BIZARRO
BIZARRO
REMASTERED
CATALOGUE No.

originaly released in Oct.1989

TRACK LISTING

1 Brassneck
2 Crushed
3 No
4 Thanks
5 Kennedy
6 What Have I Said Now?
7 Granadaland
8 Bewitched
9 Take me!
10 Be Honest

Bonus Tracks
11 Unfaithful
12 One Day This Will All Be Yours
13 It's Not Unusual
14 Brassneck - Single Version
15 Don't Talk Just Kiss
16 Gone
17 Box Elder

#11-13 taken from EP "Kennedy" [1989-RCA]
#14-17 taken from EP "Brassneck" [1990-RCA]

付属ライナーノーツ(日本語訳)

人は言う「失恋した時のハートのきしむ様な音を現実に表現するのは不可能だ」と。
それは過去何世紀にも渡って試みられてきた・・・ピアノ、バイオリン、ハーモニカ、アコースティックギター、ホイッスル、鳥肌が立つような素晴らしい合唱隊のコーラス、その他指でつまびいたり息を吹き込んだりチリンチリンと鳴ったりするものとかで。
ハリー・ニルソンはミャーミャーと唄い、レナード・コーエンはモゴモゴと口ごもるように、 ジョージ・マイケルはあのボラの様なしかめっ面で唄ってきたが、 でも大抵の奴はかすかな後悔ととっくの昔に鎮火した火事跡のような黄昏に包まれただけだったね。
なぜなら失恋はご立派なエルトン・ジョン卿のこの上ない悲しげなトーンで風の中で揺れるキャンドルだの英国のバラとかなんとかを軽やかなピアノで唄う様な音はしないからだよ。
失恋はあんな成金のご陽気なオッサンには歌えやしない。失恋は凶暴な象の大群の様なギターの音が君の腸の中でストンピングをする様な音がするもんだ。しかも永久にだ。
ひどく耳をつんざき、もだえ苦しみ、全くすてきな耐え難いノイズを立てる。 そのノイズはただ1つのバンドだけが勇敢にも、誠実に、そして独創的な形で作り上げてきた。

ありきたりな外見の、ありきたりな北の街からやってきたありきたりな男、デイヴィッド・ルイス・ゲッジがありきたりな佇まいの野郎連中と結成したありきたりなバンド、ザ・ウェディング・プレゼントは1989年の初頭、イギリスで最も支持を集めたオルタナティヴ・バンドだった。
彼らはN.M.E.のその年の人気投票トップになり、音楽誌のカヴァーを何度も飾り、イメルダ・マルコスが集めた靴の数くらいに"Single of the Week"の賞賛を集め、フェスティヴァルでは溶解した水銀の様な速度のギターで圧倒した。 彼らの『George Best』LP(1987年にリリース)は史上最高のデビュー・アルバムの1つ、という評価を与えられた。ホルモン破壊されたロマンティックな不安と時速100万マイルでかき鳴らされた熱狂を融合させたこのアルバムで彼らは郊外に住む全てのティーンエイジャーの寝室の壁にぽっかりと開いたスミス以降の空洞を埋めた。
彼らは未熟な、弱々しいのろしを挙げたC86がもたらした奇妙に高揚した沼地の中から姿を現し、失恋と薄汚れたベッドシーツについての歌をわめき、現実に「カレンがあんたとは別れたって言ってたわよ」なんて事を過去に言われた事がある連中に傷みのある親しみを抱かせた。
そんなガキ共は結束した・・・「デイヴィット・ゲッジは失恋した。」「デイヴィット・ゲッジはふられて混乱している。」「デイヴィット・ゲッジは未だにTupperware(家庭用調理器具のメーカー)のはさみを使って母親に切ってもらっている様な髪型をしている。」「そう、デイヴィット・ゲッジは“僕らの仲間”だ!」。

デイヴィット・ゲッジは幻滅していた。常に自己批判として、インタビューでは『George Best』にあるナイーブさとアマチュアぽさに対しダメ出しをし、彼らに寄せられる“ザ・スミスのファンが2番目に好きなバンド”という評判のおかげで成功したという意見をやり過ごした。
彼はもっと何かを深く追求し、さらなる共鳴を呼び起こそうとした。彼は別に自分の歌にロマンティックな惨状からくる痛みを投影して欲しくはなかった、彼はそれをただ“聴いて”欲しかったのだ。

新たにRCAと契約(奇妙な事に、古式ゆかしきインディーの暗黒時代では“身売り”と考えられた)、バンドは'89年8月にバースにあるWool Hallスタジオに籠もる。
そして6週間後姿を現した。淫らに騒々しくわめきちらし、The Wedding Presentのトレードマークであるジャカジャカ・ギターをさらに発展させ惑星ごと飲み込むような轟音を響かせたあの『Bizarro』と共に。

最初のシングル「Kennedy」は新たなThe Wedding Presentの信条を赤々と照らし出した。曲はクラカトア島のスケールであり、ビートは環太平洋溝並に深く、草原の丘から続く悲壮な魔力が飛沫をあげ、ビッグ・ギターの激流が胸を張り裂く・・・それらの要素がスピードレースの中で渾然一体となる。よりラウドに、よりキャッチーに、そしてさらなるランナーズハイへ・・・。

それはソニック・ユースの"Expressway to Yr Skull" と"Teenage Riot"への引導であり、重量感のあるベースラインが聞くものを疲弊させ、アッシュからペイヴメント、スーパーグラスからブラーまで、あらゆる曲に影響をもたらしたオルタナティヴ・ダンス・モンスターの創造であった。

同時にそれは後に何年にもわたってエレクトリック・ギターでどれだけバカデカいサウンドが鳴らせるのかという指標として君臨し続けるものだ。

「Kennedy」はThe Wedding Presentを初めてU.K.チャートのトップ40に送り出す事になり、1989年の10月に最高位33位を記録、それは続くシングル「Brassneck」の24位によって記録更新された。
「Brassneck」はおそらくCINERAMAのギグの時に後ろの方のファンから叫ばれた曲だろうね(もちろんリクエストは叶えられなかったが)。
「Brassneck」はゲッジの血管の浮き出た新たな筋肉とウディ・アレン似のジーン・シモンズが語る恋物語を授けたさらなる新約聖書だ。“もうお前の事なんか2度と信じないって決めたんだ”(Brassneckのサビ)。ゲッジはペンギンがポゴ・ダンスを踊れるようなギターコードの滝の上でブツブツとつぶやき、ゲッジがうめく時、世界はゲッジと共にうめき声を上げる。
「Kennedy」と「Brassneck」がC86の腐ったはらわたを焼き払った文学爆弾だとすれば、『Bizarro』はちんけな大聖堂を丸ごとぶち壊した工事現場のレッキング・ボールだ。
そりゃあ、ウキウキ・ジャングリー・ネオアコ・ギター・ポップの『George Best』のファンにしてみれば、『Bizarro』はまるでスチームローラーでふみならされてロック側に媚びた作品として忌み嫌われるんでしょうなあ。
ギターは1000倍はラウドだし、歌詞も1000倍は残忍だし、曲のエンディングは平均して素晴らしいことに8分は長いしうるさいしね。
「Brassneck」は指が火を吹く様なスラッシュ・サウンドの「Crashed」や「Thanks」がフィーチャーされ、悪意を込めた悔恨がたっぷり詰まった「No」や「What Have I Said Now?」への橋渡しとしては比較的ポップなアルバム・オープニングだ。Side 1(オヤジくさい言い方かい?)は心臓切開手術にも似た音楽体験をもたらし、『George Best』が成長したならそうなりたかったであろう鼓動が脈打つロック・レコードだ。そしてSide 2(悪かったな爺むさくて) は『Bizarro』の全ての華々しさと愚かしさが同居している。軽めの「Be Honest」と空しい「Granadaland」に挟まれたサンドウィッチは2つの7分以上に及ぶモンスター級ロックチューンの為に用意されたストレッチングであり、新型WEDDING PRESENTのフォーミュラを迎える前の休止点に他ならない。 そこにはそう、「TAKE ME!」だ!!まるでウェディング・プレゼントが初めて楽観的な歌を演奏していることを楽しみすぎて曲を終える事を忘れてしまい、宇宙が生まれてから死ぬまでの膨大な時間軸でひたすらロックし続ける事を甘受したかの様な、喚起爆裂のポップ・チューン。
そしてもちろん「Bewitched」。おそらくは人類のあこがれを音楽的に高度なレベルで地図上に指し示したザ・ウェディング・プレゼント最高の記念碑であろう。
おそらくはゲッジの苦悩する10代のなれの果ての様な息も絶え絶えな独白と共に、あらゆる方向性と痛ましく報われない横恋慕の風景がレコードに初めて収められたものだ。
あの音は・・・ゲッジが息つく間もなく泣きわめくフレーズ“最後に君を見たとき、君はあんなに、近くにいた/言いたいことややりたいことは死ぬほどあったというのに/でも・・・もう遅すぎる”に続くあの耐え難い、全てを焼き尽くす、鋭いエレクトリック・ギターの騒音。
そうだよ諸君、あれこそがハートがきしんだ時の音だ。

『Bizarro』、この美しくも醜いレコードの怪物は1989年10月にチャート最高位22位を記録(同年4月にリリースされたウクレイニアン・フォーク・アルバム『Ukrainski Vistupi V Johna Peela』と同位である)し、ザ・ウェディング・プレゼントにチャート常連の座を確保した。
評論家連中は手のひら返しに酷評してきたが(例えば「子供だまし」とか何とか)、それ以上にゲッジにとって憂鬱だったのは己の意志に反してそういう連中の御託宣無しにはインディ村を出られそうにない事だった。しかしファンは増加の一途をたどり、さらに強固に、熱狂的になっていく。
彼らにとってゲッジは裏切らない存在であったし、その献身はU.S.オルタナシーンの大御所プロデューサー、スティーヴ・アルビニが1991年の暗く偏執的な大傑作『Seamonsters』の為にタッグを組んだ事で報われるところとなった。

ただ一つ、『Bizarro』にとってタイミング的に最悪だったのはリリース当時には決して傑出したロック・レコードとして称えられなかったという事だ。 時折しもザ・ストーン・ロージズとハッピー・マンデーズがエクスタシーをキめまくったマンチェ・シーンを賑わせた時代であり、ノイジーでイカしたギター・ロック・レコードをファンキー・ドラマーの助けなしに作れたのはアメリカのバンドだけに許された特権だったからだ。
そうさ、愛に満ちあふれた1989年の時代にあっては馬鹿でかい、怒れる、苦悩に満ちたギターポップ・レコードは時代遅れで、場違いで、ノリの悪〜いものだった訳だね。
振り返ってみると唯一、後のグランジやNew Wave of New Wave、ブリットポップ・シーン(多かれ少なかれ、TWPのやってきた事をパクってた奴らだ)の側から捉えれば、その真価がまともに評価されるはずだ。
『Bizarro』はブリティッシュ・ギター・ミュージックが音楽的にずば抜けた表現が可能な事に目覚めさせた重要なポイントである。
それは多くのオルタナティヴ・ロック・バンドが夢中になった、この先10年は有効な青写真を作りだした。
極めてシンプルで、プラトー級のポップ・アルバムであり、内蔵をえぐられる様な圧倒的な殺傷力を有するものだ。
このアルバムのロック・ミュージックに対する長期に渡る影響力が無かったら、きっとベル・アンド・セバスチャンが世界征服をしていたかもしれんよな。 それこそ本当に、失恋並みに胸が張り裂けるような思いがするだろうね。

Mark Beaumount(2001年5月)
Japanese translation by YOSHI@TWP-CINERAMA

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