SEAMONSTERS
SEAMONSTERS
REMASTERED
CATALOGUE No.

originaly released in May.1991

TRACK LISTING

1 Dalliance
2 Dare
3 Suck
4 Blonde
5 Rotterdam
6 Lovenest
7 Corduroy
8 Carolyn
9 Heather
10 Octopussy

Bonus Tracks
11 Make Me Smile (Come Up And See Me)
12 Crawl
13 Corduroy [Single Version]
14 She's My Best Friend
15 Niagara
16 Mothers
17 Dan Dare
18 Fleshworld

#11-13 taken from EP "3 Songs EP" [1990-RCA]
#14-15 taken from EP "Dalliance" [1991-RCA]
#16-18 taken from EP "Lovenest" [1991-RCA]

付属ライナーノーツ(日本語訳)

1991年初頭にザ・ウェディング・プレゼントがスティーヴ・アルビニと共にレコーディングを行っているという事を初めて知らされた時は誰かの冗談の様に思えた。
アルビニはザ・ピクシーズの1988年発表の『Surfer Rosa』(Nirvanaの故カート・コヴェインのオール・タイム・フェイヴァリットでもある)を渾身の力でまとめあげ、自らのバンド、ビッグ・ブラックの悪名高きハードコアの師範『Songs About Fucking』を産み出した人物として崇拝されていた。
だからザ・ウェディング・プレゼントのウイリアム・シャトナーについての意味ありげな歌{『George Best』収録の"Shatner"}やその熱心なファンにしてみれば、アルビニとの組み合わせは十分すぎるほど奇怪なものに思えただろう。{*訳注:この箇所、かなり端折りました。原文に忠実に訳せば【ゲッジが"Kennedy"の有名な一節「アップルパイにはもううんざり」をつぶやく時(目撃証言によればグラスゴウ・バロウランズのショーでは実際にアップルパイを持っている奴がいたという)にはいつでもKipling氏[作家のラドヤード・キプリングの事か?]の小さなブランムリーズの宝石をステージ上に降らせる準備が出来る程に十分エキセントリックなものだった。】となる。よく分からないが、まあ簡単にまとめると上記の様になるのではないかと思われる。}

理論上は、そんなコラボレーションが相応しいものとは捉えられなかった。当時ザ・ウェディング・プレゼントが自身の地元リーズのレーベルReception RecordsからメジャーのRCAへと、ジョン・ピールの様な有力な支持者やメジャー嫌いなファン層の敬愛を失う事なく移籍に成功してもなお(考えてみればその新しいレーベルでの最初のリリースはウクライナ民謡のカヴァー・ソングを集めた10インチ・ヴァイナルのミニ・アルバムだったんだよな、信じられない事に)、C86時代〜ギター・バンドが愛情を込めて「ヘナヘナ・ギターポップ」と形容され、全てのファンジンがグラスゴー郊外の街Bellshillで発行され、大抵表紙にはロリポップ趣味のセロファン・テープが飾られていた時代の話だ〜のベテラン・バンドとしか認知されていなかった。

周知の通り、1987年の素晴らしいシングル"My Favorite Dress"が楽々とインディー・チャートのトップ10にランクされていた事などを例に挙げてもわかるように、機は熟しつつあった。
ザ・シャングリラズ{*訳注:60年代のガールズ・ポップ・グループ}の歌が世界中の恋愛に夢中な14歳の女の子たちの移り気な仕草が世界を動かしていることを信じさせたのと同じように、ザ・ウェディング・プレゼントの曲はよくあるありふれた隣のジェーンと近所のケヴィンの間で起こるような話に酷似したドラマを描き出してみせた。
しかも言葉は残酷なまでにシンプルで("My Favorite Dress"にあった有名な「僕らがくるまった毛布には他の誰かの残り香」みたいに)。
そこにメロディアスさが欠けたとしても、彼らの素晴らしいスリー・コードのポップ・ソングの愛はザ・ウェディング・プレゼントの重要な強みであった。だからそこには、そして今でもコンサートでは予期せぬ激情が訪れる。

有害な(そして彼らの場合全く持って不穏当な)“ネオアコ”呼ばわりの恥辱は1989年、TOP40の大ヒット"Kennedy"に続いて発売されたRCA移籍後初のフルアルバムである『BIZARRO』によってようやく過去へと追いやられる所となる。
その2枚のリリースは古のファズボックス特有のノイズをかき鳴らすあのジャカジャカとしたギター・サウンドを神聖なるWedding Presentのスピリットを一滴もこぼす事なく{*訳注:たぶんお酒のSpiritに引っかけた比喩}指し示してみせた。
コンサートでゲッジは愉しげに興奮を引き起こすストロボライトの大渦巻きの中心へ向けて地を這う様なあのサウンドを解き放つ。
プレス連中からさっきまで「新しいスミス」と定義されていた様な曲のリフレインが突如「新しいソニック・ユース」の降臨を宣言したかの様な表情を見せる夜。

『BIZARRO』以降を振り返ってみると、最初のコラボレーターとしてはスティーヴ・アルビニという人選はどうも不安だった。だがゲッジは最近彼の事をこう断言している。「僕らのライヴ・パフォーマンスにおける強烈さを見事に捉える事ができた初めてのエンジニア」であると。
その試運転として『BIZARRO』のオープニング・トラックである"Brassneck"を大胆にも再録音し、新型ハード・エッジ搭載のウェディング・プレゼントは1990年2月にU.K.チャートの24位にランクされる所となった。
そして伝統ある由緒正しきTVプログラム「トップ・オブ・ザ・ポップス」への初見参では、ゲッジはマイクの前で微動だにせず、勝ち誇った様なアンチ・マイク主義を持ってその唇を動かす事を拒否した。

興味深いその抗議行動にも関わらず、結果"Brassneck"はバンドとそのエンジニア(アルビニは「プロデューサー」の称号を使われる事を好まない)双方にとってそれまでの最大のヒットを確保した事で、RCAのお偉いさん方からの抵抗もややあったがその先18ヶ月に渡って一緒に仕事をする事になった。そんなRCAとの調和の取れないパートナーシップが大きな要因ともなって最強のアルバム『SEAMONSTERS』(1991年5月に発売されたバンドの3枚目のスタジオ録音アルバム)がこれだけ長きに渡ってリイシューされないという事態にも繋がった。

アルバム同様に重要なものにこのアルビニとの仕事に連関したえり抜きのシングルたち、"3 Songs EP"(1990年9月・最高位25位)、"Dalliance" (アルバムに続いて5月に発売、29位)、そして"Lovenest" (1991年7月、58位というランクには失望したね)がある。
アルビニとの最初の録音である"Brassneck"収録曲(今回同時にリイシューされる『BIZARRO』で聴ける)や数少ないコンピレーションに提供された楽曲{*訳注:アルビニ録音の"Don't Dictate"のカヴァーなどの事}は例外として、これこそがザ・ウェディング・プレゼントのディスコグラフィーにおいて切望された決定的なアルビニのマスターワークだということだ。

1991年、凍え付くような北アメリカの春が訪れたPachydermスタジオ(人里離れたツイン・ピークスの街を思わせる様なミネソタ州のCannon Fallsにある)でのレコーディングでアルビニが取ったエンジニア面でのアプローチは今と全く変わらない。{*訳注:発売当時はよくシカゴ録音、とされていたこのアルバムだが、実際には当時のアルビニは上記のスタジオで制作する事が多かった様だ。}
時間を掛けて丹念に準備されたマイクロフォンの配置作業(殊ドラムに関して)の後、バンドはプラグをただアンプに突っ込み演奏し、それを記録する。
この『SEAMONSTERS』で取られたプロセスはその2年後に同じPachydermスタジオで『IN UTERO』を録音したニルヴァーナにも用いられているはずである。

アルビニの神業的錬金術はさておき、『SEAMONSTERS』の構造性はゲッジのどのアルバムにも無い不屈の楽曲から成り立っている。
明らかに彼の最もダークサイドにある、被虐性愛の妄想に踏み込んだ、破滅的な背信行為と許し難い痛みを伴う・・・そのムードはアルビニの所業である乱射される悲痛なトーンのギター・サウンドが失恋に打ちひしがれた者を泣かせるまでに引き立てている。
ザ・ウェディング・プレゼントにはままある事だが、この時代のベスト・トラックのいくつかはシングルのB面に収められていた。
"Niagara"{*訳注:"Dalliance"カップリング}はそのリリース以前にライヴ・セットの最後を占める定番となっていたし、このアルバムの“目に見えない”エンディングとみなされるべきだった。{*訳注:ところが実際に“目に見える”エンディングとなっていたケースがある。当時本国から遅れる事半年余りでリリースされた日本盤の『シーモンスターズ』には何の注釈も無しにボーナストラックとして後述の"Crawl"と共にエンディングに違和感無く収められていたので、あたかもこの2曲がアルバムの一部であると誤解されている事も多い様だ}
"Crawl"(今持ってゲッジのお気に入りの1つ、これもライヴでは定番だしCINERAMAのステージで演奏されたTWPナンバーの1つでもある)や怒りに満ちた"Fleshworld"も同様だ。

カヴァー・ヴァージョンの選曲について触れておくのも無駄じゃないだろう。"3 Songs EP"からスティーヴ・ハーリーの"Make Me Smile(Come Up and See Me)" (あの「トップ・オブ・ザ・ポップス」に返り咲き、ゲッジがやる気なさげにリップ・シンクをやる羽目になった)、どちらかと言えば抽象的なジーン・ポール・サルトル・エクスペリエンスの素晴らしい"Mothers"、そしてザ・ヴェルベット・アンダーグラウンドの"She's My Best Friend"・・・今回のリイシューCDの中では唯一疑いなく弱々しい非アルビニ録音作品である。{*訳注:この曲のみチャンバワンバ等を手がけたニール・ファーガソンのプロデュース。}

今日この『SEAMONSTERS』を再生することは同時に、今現在杞憂されるあらゆる事を露呈させる事にもなる。
ゲッジは彼の新バンド、シネラマでソングライターとしての熟練した才能を発揮し続けているが、まだここでの打ち寄せる様にエモーショナルなどう猛さを超越出来てはいない。
アルビニにしてもそうで、『SEAMONSTERS』はこれ以前も以後も彼のレコーディングしてきたザ・ピクシーズやP.J.ハーヴィーやニルヴァーナ等々あらゆる作品と比較しても極めて純度が高く、聴くものひれ伏させる1枚である。

ザ・ウェディング・プレゼントは口の減らない、流行り物好きのミュージック・プレスの連中とはすぐにそりが合わなくなっていったが、ライターとして僕は1991年にこのアルバムが発売された日、地元のレコード屋で開店15分前にワクワクしながら外で並んでまでこのアルバムを買ったエピソードを折に触れ紹介してきた。
これらの曲を10年経った今聴いてみて、自分が当時感じていた想いを今でもここから聞き取る事が出来ることに気付き、非常に安堵感を覚えている。

Simon Goddard(2001年5月)
Japanese translation by YOSHI@TWP-CINERAMA

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