やってないですね全く。Hefnerのベーシストだったジョンがいてくれたらなと思います。僕が曲を書くと、彼がここを短くして、ここを長くした方が良い、って言ってくれる。この楽器はここで入って来た方がいい、とか。曲の共作者とまでは言えないまでも、その曲をより良い物にしてくれてました。時に、その曲の最上のパートは、彼のもたらしてくれたものだったりしました。レノン=マッカートニーが並んでやりとりしている写真を見ていると、特定の共作者との仕事とはどういうものなのか分からなくなる...
DG:プライバシーが必要だし、書く時には一人の方がいいからでしょ?孤独な仕事だからね。


DH:
自分の曲を他の人が手を加えてより良い方にしてくれる事を別に過小評価している訳ではないんですけどね。
DG:要するに、僕が言いたいのもそういう事なんだけどね。


注釈:
*1:『EL REY』はTWP作品としては久しぶりにデイヴィッド・ゲッジ以外の全メンバーが共作者としてクレジットされた作品であり、内訳はベーシストのTerry de CastroとDavid Gedgeコンビが大半を占める5曲。新ギターリストのChris McConville、新ドラマーのGraem Ramseyとの共作が2曲ずつ、前任のギターリストSimon Cleaveとの共作が2曲となっている。なお、細かい事だが原文中でドラマーのグラエムのスペルが全てGrahamと綴られているのは誤り。
*2:このセッションは2007年に発売されたCINERAMAでは3作目のピール・セッション集『John Peel Sessions : Season 3』に収録。後にTWP名義で発表される当時のライヴでの新しいレパートリーが演奏されている。
*3:結局この再発盤は発売中止になっている。
*4:つい最近耳に入ってきたのだが、実は2008年1月の『EL REY』を録音したシカゴのElectrical Audioスタジオにおいて、何と空き時間を利用して『George Best』をまるまる録音し直したらしいのだ。常日頃からこのアルバムのサウンド面への不満を漏らしていたデイヴィッドにとって、彼の理想に近いライヴ感溢れる形で録られたこの「リヴィジテッド版」はいつどんな形で出るのか?今後に期待したい。
*5:このケースで一番良く知られているのが『Watusi』からの「Yeah Yeah Yeah Yeah Yeah」だろう。サビの部分は1992年のライヴ時に演奏されていた「Yes」という未発表曲で登場し、その後同年のBBC Radio 1 「John Peel Show」のセッションにおいて「Softly Softly」というまた別の未発表曲でも使用され、都合2回“リサイクル”されている事になる。

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