INTERVIEWS

The Wedding Present "Wir mogen den FC Koln nicht!"
原文(ドイツ語)はこちら
英訳はSomething and Nothing


ドイツの音楽サイトlaut.deに掲載されたバンドへのインタビューで、おなじみのファンサイトSomething and Nothing内で英訳されたものを翻訳したものです。インタビュー時期は2005年3月24日、新生TWPとしては初となる欧州ツアー中のドイツ・ケルンPrime Club公演前に行われたもの。デイヴィッド以外の当事者であるギターリストのサイモン・クリーヴとベーシスト&バック・ヴォーカルのテリー・ディ・カストロが一緒に大部分のインタビューに応えているのが意外にもあまり機会がなく大変珍しいもので、サイモンが語る『Take Fountain』に対する見方やバンド観というのはデイヴィッドのそれとは若干ニュアンスが異なるのが個人的に興味深いものでした(明らかにサイモンのそれは物事を単純にし過ぎている感じがします。ここはぜひともデイヴィッドの考察がよく表れた2004年11月、新生TWP正式始動後初となるパリでのインタビュー2005年2月新生TWP初のツアー中最初の機会となった英Galwayでのインタビューを合わせて御高覧頂きたいです)。
またその二人だけでインタビューに応えているパートはデイヴィッドがその場に居ないせいか思わぬ本音が透けて見えるもので、長期に渡るツアーの過酷さも伝わってきます。ちなみに2005年2月からの11ヶ月間で行われたギグの総数は大小の音楽フェスを入れて111回。しかも大物バンドの様に自家用ジェットや専用のバスなんかじゃない、ほとんどが狭いツアー・ヴァンでの移動ですから、これは“過酷”の二文字以外当てはまらないでしょう。サイモンは結果的にこの年2005年冬のツアー中過労の為に倒れ、一晩病院に担ぎ込まれたり、また現在行われている2006年2月からの北米〜欧州〜イギリスツアーには参加していませんが、その行を読んでしまうとそれも無理からぬ事なのかな、と思わせるものがあります。ちなみにこのインタビューのタイトルは「(サッカー・チームの)FCケルンは好きじゃない!」という意味です。なぜこんなタイトルになったのかは終盤のパートをお読み頂ければわかります。なお、基本的にドイツ語原文の英訳からの孫訳になった事もあって、多少意味的によく分からない箇所があり、今後も折を見て原文を照らし合わせながら所々修正を重ねて精度の高いものにしていきます。[last modified:8th March, 2006 /Japanese translation by YOSHI@TWP-CINERAMA /Special thanks to all the crew on Something and Nothing.]


8年もの活動休止を経て、ザ・ウェディング・プレゼントはニュー・アルバムを引っさげて2005年に帰ってきた。そのツアーで、僕らはジョン・ピール最高のお気に入りだったこのバンドと話す機会を得た。

初めてギターリストのサイモン・クリーヴとベーシストのテリー・ディ・カストロ(両者共にデイヴィッド・ゲッジのバンドCINERAMAのメンバーとしても活動し、サイモンは旧ザ・ウェディング・プレゼントにおいても90年代に既に活動を共にしていた)の2人にPrime Clubのバックステージで会った時、ゲッジ氏はケルンの街で買い物中で、新しいドラマー ジョン・メイデンはインタビューが得意じゃないという事で、僕らは美味しい赤ワインと一緒に買ってきたイースター・バニーズ(復活祭の兎)を嗜みつつ話を始めた


Q.
現在ツアー中ですけど、今のところはどうですか?

サイモン・クリーヴ(以下 SC):驚くほど良いよ。シネラマではこれ程集中的な日程のツアーはやっていなかったからね。23公演もギグをやる予定だって言ったら驚いた人もいたよ。
テリー・ディ・カストロ(以下 TdC):でも私たちにとっては大した事じゃなくてね。みんな気が狂ってる!とか言うんだけど。個人的に気に掛かるのはデイヴィッドの喉ね。でも、こんな日程をこなすのに他に心配な事はそんなにないし、デイヴィッドの声も大丈夫よ。

この時、オランダのプレスからのインタビューのオファーがあり、Prime Clubのスタッフがデイヴィッドを探しにきた。それにしてもバンドは引っ張りだこである。曲がりなりにも、ザ・ウェディング・プレゼントは80年代後期で最も成功したインディー・ポップ・バンドだからだ。そんなやり取りの途中で、サイモンはこう答えた。

SC:ね?これが問題なんだよ。僕らは全てを自分たちで仕切らなくちゃいけないからね。長期日程ではこういう事が消耗する原因になる。大抵のバンドは、ギグの前にはそこらに座って待機していればいいし、何をすればいいのかなんて知らなくたって構わない訳だけど。ま、退屈はしないわな。
{*訳注:TWPならびにCINERAMAはツアー・マネージャーを雇った事がない。ホテルのブッキングからツアー・ヴァンの手配まで、全て自分たちの手でやる。サイモンが後述する様にインストア・ギグの交渉みたいな細かい事までセッティングする。例えば、デイヴィッド・ゲッジ自らライヴの前後には必ずグッズ売り場に立っていたりもする。齢45歳、キャリア20年にもなる大ベテランがフロントマンを務めるバンドでここまでワーカホリックなバンドがいるのか?というくらいの働きっぷりで、デビュー以来から一貫して変わる事のないDIY精神をこの姿勢にも感じ取る事ができる。}
TdC:そうね、もう目一杯よね。
SC:一日が過ぎるのも早い。
TdC:バンドでツアーすると、たくさんギグも出来るし、ケータリングで食事も摂れるから本当に大好きなんだけどね。でも私たちはレストランで食事をした事がない。いつだってバックステージで食べる。シネラマの時でさえそんな調子で、ずっとやってきている事だから。あなたがこんな生活を続けられるかどうかは分からないけどね。
SC:3ヶ月もやれば十分だと思うよ。身体が保たない。どこかの段階で風邪をひくか具合が悪くなるね。
TdC:それにさ、いつも夜遅いし、睡眠だって十分に取れない。
SC:でもバンドの若い連中はいつもベッドに入るのが早いんだけどね(ニヤリとしながらそう答えた…もちろんこれは若きジョン・メイデンの事を指している)。
TdC:そうなのよ、ビール1杯飲んだら直ぐにベッドに直行するんだから。「彼は軽量だから。ドラマーっていうのはいつも軽量級なんだよ。」(笑)。
{訳注:映画の『ロッキー』シリーズか『レイジング・ブル』か何かの台詞を文字った洒落の様な気がするが、出典は不明。}


Q.
サイモン、(ドイツに住んでいる)あなたはこのPrime Clubでたくさんのギグを見ていると思いますが、今こうやってそのステージで立っている…どんな気分ですか?

SC:一度1997年以前にここでプレイした事はあるんだ。あれから改装されたよね。ここで演奏するのは楽しいよ。

ここでデイヴィッドの新しい彼女、ジェシカが入ってきて、彼がもうすぐここにやってくる事を教えてくれた。彼は例のオランダのプレスからの電話インタビューを受けている所だった。そう、もうそこにいたのだ。ミスター・デイヴィッド・ゲッジである。


Q.
ザ・ウェディング・プレゼントとしてここで初めてプレイした時の事を覚えていますか?

デイヴィッド・ゲッジ(以下 DG):うん、正確にはいつだったかな?80年代の終わり?会場の雰囲気はちょっと変わったよね。マシになった感じというか。
SC:Prime Clubで演奏した時って、ザ・ウェディング・プレゼントの最初の(ドイツ)ツアーじゃなかった?
DG:かもしれない。そこの角を曲がった所にあるホテルHotel Madoに泊まったんだ。路面電車が通っているホテルへと続く道を覚えてたよ。近くで誰かのバイクで轢かれそうになってね。そいつが警察を呼んで、僕は罰金を払わなくちゃならなくなった。まあ、僕が注意不足で、路面電車と交差点の状況を見てなかったのがいけなかったんだけど。


Q.
今日のオーディエンスはどうでした?あの頃とは違いが?

SC:年は食っていたかな…
DG:…あと肉付きもよくなってたね。ついでに髪も薄くなって。でも同じくらい若いファンも来てたよね。
SC:そう、あとシネラマのファンたちもね。
DG:チケットがこれだけ速く捌けたのはきっと彼らが(肥えられるくらい)懐に余裕があるからだな(笑)。でもホントだよ。例えばグリーン・デイのコンサートに500人くらい集まったとしても、彼らはみんな痩せてるから十分なスペースが取れる。でもザ・ウェディング・プレゼントのファンが500人も来たら、直ぐさま会場は満杯だ。でも会場のオーナーはみんなウェディング・ファンが好きだけどね。飲み物をいっぱい頼むからさ。
SC:そうだね、ステージからダイブするファンもいないしね。まあ、リーズではステージ・ダイブする体格が太めのファンもいっぱいいたけども…でもすごい動きがゆっくりでね。スローモーションのように。彼らの多くはしばらくそんな事してなかったんだからね。


Q.
オーディエンスの中に昔なじみの人もいたんじゃないですか?

DG:うん、大勢いたけど、誰だかは思い出せないようなね。Tony Woolgarを除いてはね。


Q.
Tony Woolgarですか?信じられない。有名なリーズの写真家ですよね。ファンもみんな知ってましたよ。

DG:もう50歳に届こうかって年齢じゃないかな。信じられないだろ?
TdC:それに9回もコンサートを追っかけているファンもね。(公式サイトの)ゲストブックにギグが若かりし頃を思い出させたって書いててね。
SC:でも凄い事だよ。だって僕らは毎晩同じセットでライヴをやってたんだから。
DG:そう、彼は基本的に僕らに付いて回って、ガールフレンドはその間休暇中、と。アイルランドまで見に来るんだからね。


Q.
アイルランドでのギグはどうでした?

SC:ソールドアウトになったよ。
DG:素晴らしかったね。あんなにザ・ウェディング・プレゼントの名前に惹かれてやってくる人がいるなんて信じられなかったよ。僕らが昔の名前を使っているだけで突然大勢の人がゾロゾロやってきたんだから。シネラマの時にはあんなに多くのファンは集まらなかったよ。


Q.
ニュー・アルバム『Take Fountain』に関しても同じ様な事が起きましたよね?

SC:そうだね、音楽誌のレビューもとても好意的だった。
DG:名前自体が関心を引いたのは確かだろうね。
SC:ジャーナリストたちはここに至るまでのザ・ウェディング・プレゼントのストーリーを知ってる。『Take Fountain』はシネラマの4作目ではないが、ザ・ウェディング・プレゼントの新しいレコードではある。もしこれがシネラマの4作目だったら、これ程多くの記事が載ったかな?そうは思わないよ。君は僕らがシネラマでもインタビューするかい?


Q.
ニュー・アルバムにはザ・ウェディング・プレゼントのと同様にシネラマの要素もたくさん入ってますよね?

SC:うん、その可能性は十分あるけど、意図的なものではないよ。このレコードは明らかにウェディングのレコードだ。シネラマのものであるはずがない。
DG:僕らは2年前にこのアルバムにシネラマとして取りかかって、その後議論が起きた。シネラマなのか、それともザ・ウェディング・プレゼントなのか、っていう。賛否両論飛び交ってね。後から考えると、僕らは正しい決断をしたと思う。コンサートがソールド・アウトになったからって言う訳じゃないけど、もしシネラマの名前で出していたんならファン達はガッカリしていたんじゃないかと思うね。シネラマでの作品にあったように、オーケストラみたい音じゃないし、映画音楽的でもない。シンプルなギター・ミュージックだよ。


Q.
予め純粋なギター・ミュージックにしようと計画していたのでしょうか?それとも(ニルヴァーナやサウンドガーデンを手がけたプロデューサーの)スティーヴ・フィスクの影響でああいうサウンドになったのでしょうか?

DG:そういう事はない。僕らがそうやるって決めただけ。もっと発展させたかったんだよ。シネラマとして3作アルバムを作ってきて、何か新しいものをやるべきだと気が付いた。
SC:僕はただギター・アルバムにしたかったんだ。と同時に、シネラマでのサウンドも少し恋しくなって、だからそういう要素が『Take Fountain』で聞き取れるのだと思うよ。


Q.
そうですね、確かに映画音楽的な性質もあります。素晴らしいエンニオ・モリコーネ・スタイルですよね。例えばアルバム・ヴァージョンの"Interstate 5"などは特にモリコーネ的なものを思い起こさせると思うんですが。

SC:そうだね、僕らは完全にそのスタイルを葬り去ったわけじゃないからね。
DG:僕らはレコードをより良くする何かを取り入れたんだ。様々な色彩を使ってね。絵を描く時みたいにカラーパレットから取り出すようにね。


Q.
"Queen Anne"もサウンドトラックにありそうですしね。

DG:うん、あのサウンドは気に入ってる。


Q.
もし現実に映画音楽のために仕事をするのなら、どんな映画がいいですか?

SC:なんでもいいよ。誰かオファーしてくれるのなら、準備は出来てる。
DG:実際いくつか話はあったんだけど、最初のミーティングだけで終わってしまってね、残念ながら。ほとんど決まりかけたのもあったんだけどね。一度脚本を受け取る所まで行ったんだ。でも無償で働く様な真似をする訳にはいかない。結局プロデューサーからは一銭も貰えずに、徒労に終わる事になる。
SC:ピーター・グリーナウェイ作品の音楽を手がけているマイケル・ナイマンは常にまず音楽を先に作って後からフィルムをはめるみたいだけど、それは例外。普通はまずは映像ありきで、音楽は後回し。


Q.
お気に入りの映画はなんですか?

DG:David Lynchの『ブルー・ベルベット』。
SC:『Come And See』っていうロシアのとてもお堅い映画なんだけど、僕には印象的だった。
TdC:『地獄の黙示録』。つまらない回答かもしれないけど、あの映画好きなのよ。


Q.
メンバー全員それぞれ別々の場所に暮らしてますよね。

DG:毎晩って意味なら、そう(笑)。あと半年は、毎晩違うホテルに泊まる訳だから。


Q.
どうやって一緒に練習するんですか?可能なんですかね?

DG:確かに、難しいよ。Leeds 6(多くのミュージシャンが暮らしていた人気のある学生街)で過ごしていた昔のウェドーズだったら、みんな数キロメートルの範囲内で暮らしていたから、会うとなったら徒歩で行けた。でも今はカリフォルニア(テリー)、ドイツ(サイモン)、そしてイギリス(デイヴィッド)…だから、前もって計画を練らなくちゃならない。
SC:会うためには出来る限りの努力をしなくてはならない訳でね。ツアーを始める時にはいつも練習してるよ。今回は新しいドラマーのジョンと練習するために1週間を費やした。彼は素晴らしいよ。問題だったのは僕らだったのかも(笑)。
TdC:そうね。彼はその曲の事を私たち以上に分かってる。もし彼がもっと練習セッションをやるかお願いしてきたら、迷わず「もちろん!」って答えるわ。
SC:練習が頻繁に出来るか否かはさほど問題じゃないよ。大体最初のギグでは何かしら問題は起こるものだから。


Q.
最初のギグはどこでしたか?

TdC:ベルファストね。
SC:あそこのオーディエンスはみんな自分たちが実験台だって分かってたみたいだね。
TdC:そして昨日はサイモンのギターの弦が切れた。
SC:もしあれが最初のギグで起きてたらパニックになったろうけどね。でも昨日はドイツに来て3回目のギグで…。
TdC:ある会場で、とにかく写真を撮られまくったギグがあったんだけど、あの時はフラッシュが光ると思わず2人ともポーズを取りだしちゃってね。で、ふと我に返ったのよね「私たちったら何やってんだろ」って。もう止めなくちゃね。
SC:今度フラッシュが光って僕がふざけた顔してたら、殴っていいよ(全員笑)。
TdC:わかった。
SC:でもホント、わざとじゃないからね。
TdC:そうね。


Q.
じゃあテリー、今度モニターの上に足を乗っけたポーズで写ってもらえます?

TdC:いいわよ、今度ね。


Q.
新しいドラマーはどこで見つけてきたんですか?

SC:ジョン・メイデンはブライトンの出身でね。彼には僕らの練習スタジオで出逢った。
DG:その練習スタジオの家主の友達だったんだ。で、彼が推薦してくれた。普段はChungKingで活動している。
SC:彼らは暗い、トリップホップ的な音だね。
TdC:モーチーバに近いわね。
SC:彼はよく訓練されたドラマーだよ。ジャズも、ラテンも、どんな音楽だって出来る。その日、彼は10分間プレイしてくれて、あとの50分はお喋りしただけだった。それくらい、完璧だったよ。


Q.
これほど長い期間バンドに加わる事は、彼には困難だったのでは?

SC:確かにそうだね。
DG:でも上手く行ってるよ。
TdC:最初からバンドにも上手く溶け込んでいるしね。何も問題無かったわ。
DG:まあおかしかったのは、彼が加入したのがちょうど全ての公演がソールドアウトになった時で、それ自体はいつもの事で予想はしていたんだけど。もちろん彼は僕ら自身はこの8年間かけて何とかやってきて次の場所へ行こうとしている状況であった事は分からなかった訳で、そこに入っていくのは容易な事ではなかったとは思うよ。
SC:最後の5年間は確かにハードだったな。


Q.
そうそう、それとあなたたちは最初のアルバムを、あのゴミみたいなサッカー選手で、忌々しいマンチェスター・ユナイテッドで知られる『ジョージ・ベスト』の名前を冠したアルバムでデビューしてましたっけね?

(全員笑)
DG:そうだよ、だってマンチェスター・ユナイテッドのファンだったからね。


Q.
なんてこった!でもリーズに住んでいて、双方のサポーターはお互いの事を嫌いなんじゃ?

DG:うん、でも僕はマンチェスター育ちだしね。だから僕は(ヨークシャー州とランカシャー州の間にある丘陵地)Penninesを股いで両方の地域に片足ずつ突っ込んでいる感じでね。リーズは2番目に好きなチームだよ。気持ちは複雑ではあるけどね。まああのレコードを『George Best』と名付けたのはサッカー以上の理由があるんだけど。とにかく素敵なアイデアだと思ったんだよ。彼はあんな素晴らしいサッカー選手だったし。一方で前の晩にミス・ワールドと飲み明かしたせいでチームの練習に参加しなかったり。反抗的だったんだよね。シャツの裾を出して着ていたのが60年代にはあまり好ましく思われなかったし。長い髪に髭も。まるでポップスターみたいだった。“5番目のビートルズ”なんて呼ばれてね。誰かが一度ザ・ウェディング・プレゼントはジョージ・ベストの風貌がクールだったから利用しただけだ、なんて言って僕を侮辱しようとしたよ。
SC:そう、それが理由だ(全員笑)。でも、ホントだよ。彼はサッカー選手以上の存在だったから。彼は才能に恵まれていたし、その人生は悲劇の連続だった。一度なんて新しい肝臓に入れ替えたんだから{訳注:ジョージ・ベスト氏はアルコールの過剰摂取の影響で2002年に肝臓移植手術を受けた。}。それが彼の人生の興味深いところで、人はもっと彼の事を知りたくなる。ただただ素晴らしいプレイヤーだったけど、不幸な事にアルコールのせいで全てを失ってしまった。


Q.
今でもサッカーは好きですか?

DG+SC:もちろん。
SC:でもドイツのチームは好きになれないな。FCケルンもね。


Q.
FCケルンが嫌いだって!?チェッ!

(全員笑)
SC:スタジアムが好きじゃないんだよ。ゲームの合間にやるカーニヴァル・ソングもね。あえて1つ選ぶんならFCアレマニア・アーヘンかな。


Q.
ご自身で一番気に入っているザ・ウェディング・プレゼントの曲というとなんですか?

DG:気分によるな。僕は全てのレコードが違う作風である事を誇りに思うよ。そこにあるフィーリングもサウンドも常に違う。かなりのミュージシャンが入れ替わっているせいだと思う。それぞれのレコードで全く違うバンドが演奏しているみたいでね。『Seamosnters』は『Bizarro』や『George Best』とは全く異なるサウンドだし、『Watusi』はまるでシネラマのレコードみたいだ。
SC:僕には不思議なものでね。だって最初はただのファンだったんだから。『Bizarro』は全体的に好きだった。けどバンドでプレイするようになって、今は違った感情を持っている。
TdC:同感。ファンとしてのフェイヴァリットは「My Favorite Dress」だけど、今は『Seamosnters』の「Heather」が好きになった。
SC:演奏するのが楽しい曲ってあるんだよ。バンドでプレイするとなると、プレイヤーとして演奏したい曲と、リスナーとして聞いていたい曲と二種類のお気に入りが出来るものなんだ。

ここでドラマーのジョン・メイデンが部屋に入ってきてみんなに挨拶をした。

ジョン・メイデン(以下 JM):やあ。僕は言うこと何にも無いからね(微笑み)。

そして長い沈黙。みんなジョンがビール缶を開けるのを見つめている。

JM:質問攻めにしようっていうのかい?また悪態でもつきましょうか?
(全員笑)
DG:君が部屋に入ってきてから、雰囲気が台無しだよ。
JM:あっそうですか?そいつは失礼しました。


Q.
一番最近買ったレコードはなんですか?

SC:Lowの新作『The Great Destroyer』。最高だよ。5、6枚アルバムを発表して、いまだに彼らがアルバムを出し続けている事実が本当に嬉しくなった。ケルンの「Normal」っていう店で買ったんだ。実際には、僕らがそこでインストア・ギグが出来ないか交渉しに行ったんだけどね。で、そこで流れている音楽を聞いていたら「この声はLowみたいだな」って思って。でもサウンドは以前のとは全く違ってね。驚かされたよ。


Q.
インストア・ギグはやったんですか?

SC:いや、場所的にかなり難しかったしストレスフルだったから。もしやるのだったら今日だったんだけどね。インタビューの合間に。ギグは今夜ここでだし。でも、もういいかな。
DG:僕が最近買ったのは(カナダ・モントリオール出身の)The Dearsのデビュー作
TdC:私は私たちのライヴで演奏した事があるMia Doi Toddの新作。とても独特な声を持つシンガー・ソングライターでね。
SC:誰のライヴで演奏したって?
TdC:私たちよ。ブライトンで。
SC:僕らが?
TdC:えっと、現実にはしなかったんだけどね。PAが壊れたせいでギグをキャンセルしたから。最初がMia Doi Toddで、それからAlaska、そしてFolk Implosion…
SC:ハイハイ、あったね。Implosionが機材を壊しちゃったんだよ。
{訳注:ちなみにこれはCINERAMAの2003年4月30日の英ブライトン、Concorde 2での出来事。}


Q.
そう言えばこんな名文句を見つけました。「ゲッジ君はロックンロール史に残る最高のラヴソングを書いてきた人物である。あんた方は否定するかもしれんが、もちろんワシが正しいのであって、あんたらの方が間違っておる!」

DG:ウィンストン・チャーチル首相かな?(笑)


Q.
もちろんジョン・ピールですよ。彼はあなたにとってどんな存在でした?

DG:そうだな、どこから話始めたらいいのかな…16歳の頃から彼のラジオ番組を聞いていてね。彼の番組と共に育ったし、彼が僕の音楽的な趣向を形作った。僕の哲学や、僕の人生そのものを。彼はあんなに素晴らしい人で、僕は彼の番組の大ファンだったんだ。彼の死まで、その番組を全て録ってきた。ツアーに出ている時は友人に頼んだりしてまでね。僕が僕自身の音楽を作り始めた時、彼が真っ先に番組でかけてくれたし、最高の気分だったね。それから彼に実際に逢って、もうこの上ない光栄な事だった。「ワォ!あのジョン・ピールに僕が逢うなんて!」って具合にね。
彼の訃報を聞いた時には、胸が張り裂けそうだったよ。死ぬには早過ぎるだろ。確かに彼は65歳だって知ってたけど、それでも十分若いって言える歳だった。まるで僕の家族が失われた気持ちだった。あまりにも彼の声をラジオで聞きすぎていたからね。とてもじゃないけど、耐えられなかった。
SC:イギリスをツアーした時、みんなで奥様を訪ねたよ。本当に素晴らしい出来事だったよ。NorwichからNorthamptonへと行く途中でね。
DG:彼女は本の執筆中だった。ジョンは自伝を書き始めていたんだ。その途中で亡くなってしまったけど、その死後は家族が完成させようとしているんだ。
{訳注:この自伝は『Margrave Of The Marshes』のタイトルでJohnと妻のSheila Ravenscroftとの共著として発表された。}


Q.
彼の死の前に新しいセッションを収録してますよね?

DG:うん。


Q.
発表の予定はありますか?

SC:ラジオでは放送されたよ。彼が生きている内に再びザ・ウェディング・プレゼントとしてプレイしている所を見せられたのが嬉しかった。彼は一番最初の曲が好きだと言ってくれたんだ。
{訳注:TWPとして最後のジョン・ピール・セッションのオンエアは2004年9月21日、ジョンが死去する約1ヶ月前の事だった。ちなみに最初にオンエアされた曲は"Ringway to Seatac"。}
DG:昔の曲と同じくらいに良いね、ってね。いつかどこかの段階で発表するとは思う。今までのピール・セッションもそうしてきたしね。おそらくは自分たちのレーベルのScopitonesから発表することになると思う。
{訳注:TWP過去20年間のジョン・ピール・ショーでのセッション完全版セットの発売をSanctuary Recordsと交渉中。年内には発表したいという意向が明らかにされている。}

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