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40
TITLE: 40

RELEASE DATE:
September 19th, 2025 (U.K./Europe)
LABEL / CATALOGUE No:
Clue Records (U.K./Europe) - CLUE1985(4LP), CLUE1985CD(4CD)

収録曲目(Tracklisting)  

Side A
1 Go Out And Get 'Em, Boy! [single (1985) & Tommy (1988)]
2 You Should Always Keep In Touch With Your Friends (Peel Session Version) [Tommy (1988)]
3 Anyone Can Make A Mistake [single & George Best (1987)]
4 Everyone Thinks He Looks Daft [George Best (1987)]
5 A Million Miles [George Best (1987)]
6 My Favourite Dress (LP Version) [George Best (1987)]

Side B
7 Nobody's Twisting Your Arm [single (1988)]
8 Davni Chasy [Ukrainski Vistupi V Johna Peela (1989)]
9 Give My Love To Kevin (Acoustic Version) [b-side of the single "Why Are You Being So Reasonable Now?" (1988)]
10 Kennedy [single & Bizarro (1989)]
11 What Have I Said Now? [Bizarro (1989)]

Side C
12 Bewitched [Bizarro (1989)]
13 Take Me! [Bizarro (1989)]
14 Brassneck (Single Version) [single (1990)]
15 Crawl ["3 Songs EP" (1990)]

Side D
16 Dalliance [single & Seamonsters (1991)]
17 Dare [Seamonsters (1991)]
18 Suck [Seamonsters (1991)]
19 Blonde [Seamonsters (1991)]
20 Corduroy (LP Version) [Seamonsters (1991)]

Side E
21 Heather [Seamonsters (1991)]
22 Blue Eyes [single & Hit Parade 1 (1992)]
23 Come Play With Me [single & Hit Parade 1 (1992)]
24 Flying Saucer [single (1992) & Hit Parade 2 (1993)]
25 Click Click [Watusi (1994)]

Side F
26 Spangle (LP Version) [Watusi (1994)]
27 Convertible [Mini (1996)]
28 Montreal [Saturnalia (1996) & single (1997)]
29 Kansas [Saturnalia (1996)]
30 I'm From Further North Than You [single & Take Fountain (2005)]
31 Interstate 5 (LP Version) [Take Fountain (2005)]

Side G
32 Perfect Blue [Take Fountain (2005)]
33 Don’t Take Me Home Until I'm Drunk [El Rey (2008)]
34 Boo Boo [El Rey (2008)]
35 Deer Caught In The Headlights [Valentina (2012)]

Side H
36 Two Bridges (LP Version) [Going, Going...(2016)]
37 Rachel [Going, Going...(2016)]
38 I Am Not Going To Fall In Love With You (LP Version) [24 Songs (2023)]
39 Science Fiction (LP Version) [24 Songs (2023)]
40 Hot Wheels [Maxi (2025)]



作品概要  

 ザ・ウェディング・プレゼントが1985年5月に発表したデビュー曲「Go Out And Get 'Em, Boy!」から、2025年の最新曲「Hot Wheels」まで──40年にわたるキャリアの中で生み出された膨大なカタログから、David Gedge自身が選び抜いた40曲を収録した、約3時間に及ぶ超特大コンピレーションがこの『40』。4枚組LP/CDという圧倒的なボリューム、そして選曲の質、どちらをとってもデビュー40周年を祝うにふさわしい、まさに決定版といえる内容だ。

 自主レーベルReceptionに始まり、メジャーのRCAやIsland、インディーズのCooking Vinyl、Cinerama名義での音楽的には大充実の活動期間から立ち上げた自主レーベルScopitones、短命に終わったVibrant、さらにはいくつかのインディーズ・レーベルでのスポット的なリリースを経て、現在のClue Recordsに至るまで──TWPはこれまで多くのレーベルに音源を残してきたが、それらすべてを横断して網羅したコンピレーションは、今回が初めて。長年のファンにとっても、近年の作品からTWPに出会ったリスナーにとっても、待望の作品であり、そしておそらく今後二度と実現しないであろう、まさに決定的なアーカイブと言える。

 改めて聴き返すと、デビュー当初からすでにギター・ロックのフォーミュラを確立していた先駆的な存在でありながら、どの時代の楽曲にも他に比肩するものがないことに気づかされる。このバンドが40年にわたって活動を続けてくれたことに、心の底から感謝したくなる──そんな、理由もなく誇らしい気持ちにさせてくれる4枚組だと思う。

 装丁を手がけたのは、セカンド・シングル「Once More」からバンドに関わってきたHitchことJonathan Hitchen。抽象的でありながら美しく、バンドの40年の歩みを象徴するようなデザインは、今回も見事のひと言。

 なお、本作は2025年10月時点でサブスクには公開されていない(権利関係から難しいのでしょう)。参考までにまだサブスクに解禁されていない最終曲"Hot Wheels"を除く39曲を収録順に並べたSpotifyのプレイリストを作成しているので、良ければお試しいただきたい。

デイヴィッド・ゲッジ解説訳  

 『40』はベスト盤じゃない。だって、ベスト盤ってザ・ウェディング・プレゼントのコンセプトに合わないと思うんだ。最初から回顧的な分析になるつもりだった。収録すべき曲の数が膨大だったから、最初は「ああ、これはダブルLPにしなきゃいけないかも」って考えてたんだ。ところが『テイク・ミー!』や『ビウィッチド』といった曲を見直すと、すぐに12インチ2枚組レコードの片面半分が埋まってしまった!そこで「うーん、じゃあトリプル盤か」と思ったんだ。僕のプロジェクトではよくあることだけど、どんどん膨れ上がった。でも実際に「4枚の12インチ盤に40曲を収録して徹底的にやる」と提案したのは、CLUEレコードのジリー・チャッテンだった。そのコンセプトが数学的な対称性を思わせたんだ。
 こうして選曲リストが完成した。必ずしも人気曲ばかりではないけれど、どれも重要な曲だと考えた。これは映画のように、物語を伝えるのに役立つシーンを全て選んだような感覚だ。でも別の日なら、全く異なる40曲を選んでいたかもしれない。収録曲は完全に年代順で構成されている——リスナーが特定の曲のそのバージョンを初めて聴いた瞬間を再現しているんだ。ラジオ・セッションであればラジオで、シングルやLPであればそのフィジカル・メディアで。

1. Go Out And Get 'Em Boy!(1985年5月24日リリース)
 この曲とB面曲〔(The Moment Before) Everything's Spoiled Again〕には、思いつく限りの面白いアイデアを詰め込んだ。今思えば、やりすぎってくらい詰め込んでたな(笑)。とにかく、ラジオから飛び出して耳をガッと掴むような、インパクトのある音にしたかったんだ。録音はリーズの「ビリヤード・ルーム」っていう小さなスタジオでやった。エンジニアのカール・ローザムンドは、ありがたいことに、普通よりギターをデカくしたいっていう僕たちの無茶なミックスの希望にちゃんと応えてくれた。BBC Radio 1 でジョン・ピールが初めてこの曲を流してくれたときは、人生で一番興奮した瞬間のひとつだったよ。

出典情報:
Reception Recordsからリリースされたシングル「Go Out And Get ’Em, Boy!」より。後にコンピレーション・アルバム『Tommy』にも収録。録音:カール・ローザムンド。プロデュース:カール・ローザムンド&The Wedding Present。

2. You Should Always Keep In Touch With Your Friends(1986年2月26日オンエア)
 この歌詞は、1980年代初頭に僕と初めての彼女が交わした約束について書いたものなんだ。たとえ別れることになっても、毎年ヨークシャーのスカーバラ近くの橋で会おうって約束してた。結局すぐに別れちゃったんだけど、その橋で再会したのは2023年――約40年ぶりだった。このヴァージョンは、1986年にロンドンのメイダ・ヴェールにあるBBCの有名なスタジオで録った。後にヨークシャーのブラッドフォードで録ったサード・シングルのヴァージョンでの録音はちょっと“箱鳴り”っぽくて、この初めてのピール・セッションのヴァージョンの方が自然な響きだったからコンピ盤にはいつもそっちのバージョンを使ってる。このトラックはBBC Musicとの提携でリリースされたもの。

出典情報:
BBC Radio 1のジョン・ピール・セッションで録音。後にコンピレーション・アルバム『Tommy』に収録。後年のバージョンはシングル「You Should Always Keep In Touch With Your Friends」に収録。録音・プロデュース:マイク・ウィルコック。

3. Anyone Can Make A Mistake(1987年9月14日リリース)
 『GEORGE BEST』の録音でプロデューサーのクリス・アリソンが使った技術は、当時としてはかなり先進的だった。少なくともダンス・ミュージック以外の世界ではね。ドラム・プログラミングとか、シーケンス処理、サンプルの使用とか、いろいろ取り入れててさ。ある午後、クリスの音源ライブラリをみんなで漁って、それぞれお気に入りのドラム・サンプルを選んだんだ。

 「Anyone Can Make A Mistake」のドラム・サウンドは、僕が選んだやつ。特にバスドラムの音がめちゃくちゃデカくて気に入ってたからね。この曲に使った理由?それは単純に、この曲がアルバムの中で一番好きだからだよ。

出典情報:
Reception Recordsからリリースされたシングル「Anyone Can Make A Mistake」より。後にアルバム『George Best』にも収録。録音:アラン・ジャコビー、ミック・ウィリアムズ、スティーヴ・ライオン。プロデュース:クリス・アリソン。ミックス:The Wedding Present。

4. Everyone Thinks He Looks Daft(1987年10月12日リリース)
 歌い出す前の息を吸う音をそのまま残すっていうアイデア、誰が言い出したのか覚えてないんだけど、なかなか賢いと思うんだよね。だから、できれば僕のアイデアだったってことにしておきたい(笑)。普通はエンジニアがそういう余計な音を消したり、音量を下げたりするんだけど、これは堂々と残ってる。しかもアルバムの1曲目だから、余計に目立つんだよね。

 ヴォーカル録ってるときに、口笛にも挑戦してみたんだけど、僕は口笛が得意ってわけじゃなくてさ。最初のコーラスのあとで見事に失敗して、最後のコーラスまでにはちょっとだけマシになったかなって程度。あと、バック・ヴォーカルのアメリア・フレッチャーには、僕の北部訛りに合わせて「daft」の発音を変えてもらったんだ。

出典情報:
Reception Recordsよりリリースされたアルバム『George Best』収録。録音:アラン・ジャコビー、ミック・ウィリアムズ、スティーヴ・ライオン。プロデュース:クリス・アリソン。ミックス:The Wedding Present。

(補足)
「daft」の発音は、イギリス英語でも地域によってかなり違いが出る単語のひとつ。特に北部イングランド(Davidの出身地リーズを含むヨークシャー地方)と南部では、母音の発音に顕著な違いがある。北部英語(例:リーズ、マンチェスター) では「a」を日本語の「ア」に近い短母音で発音。日本語の「ダフト」に近い響き。 南部英語(例:ロンドン、BBC標準)では「a」が長母音になり、「ダーフト」のように聞こえる。 David Gedge はリーズ出身なので、当然「daft」を 短い「ア」で発音。一方、Amelia Fletcher は南部出身(ケント州)なので、自然に長い「アー」と発音していたはずで、そのため、David は彼女に「自分の北部訛りに合わせて発音を変えてもらった」と言っているわけですね。

5. A Million Miles(1987年10月12日リリース)
 歌い出しの一行は、1986年にスイスをツアーしてたときの出来事がヒントになってる。でも、歌詞の残りはもっと前のいろんな経験から引っ張ってきたものなんだ。
 曲の中に出てくる「チャーリー」ってのは、映画評論家のチャールズ・ガントのこと。ロンドンでライブやレコーディングするときは、彼のフラットに泊まらせてもらってた。ちなみに「You Should Always Keep In Touch With Your Friends」っていう曲のタイトルも、チャーリーが手紙の最後にそう書いてたのを見て、そこからもらったんだよ。

 「A Million Miles」の最後の一行“at least, not yet”は、僕としてはちょっと誇らしいんだ。新しい恋の始まりに感じる高揚感っていうテーマを、ちょっと皮肉っぽく茶化してるところが気に入っててさ。

出典情報:
Reception Recordsよりリリースされたアルバム『George Best』収録。録音:アラン・ジャコビー、ミック・ウィリアムズ、スティーヴ・ライオン。プロデュース:クリス・アリソン。ミックス:The Wedding Present。

6. My Favourite Dress(1987年10月12日リリース)
 初代ドラマーのショーン・チャーマンは、「My Favourite Dress」を“切り札”って呼んでた。当時の僕らの曲の中で、ダントツで一番いいって思ってたらしい。僕自身は最初そこまでの実感はなかったんだけど、ライブでの反応を見てるうちに、ああ、彼の言う通りだったなって思うようになった。

 この曲は、1986年10月にStrange Fruit Recordsから出たピール・セッションEPを除けば、僕らの4枚目のシングルのA面になった。でも『GEORGE BEST』のアルバム用には、エンディングをちょっと作り直したんだ。スタジオで見つけたゴングを鳴らして、最後はピーター・ソロウカのギター以外の音を全部フェードアウトさせた。で、なんであんなに急に終わるかっていうと…テープが足りなくなったから(笑)。

出典情報:
Reception Recordsよりリリースされたアルバム『George Best』収録。初期バージョンはシングル「My Favourite Dress」に収録。録音:アラン・ジャコビー、ミック・ウィリアムズ、スティーヴ・ライオン。プロデュース:クリス・アリソン。ミックス:The Wedding Present。

(補足)
ちなみに今回の『40』ではエンディングがブツっと切れるのではなく、わずかにフェードアウトをかけることで自然に終わるように聞こえるよう処理されている。似たような処理はこの後の"Interstate 5"のエンディング(アルバムでは次曲イントロへシームレスにつながるスタジオ・ノイズが残っていた)や"Deer Caught in the Headlights"でも行われている。

7. Nobody's Twisting Your Arm(1988年2月22日リリース)
 「ヒット曲」っていうのを「Top 75に入った曲」って定義するなら、この曲がThe Wedding Presentにとって初めてのヒットってことになる。イギリスのシングルチャートには2週間ランクインして、最高位は46位だった。ちなみに「My Favourite Dress」は95位止まりだったからね。初めてちゃんとしたプロモーション・ビデオを作ったってのも関係してると思う。

 この曲が出た直後、アイルランドのダブリンにある歴史あるライブハウス「マゴナグルズ」で、僕らのライブ史上でも屈指の“気まずい”紹介があったんだ。主催者が観客に向かってこう言ったんだよ――「来てくれてありがとう。誰にも無理強いされてないよね!(Nobody's twisting your arm!)それではThe Wedding Presentです!」

…いや、もうちょっと他に言い方あっただろって(笑)。

出典情報:
Reception RecordsよりリリースされたEP「Nobody's Twisting Your Arm」収録。後に『George Best』の拡張版にも収録。録音:アラン・ジャコビー、スティーヴ・ライオン。プロデュース:クリス・アリソン。

8. Давні часи (Davni Chasy)(1988年4月5日オンエア)
 7~9曲目では、ピーター・ソロウカがアコーディオンを弾いてる。僕が彼に勧めたんだ。音に温かみと新しい質感が加わると思ってね。彼がバンドで初めてアコーディオンを弾いたのは、1987年10月にジョン・ピールのセッションで録音したとき。ウクライナやロシアの民謡を僕ら流にアレンジして演奏したんだ。

 そのスタイルでさらに2回セッションを録って、この曲はその2回目のセッションからのもの。RCAレコードには「これをシングルで出してくれ!」ってかなり強く言われたんだけど、僕らは断った。メジャー・レーベルでの最初のリリースが“企画モノ”っぽくなるのは嫌だったからね。
 このトラックはBBC Musicとの提携でリリースされたもの。

出典情報:
BBC Radio 1のジョン・ピール・セッションで録音。後にコンピレーション・アルバム『Українські Виступи в Івана Піла(Ukrainski Vistupi V Johna Peela)』に収録。録音:マイク・ロビンソン。プロデュース:デイル・グリフィン。

9. Give My Love To Kevin (acoustic version)(1988年9月19日リリース)
 「Give My Love To Kevin」はもう一度録り直したかったんだ。『GEORGE BEST』に入ってるバージョンは、エレキギターがずっと鳴りっぱなしで、ちょっとゴリ押し感があってね。もっと柔らかくて、繊細なアレンジの方がこの曲には合うと思った。

 ちなみに“Give my love to Kevin”っていうフレーズは、当時夢中で観てたGranadaテレビの『CORONATION STREET』っていうソープオペラから拝借したもの。ちょうどこの曲がリリースされた頃に、SOUNDS誌の撮影でその『CORONATION STREET』のセットに行ったんだよ。偶然って面白いよね。

出典情報:
Reception RecordsよりリリースされたEP「Why Are You Being So Reasonable Now?」収録。後に『George Best』の拡張版にも収録。初期バージョンはアルバム『George Best』に収録。録音:アラン・ジャコビー、スティーヴ・ライオン。プロデュース:クリス・アリソン。

(補足)
『Coronation Street(コロネーション・ストリート)』は、イギリスで最も長寿かつ国民的人気を誇るソープオペラで、1960年12月9日にITVで放送開始されて以来、現在も続いているプログラム。 北部の庶民生活をリアルに描いていて、DV、LGBTQ+、失業など社会問題にも積極的に取り組み、地域文化や言語に深く根ざした作品として広く親しまれている。David Gedge のような北部出身のアーティストにとっては、日常の一部であり、言語感覚や価値観にも影響を与える存在だったと言える。

10. Kennedy(1989年9月25日リリース)
 「Kennedy」のアレンジをしてたとき、僕は正直「これは完全にB面向きだな」って思ってた。なんか普通すぎるし、ちょっと単純すぎる気がしてね。しかも今回は珍しく恋愛じゃないテーマで歌詞を書こうとしてたから、かなり苦戦した。

 ケネディ大統領の暗殺をめぐる謎を、ゆるくベースにした曲にしようって思いついたんだけど、これがもう…今までで一番時間かかった歌詞になった。途中で「もう無理かも」って諦めかけたけど、最終的には「まあ、これでいいか」って思うようになった。どうせEPの4曲目に入るだけだろうって思ってたしね。

出典情報:
RCA RecordsよりリリースされたEP『Kennedy』収録。後にアルバム『Bizarro』にも収録。録音:スティーヴ・ライオン。プロデュース:クリス・アリソン。

11. What Have I Said Now?(1989年10月23日リリース)
 10~13曲目は、バース近郊のソマセットにある「The Wool Hall」っていう、ものすごく豪華なレコーディング・スタジオで録ったんだ。Tears For Fearsが所有してた場所で、RCA Recordsからそれまでとは比べものにならないくらいの予算をもらえたから、そこに行けたってわけ。

 スタジオにはなんとクロッケー・コートまであってさ。「芝生で遊ぶために1日1,000ポンド払うってどういうこと?」って、みんなで首をかしげたよ(笑)。

 「What Have I Said Now?」では、1分55秒のところで入るちょっと変わった、でもすごく美しいキー・チェンジは、ベースのキース・グレゴリーの提案だったんだ。

出典情報:
RCA Recordsよりリリースされたアルバム『Bizarro』収録。録音:スティーヴ・ライオン。プロデュース:クリス・アリソン。

12. Bewitched(1989年10月23日リリース)
 この曲のアレンジをしてるとき、「静かに、もっと静かに、さらに静かに……そして突然めちゃくちゃ大きく」っていう構成がすごく効果的だって気づいたんだ。今でこそそういうダイナミクスの変化がジャンルとして定着してるけど、僕らはそのずっと前からやってたんだよね。

 歌詞のテーマは“執着”。誰かに取り憑かれたみたいになって、もうその人のことしか考えられなくなるような状態。でも同時に“内気さ”についても書いてて、その2つが合わさると、場合によってはちょっと危うい結末になるかもしれない――そんなことを暗に示してる。

 タイトルの「Bewitched」は、1960年代に僕が大好きだったテレビ番組から拝借したもの。あとで『HIT PARADE』のビデオ集に『DICK YORK'S WARDROBE』って名前をつけたときも、その番組にちなんでるんだ。

出典情報:
RCA Recordsよりリリースされたアルバム『Bizarro』収録。録音:スティーヴ・ライオン。プロデュース:クリス・アリソン。

(補足)
この曲のタイトル「Bewitched」は1964年から1972年まで放送されたアメリカの人気テレビドラマで、日本では『奥様は魔女』のタイトルで知られている。主人公サマンサ(魔女)とその夫ダリン・スティーブンスの日常を描いたコメディで、Dick York(ディック・ヨーク)は初代ダリン役として出演していた。David Gedge は「Bewitched」という曲のタイトルをこの番組から取ったと明言しており、さらに『HIT PARADE』のビデオコンピレーションに「Dick York's Wardrobe(ディック・ヨークの衣装部屋)」というタイトルをつけたのも、Dick Yorkが出演していたこの番組へのオマージュです。

13. Take Me!(1989年10月23日リリース)
 僕が録音された音楽の中で一番好きな作品のひとつが、The Velvet Underground の『LIVE 1969』に入ってる「What Goes On」のライブ・バージョンなんだ。だから「Take Me!」を作るときに、あの曲の影響を受けてないって言ったら…それは嘘になるね。

 「Take Me!」は9分半近くある長尺の曲で、録音直前にエンジニアのスティーヴ・ライオンが「テープ、ギリギリ足りるかも」って言ってきた。彼はテープの残り1分のところに白い鉛筆で印をつけて、僕らはそこから思いっきり演奏を始めた。

 その印が過ぎた瞬間、彼とプロデューサーのクリス・アリソンがコントロール・ルームから必死にジェスチャーしてきて、「テープが終わるぞ!」って警告してた(笑)。

出典情報:
RCA Recordsよりリリースされたアルバム『Bizarro』収録。録音:スティーヴ・ライオン。プロデュース:クリス・アリソン。

14. Brassneck(1990年2月5日リリース)
 「Kennedy」の次に「Brassneck」を『BIZARRO』からの2枚目のシングルにしたかったんだけど、アルバムに入ってるバージョンは、僕らがこの曲に感じてた“激しさ”をうまく捉えきれてない気がしてた。

 ちょうどその頃、アメリカのエンジニア、スティーヴ・アルビニと一緒にやってみたいって思ってて、「Brassneck」を再録することで、彼との相性を試してみようってことになった。結果的に、すごくうまくいったよ。

 それと、僕は昔からコミックが大好きで、今では自分のもあるくらいなんだ(『TALES FROM THE WEDDING PRESENT』っていうやつ)。ちなみに「Brassneck」っていう名前は、昔『THE DANDY』っていうイギリスの漫画に出てた人気キャラから取ってるんだ。

出典情報:
RCA RecordsよりリリースされたEP『Brassneck』収録。後に『Bizarro』の拡張版にも収録。初期バージョンはアルバム『Bizarro』に収録。録音:スティーヴ・アルビニ。。

(補足)
『THE DANDY』とは1937年創刊のイギリスの児童向け週刊コミック誌で、2012年まで紙媒体で発行されていた。発行元はスコットランド・ダンディーに拠点を置くDC Thomson社。主なジャンルはユーモアと冒険。一時期は週200万部以上を売り上げるほどの人気を誇り、イギリス文化に深く根付いた雑誌。 Brassneckは、同誌に登場する少年型ロボットキャラクターから取られたが、望遠伸縮する手足などユニークな機能を持つ一方、戦闘用に作られたが、戦うより遊ぶのが好きという“欠陥”があるという設定がある。このBrassneckという言葉自体はイギリス英語の口語表現で、「厚かましさ」「図々しさ」「恥知らずな大胆さ」を意味するが、この“厚かましさ”という意味と、漫画的なユーモアの融合を意識したネーミングだったと思うし、TWPの歴史では漫画に由来する曲やアルバム・タイトルが度々登場する。そもそものアルバム・タイトル『Bizarro』の由来自体がコミック版『スーパーマン』に登場するスーパーマン・ドッペルゲンガーの日本名でも知られる有名な悪役キャラ「ビザロ」から取られている。

15. Crawl(1990年9月17日リリース)
 2回目のアルビニとのセッションは、1990年の北米ツアーのシカゴ公演とサンフランシスコ公演の間に、Chicago Recording Companyっていうスタジオで行ったんだ。「Crawl」と「Corduroy」、それから Steve Harley の「Make Me Smile (Come Up And See Me)」のカバーを録音した。

 「Crawl」の冒頭では、ちょっと柔らかめの歌い方に挑戦してみたんだけど、ギターの激しさとか、歪んだベース、ドラムの轟音とはちょっと対照的だったかもね。

 ありがたいことに、アルビニは前回みたいに金属製のピックを使えとは言ってこなかった。最初のセッションでは、僕のストロークの激しさのせいでギターが傷だらけになって、しかも僕自身の血までついてたからね(笑)。

出典情報:
RCA RecordsよりリリースされたシングルEP『3 Songs』収録。後に『Seamonsters』の拡張版にも収録。録音:スティーヴ・アルビニ。

(補足)
歌詞の中には「It’s time for him to crawl back under his stone(彼は石の下に這って戻る時だ)」という一節がある。 これは、恥ずかしさや敗北感から“隠れたい”という心理状態を表すイギリス英語の表現。全体の歌詞では、過去の過ちや嘘、壊れた関係について歌われていて、「でも本当はそんな風じゃなかったんだ」という自己弁護と否認が繰り返され、自分の過去と向き合う苦しさや、相手に許しを乞うような姿勢を象徴していると考えられる。David Gedge はこの曲の冒頭で「柔らかい歌い方」を試みたと語っているが、それは歌詞の内省的なトーンと呼応しているとも言え、一方で、ギターやベース、ドラムは激しく、感情の爆発と抑圧のコントラストが際立っている。つまり「Crawl」という言葉は、単なる動作ではなく、感情的な“後退”や“自己崩壊”の象徴として用いられているのだと思う。

16. Dalliance(1991年4月29日リリース)
 この曲は、意図的にドラマチックな構成にしてあるんだ。ベースのキース・グレゴリーは「爆発がどんどん大きくなっていくみたいだ」って言ってた。静かなパートでも、ドラムやギターのフレーズが突然飛び出してくる感じがあってさ。
 2分46秒のところで、インスト部分が一気に音量アップして、そこからさらに激しくなる。アルビニはそのダイナミクスをすごくうまく捉えてくれたし、むしろさらに強調してくれたと思う。

 タイトルと歌詞の主な着想は、THE GUARDIAN紙に載ってた Sarah Johnson の記事から得たんだ。彼女は作家Jilly Cooperの夫の元愛人で、その告白がすごく印象的だった。

出典情報:
RCA RecordsよりリリースされたEP「Dalliance」収録。後にアルバム『Seamonsters』にも収録。録音:スティーヴ・アルビニ。

17. Dare(1991年5月28日リリース)
 「Dare」みたいな曲を書いてた頃から、新しいチューニングを試し始めたんだ。僕はこれを“Eギター”って呼んでて、6本の弦のうち4本をEに合わせてる。コードはちょっと変になるけど、最大の利点は、下の3本の弦を全部Eにすることでドローン(持続音)が鳴らせるってこと。

 これにボトルネック奏法と、90年代のYamaha製オーバードライブ――僕のお気に入りのノイジーなペダル――を組み合わせると、この曲ではサイレンみたいな音になるんだ。誰かが一度、「座礁したクジラの苦しげな鳴き声みたいだ」って言ってたよ(笑)。

出典情報:
RCA Recordsよりリリースされたアルバム『Seamonsters』収録。録音:スティーヴ・アルビニ。

(補足)
「Eギター」とは 6本の弦のうち4本をE音にチューニングした変速チューニングのこと。通常のギターは標準チューニング(E–A–D–G–B–E)のところ、Davidの“Eギター”では、低音弦から高音弦までのうち4本がE音に設定されているため、コードが奇妙になる代わりに、E音のドローン(持続音)を強調できる構造になる。また低音弦3本がすべてE音になることで、重厚でうねるようなサウンドが生まれる。この後の"Blue Eyes"をはじめ、これ以降数多くの曲でこの変則チューニングが用いられていくことになる。

18. Suck(1991年5月28日リリース)
 「Suck」含む16〜21曲目は、ミネソタの田舎にあるPachyderm Studiosっていうスタジオで録ったんだ。中にはヴィンテージのNeve製ミキシング・デスクがあって、外は雪が1メートル近く積もってた。

 スタジオを何日間予約すればいいか、アルビニに聞いたら、「BIZARROの録音に6週間かかった」って言った瞬間、彼はドン引きしてたよ。「6週間?! 長すぎるだろ!ビートルズなんて週末でアルバム録ってたぞ。それであんなに良い音なんだから」って(笑)。

 僕らは「いや、でも僕らはビートルズじゃないし…」って返して、じゃあ2週間でどう?って聞いたら、「まあ、好きにすれば」って感じだった。

 で、録音開始から12日目にNMEのアンドリュー・コリンズが取材に来たんだけど、もう全部録り終わってたんだよね。

出典情報:
RCA Recordsよりリリースされたアルバム『Seamonsters』収録。録音:スティーヴ・アルビニ。

19. Blonde(1991年5月28日リリース)
 この曲は、僕らにしては珍しくフェードインで始まって、フェードアウトで終わるんだ。繊細なギターのつま弾きに、しつこく刻むハイハット、シンプルなベースラインっていう構成でね。

 それと、これまた珍しくワウ・ペダルを使ってる。ボーカルは“普通”に録っただけじゃなくて、アルビニが部屋の奥にもマイクを置いて、大声を出したときだけそのマイクに届くようにしてた。だから叫びの部分がちょっと不気味な感じになってるんだ。

 『Seamonsters』の曲は全部一語タイトルにしたんだけど、それはバンドが初期の段階から脱却したっていう気持ちの表れでもある。たとえば「You Should Always Keep In Touch With Your Friends」みたいな長いタイトルとは距離を置きたかった。

 「Blonde」っていう言葉には、華やかさ、偽り、自信、虚栄、冷たさ、挑発的な感じ…いろんな意味が詰まってるから、すごく気に入ってるんだ。

出典情報:
RCA Recordsよりリリースされたアルバム『Seamonsters』収録。録音:スティーヴ・アルビニ。

20. Corduroy(1991年5月28日リリース)
 「Corduroy」は、1990年にシカゴで録音した『3 SONGS EP』の3曲のうちのひとつなんだけど、『Seamonsters』に入れることは最初から決めてたから、アルバム全体のムードから浮かないように再録することにしたんだ。

 このバージョンは、前の録音よりも音が大きくて、暗くて、切迫感がある仕上がりになってる。『Seamonsters』では、前の曲「Lovenest」と1分くらいの“休止音”――古いGibsonetteアンプのブーンというノイズ――で繋がってるんだ。

出典情報:
RCA Recordsよりリリースされたアルバム『Seamonsters』収録。初期バージョンは「3 Songs EP」に収録。録音:スティーヴ・アルビニ。

21. Heather(1991年5月28日リリース)
 アルビニの音作りには、何か特別な秘密があるってわけじゃないと思うんだ。もちろん、スネアのヘッドにバーナーを当てるとか、変わったこともしてたけど(笑)、基本的にはよく練習されたバンドが、ちゃんと整備された機材を使って、音響的に適した部屋でライブ演奏する音をそのまま録るっていうスタイルだった。
  彼はどのマイクを使うべきか、どこに置くべきかを完璧に把握してた。

 この曲「Heather」で特に面白いのは、ミックスの段階でボーカルの定位を動かしてるところ。普通はリード・ボーカルってずっとセンターにいるもんだけど、アルビニのアイデアで、聴いてる人がちょっと不安になるような効果を狙って、左右に揺らしてるんだ。

出典情報:
RCA Recordsよりリリースされたアルバム『Seamonsters』収録。録音:スティーヴ・アルビニ。

22. Blue Eyes(1992年1月6日リリース)
 「Blue Eyes」は、新しいラインナップで初めて取り組んだ曲なんだ。ギターにはポール・ドリントンが加わってる。これは典型的な“Eギター”の曲で、変則チューニングにしたストラトキャスターで最初のリフを書いたとき、「これ、僕っぽくないな」って思った。でもそれがすごく良かったんだよね。

 このリフは僕のお気に入りのひとつなんだけど、実は自分で弾くにはちょっと難しすぎるんだ(笑)。 面白いのは、サビが一番“ゆるい”パートになってるってこと。普通はサビで盛り上がるもんだけど、この曲では逆なんだ。

 録音はマンチェスターのStrawberry Studiosで行って、プロデュースはクリス・ネイグル。

出典情報:
RCA Recordsよりリリースされたシングル「Blue Eyes」収録。後にコンピレーション・アルバム『Hit Parade 1』にも収録。録音・プロデュース:クリス・ネイグル。

23. Come Play With Me(1992年5月4日リリース)
 これは、今のところ僕らの最大のヒット・シングルのタイトル曲なんだ。1992年にチャート10位まで上がった。

 プロデューサーのイアン・ブラウディとエンジニアのチェンゾ・タウンゼンドが、アルビニ以降の僕らの“激しさ”にポップな光沢を加えてくれたのが、ヒットの要因だったかもしれない。でも僕としては、バンクホリデーにリリースされて即完売したっていうタイミングの妙が、他のチャート競合の売上を下げたんじゃないかって思ってる(笑)。

 ちなみにタイトルは、1977年の有名なソフトコア・ポルノ映画から拝借したんだけど…実はまだ観たことないんだよね。

出典情報:
RCA Recordsよりリリースされたシングル「Come Play With Me」収録。後にコンピレーション・アルバム『Hit Parade 1』にも収録。録音:チェンゾ・タウンゼンド。プロデュース:イアン・ブラウディ。

(補足)
バンクホリデー(Bank Holiday)はイギリスの祝日で、多くの人が休暇を取り、レコード店やCDショップに足を運ぶ人が増える時期。特に1990年代初頭は、フィジカル(CDやレコード)の売上がチャート順位に直結していたため、発売初週の売上が極めて重要だった。この曲はまさにこの年のバンクホリデー(5/4)にリリースされたことで、ファンが一気に購入し即完売した一方で、他のアーティストの新譜は祝日明けに売上が分散した可能性があり、競合の売上が“平常週”に比べて伸び悩んだからこそ、相対的にThe Wedding Presentの売上が目立ち、チャート上位に食い込めたということになる。

24. Flying Saucer (1992年7月6日リリース)
 「Flying Saucer」を含む22~24曲目は、The Wedding Present が1992年に展開した『The Hit Parade』シリーズの7インチ・シングルからの収録曲なんだ。このプロジェクトは、“ただのアルバム”とは違うことをやりたいっていう思いから始めたんだよね。

 この曲は、3コードで突っ走るシンプルなロックで、歌詞は軽いSF風味のユーモアが効いてる。でも僕のパートは、歪ませたドローン音を3分間ずっと鳴らし続けるっていうもので、それが曲を“軽すぎる”感じにさせない役割を果たしてると思ってる。

 プロデューサーのジミー・ミラーはこの曲をすごく気に入ってて、録音チェックのためにプレイバックを聴いてるときに、タンバリンをノリノリで振り始めたんだよね。正直、めっちゃ気が散ったけど(笑)。

出典情報:
RCAレコードよりリリースされたシングル「Flying Saucer」収録。 後にコンピレーション・アルバム『Hit Parade 2』にも収録。 プロデュース:ジミー・ミラー。

25. Click Click (1994年9月12日リリース)
 25~26曲目は、アルバム『Watusi』からの収録曲。録音はワシントン州シアトルにあるBad Animalsスタジオで行ったんだけど、ここはHeartのウィルソン姉妹が所有してるスタジオなんだ。

 『Watusi』では、曲のアレンジ方法をいろいろ試してみた。僕自身は、今やバンドの“持ち味”になってるダイナミックな展開を、大音量のオーバードライブ・ペダルを使わずにどう作れるかってことに興味があって、結果的に1970年代以前のクラシックな作曲技法をいろいろ実験することになった。

 この曲の特徴は、最後に30秒間のアカペラ・セクションがあるってところ。歌ってくれてるのは、Beat Happening のヘザー・ルイスだよ。

出典情報:
Island Recordsよりリリースされたアルバム『Watusi』収録。録音:ジョン・グッドマンソン。プロデュース:スティーヴ・フィスク。

26. Spangle (1994年9月12日リリース)
 『Watusi』の曲を集めてる最中、いつものようにシングルのB面用に別アレンジのバージョンを録ろうって話をしてたんだ。アコースティック・バージョンを想定してたんだけど、プロデューサーのスティーヴ・フィスクの影響力は予想以上だった。

 彼が紹介してくれたのがOptigan(オプティガン)っていうキーボードで、1970年代初頭にアメリカの玩具メーカーMattelの子会社が作ったものなんだ。名前の由来は、音源が光学式のサウンドトラック・ディスクから再生されるっていう仕組みにある。

 「Spangle」のOptiganバージョンを作ってるうちに、「これ、アルバムに入れるべきだよね」ってなって、バンド演奏版じゃなくてOptigan版を採用することにしたんだ。

出典情報:
Island Recordsよりリリースされたアルバム『Watusi』収録。録音:ジョン・グッドマンソン。プロデュース:スティーヴ・フィスク。

27. Convertible (1996年1月22日リリース)
 「Convertible」は、ミニ・アルバム『Mini EP』に収録された曲で、このコンピレーションの中で最も短い曲なんだ。それに加えて、The Wedding Present 初のデュエット曲でもある。

 一緒に歌ってるのは、当時新しくバンドに加わったジェイン・ロッキーで、彼女はベースとコーラスも担当してた。

 録音はウェールズのモンマスシャーにあるRockfield Studiosで行ったんだけど、あのQueenが「Bohemian Rhapsody」を録ったスタジオでもあるんだよね。

 リズム・ギターは変則チューニングのおかげで、すごく豊かでキラキラした音になってるし、ベースとリード・ギターが同じリフをユニゾンで繰り返すセクションもあって、そこがすごくクールなんだ。

 あと、ハモンド・オルガンのパートは完全に“ポストWatusi”って感じで、あの時期の音作りの延長線上にあるね。

出典情報:
Cooking Vinyl Recordsよりリリースされた『Mini EP』収録。後にコンピレーション・アルバム『Singles 1995–1997』にも収録。録音:チェンゾ・タウンゼンド。プロデュース:チェンゾ・タウンゼンド & The Wedding Present。

28. Montreal (1996年9月9日リリース)
 28~29曲目は、アルバム『Saturnalia』からの収録曲。このアルバムは、ギターにサイモン・クリーヴが加入してから初めて録った作品でもある。

 最初に彼と一緒に作った曲が「Montreal」と「2,3, Go」で、どっちも新しいレーベルのCooking Vinylからシングルとしてリリースされたっていうのは、象徴的だと思う。

 「Montreal」では、サイモンが考えたコーラスのリフをピアノに置き換えて、ちょっと物悲しい雰囲気に仕上げたんだ。

 ジェイン・ロッキーが初めてこの曲の憂いを帯びた歌詞を聴いたときに、「ああ…悲しいね」ってため息をついたんだけど、それがまさに僕が聴き手に感じてほしかった感情だったから、すごく嬉しかったよ。

出典情報:
Cooking Vinyl Recordsよりリリースされたアルバム『Saturnalia』収録。後にEP「Montreal」にも収録。録音:チェンゾ・タウンゼンド。プロデュース:チェンゾ・タウンゼンド & The Wedding Present。

29. Kansas (1996年9月9日リリース)
 “I don’t think we're in Kansas any more”っていう歌詞は、1939年の映画『オズの魔法使い』でドロシーが言うセリフをアレンジしたものなんだ。このフレーズは、自分が奇妙な状況に置かれていると感じたときによく使われるよね。

 それから、“just close your eyes and tap your heels”っていう歌詞も、同じ映画から拝借したんだ。

 『Saturnalia』の録音は、ロンドンのテムズ川沿い、トゥイッケナムとリッチモンドの間にあるSeptember Soundスタジオで行った。ここは以前、ピート・タウンゼンドのEel Pie Studiosだったんだけど、僕らが使ったときにはCocteau Twinsが所有してたんだよ。

出典情報:
Cooking Vinyl Recordsよりリリースされたアルバム『Saturnalia』収録。録音:チェンゾ・タウンゼンド。プロデュース:チェンゾ・タウンゼンド & The Wedding Present。

(補足)
映画『オズの魔法使い』の冒頭、主人公のドロシーは灰色のモノクロ映像で描かれたカンザスに住んでいる。ある日、竜巻によって家ごと飛ばされ、目を覚ましたドロシーが扉を開けると、そこには色鮮やかなオズの国が広がっていて、彼女はこう言う。
“Toto, I've a feeling we're not in Kansas anymore.”
この瞬間、映画はモノクロからテクニカラーに切り替わり、現実からファンタジーへの転換が視覚的にも明確に示される。David Gedge がこのセリフを引用したのは、感情的・状況的な“異世界感”を表現するためだったのだろうと推測する。恋愛や人間関係において、予期せぬ展開や心の混乱に直面したときの“現実が揺らぐ”ような感覚を、「カンザスじゃない」=もう元の世界には戻れない、という感覚を表しているのだと。

30. I'm From Further North Than You (2005年1月31日リリース)
 『Take Fountain』の制作では、またシアトルでスティーヴ・フィスクと一緒に仕事をしたんだけど、今回はRobert Lang Studiosで録音したんだ。ここはワシントン州ショアラインにあるスタジオで、Nirvanaが最後にスタジオ録音をした場所としても知られてる。

 当時、僕はシアトルに住んでたんだけど、サイモン・クリーヴはドイツのケルン、テリー・デ・カストロはロサンゼルス、カリ・パーヴォラはロンドンに住んでて、リハーサルの調整は本当に大変だったよ!

 「I'm From Further North Than You」って曲の元々のタイトルは“Edinburgh”だったから、プロモーション・ビデオもエディンバラで撮影したんだ。

出典情報:
Scopitones Recordsよりリリースされたシングル「I'm From Further North Than You」収録。後にアルバム『Take Fountain』にも収録。録音:スティーヴ・フィスク。プロデュース:スティーヴ・フィスク & The Wedding Present。

31. Interstate 5(2005年2月14日リリース)
 30~32曲目は、アルバム『Take Fountain』からの収録曲。このアルバムは、前作『Saturnalia』からほぼ10年ぶりのリリースだったんだけど、その間は“もうひとつのバンド”Cineramaの活動に集中してたんだよね。

 実は『Take Fountain』も最初はCineramaのプロジェクトとして始まったんだけど、シアトルでレコーディングしてるうちに、これはThe Wedding Present名義で出すべきだって判断したんだ。

 そのきっかけのひとつが「Interstate 5」で、オーケストラ・ポップというより、かなりインディー・ロック寄りのサウンドだったからね。ただし、このロング・バージョンのアウトロは完全に“シネラマ的”で、モリコーネ風のアレンジが効いてる。

 それで、アルバムのリリースはバレンタイン・デーに合わせるのがぴったりだなって思ったんだ。

出典情報:
Scopitones Recordsよりリリースされたアルバム『Take Fountain』収録。短縮版はシングル「Interstate 5」に収録。録音:スティーヴ・フィスク。プロデュース:スティーヴ・フィスク & The Wedding Present。

32. Perfect Blue(2005年2月14日リリース)
 「Perfect Blue」は『Take Fountain』のラストを飾る曲で、アルバムを壮大に締めくくることを狙ったんだ。最初はギターと歌だけの静かな始まりなんだけど、最後にはバンド全体にストリングス、さらにはフレンチホルンまで加わって、ものすごいダイナミックな展開になる。

 “Fountain Avenue”っていうのは、ロサンゼルスにある小さな通りで、有名なSunset BoulevardとSanta Monica Boulevardの間にあるんだ。

 昔、ジョニー・カーソンがベティ・デイヴィスに“ハリウッドに入りたい若手女優へのアドバイスは?”って聞いたとき、彼女はこう答えたんだよね:

“Take Fountain.”(ファウンテン通りを行きなさい)

ってね。

出典情報:
Scopitones Recordsよりリリースされたアルバム『Take Fountain』収録。録音:スティーヴ・フィスク。プロデュース:スティーヴ・フィスク & The Wedding Present。

33. Don't Take Me Home Until I'm Drunk(2008年5月26日リリース)
 33~34曲目は、アルバム『El Rey』からの収録曲で、シカゴのElectrical Audioスタジオでスティーヴ・アルビニと一緒に録音したんだ。The Wedding Presentとして彼と録音するのは『Seamonsters』以来だったけど、その間にCineramaでは何度か彼と仕事してたんだよね。

 “Don't Take Me Home Until I'm Drunk”っていうタイトルは、1961年の映画『ティファニーで朝食を』でホリー・ゴライトリーが言うセリフから取ってる。

 録音では、“very drunk indeed”っていうくだりの後に、東京でライブをしたときに買った日本製のおもちゃの、キュッキュッと鳴る声が入ってるんだ。あれ、ちょっとした遊び心なんだけど、いいアクセントになってると思う。

出典情報:
Vibrant Recordsよりリリースされたアルバム『El Rey』収録。録音:スティーヴ・アルビニ & ピート・マグダレノ。

(補足)
引用元となった映画『ティファニーで朝食を』(1961年)でホリー・ゴライトリーが言うセリフ
“Don’t take me home until I’m drunk — very drunk indeed.”
このセリフは、ホリーが感情的に不安定になっている場面で登場する。彼女は過去の結婚生活を清算し、自由を手に入れたはずなのに、心の中では孤独や不安を抱えていて、その複雑な心情を紛らわせるために、ポール(主人公)に向かってこのセリフを言い、夜の街で酔い潰れるまで付き合ってほしい、自分の感情を麻痺させたい、現実を忘れたいという切実な願いを込めて懇願するのだ。
この曲は一夜の出会いの甘さと切なさ、そしてその裏に潜む虚しさを描いた曲で、その場のロマンチックな雰囲気と、女性の感情的な防御反応を同時に表している。物語は甘いムードから始まるが、酔いから冷めた翌朝にはこんなショートメッセージが届く「I’m getting back together with my old fiancé. I’m sorry, by the way.(やっぱり前の婚約者とやり直すよ、とにかくゴメンね)」この一文で、前夜の親密さが一瞬で幻だったことが明らかになり、まさにホリー・ゴライトリーのように、自由を求めながらも誰かに寄り添いたいという矛盾した感情が浮き彫りになる瞬間だ。まさにDavid Gedge節の代表的な1曲だと思う。余談だが、ここで聞こえる東京で買ったおもちゃとは「たまごっち」のこと。2009年に実に16年ぶり2回目となるジャパン・ツアーが行われているが、その時ではなく、アルバム『El Rey』前年の2007年にプライベートで旅行した時に購入したようだ。よってここでのDavidのコメントは単純な記憶違いではないかと思われる。

34. Boo Boo(2008年5月26日リリース)
 この時期、テリー・デ・カストロがWedding Presentのベーシストだったんだけど、34〜35曲目の2曲ではギターで共作してくれたんだ。彼女はロサンゼルスに住んでたから、キーボードで作ったリフをMIDIに変換して、メールで僕に送ってくれたんだよね。  それを元に、スコットランドのリハーサル・ルームでアレンジを進めたんだけど、テリーがギタリストのクリス・マッコンヴィルに直接パートを教える場面もあった。

 曲は最初もっと速かったんだけど、テンポを落としたことで、スティーヴ・アルビニのドラム・サウンドが空間的に響くようになって、結果的にすごく良かったと思ってる。

 ちなみに、曲のタイトルはハンナ=バーベラのアニメキャラクターから取ったんだけど、そっちでは“Boo-Boo”って綴るんだよね。

出典情報:
Vibrant Recordsよりリリースされたアルバム『El Rey』収録。録音:スティーヴ・アルビニ & ピート・マグダレノ。

(補足)
タイトルはハンナ=バーベラのアニメ『ヨギ・ベア』に登場するBoo-Boo Bearから取られているが、歌詞の中では直接的なキャラクターの意味合いはなく、むしろ甘くて切ないニックネームとして機能しており、かつての恋人に対する親しみと痛みを込めた呼び名として使われる。
“You just don’t get it at all, do you? Boo Boo!” “The reason I call is that I still love you”
語り手は、別れた相手と久しぶりに会い、楽しい時間を過ごしながらも、相手が別の人と付き合っている現実に苦しんでいる。 それでも「会えないよりはマシ」と自分に言い聞かせながら、未練と愛情を抑えきれずに“Boo Boo”と呼びかけるのだ。

35. Deer Caught in the Headlights(2012年3月19日リリース)
 この曲は、Wedding Present史上最もラウドでロックな仕上がりになってると思う。だからこそ、コントラストをつけるために、最後にはギタリストのグレアム・ラムジーがフランスのSegré-en-Anjou BleuにあるBlack Boxスタジオの外でハーモニウムを弾いてる、穏やかな録音を編集で加えたんだ。

 ライブでこの曲を演奏し始めた頃、静かなパートでは“If I was a painter, I’d just paint portraits of you”って歌ってたんだけど、当時のマーチャンダイザーだったドーンが“wasじゃなくてwereでしょ”って指摘してくれてね。確かに文法的にはその通りだった。

 ミックスを担当してくれたアンドリュー・シェプスはこの曲をすごく気に入ってくれて、“もっと長くすべきだった”って言ってたよ。

出典情報:
Scopitones Recordsよりリリースされたアルバム『Valentina』収録。録音:ピーター・ダイメル、デイヴィッド・オドラム、ユリシーズ・ノリエガ。ミックス:アンドリュー・シェプス。

(補足)
ここで"If I were"としているのは、仮定法過去型だから。現実とは異なる仮定や空想を表すときに使う文法で、この場合「私は画家ではないけれど、もし画家だったら…」という非現実的な仮定を表している。ちなみに日本で初めてこの曲が披露された2010年5月7日のライヴではまだ"If I was~"で歌われていた。その模様は翌年日本限定でリリースされた2枚組ライヴ作『BIZARRO : LIVE IN TOKYO, 2010』で聴くことができる。

36. Two Bridges (2016年9月2日リリース)
 この曲は2013年にシングルとして初めてリリースされたんだけど、『Going, Going…』のアルバム用に再録音したんだ。「Corduroy」のときと同じように、アルバム全体の流れから浮かないようにしたかったんだよね。

 それに、フランスのサン=レミ=ド=プロヴァンスにあるStudios De La Fabriqueの巨大なライブ・ルームで、アンドリュー・シェプスが作り出した音響を活かしたかったっていうのもある。

 『Going, Going…』のアルバムに収録された曲は全部、アメリカの地名にちなんだタイトルになってて、“Two Bridges”はニューヨークのブルックリン橋とマンハッタン橋の近くにある地区なんだ。

出典情報:
Scopitones Recordsよりリリースされたアルバム『Going, Going…』収録。初期バージョンはシングル「Two Bridges」に収録。録音・プロデュース:アンドリュー・シェプス & The Wedding Present。

37. Rachel (2016年9月2日リリース)
 『Going, Going…』のレコーディングは国際的なプロジェクトだったよ。フランスのStudios De La Fabriqueを使っただけじゃなくて、ワシントン州シアトルのCrackle And Popスタジオでも録音したんだ。特に“Rachel”のストリングス・セクションは、そこで録ったものが曲を豊かにしてくれてる。

 それから、昔『The Hit Parade』シリーズを録音したリヴァプールのスタジオにも戻ったんだけど、そこは1992年にはAmazonスタジオって呼ばれてて、2016年にはParr Streetスタジオになってた。今はもう閉鎖されちゃったけどね。

 ちなみに『Going, Going…』っていうタイトルは、フィリップ・ラーキンが1972年に書いた詩のタイトルから取ってるんだ。

出典情報:
Scopitones Recordsよりリリースされたアルバム『Going, Going…』収録。初期バージョンはシングル「Two Bridges」に収録。録音・プロデュース:アンドリュー・シェプス & The Wedding Present。

(補足)
フィリップ・ラーキンの詩「Going, Going」(1972年)は、イギリスの田園風景が失われていくことへの嘆きと、消費社会・都市化への鋭い批判を込めた作品。もともとはイギリス政府の環境省(Department of the Environment)から依頼された詩で、報告書『How Do You Want To Live?』の序文として書かれた 。
詩は、「イギリスの田舎は永遠に残るだろう」と信じていた語り手が、徐々にその信念を失っていく過程を描く。
冒頭では、のどかな風景や自然の美しさが語られるが、次第にコンクリート、廃棄物、騒音、広告、そして乱開発がそれを侵食していく様子が描かれる。
最後には、「すべてが売り払われてしまう」という諦念と怒りが込められた結末へと至る。
タイトルは競売人の掛け声「Going, going, gone!(さあ、売れますよ、売れますよ、はい、落札!)」から来ているが、 詩では「Gone」まで言わずに止めており、「まだ間に合うかもしれない」というかすかな希望や、破壊が進行中であることへの警鐘を暗示している。
David Gedge がアルバム『Going, Going…』にこの詩のタイトルを引用したのは、「失われていくもの」への哀愁や、時間と場所の移ろいをテーマにした作品群にぴったりだったからだと考えられる。
アルバムの各曲がアメリカの地名を冠しているのも、風景と記憶、変化と喪失をめぐる旅のような構成になっており、ラーキンの詩と響き合っている。

38. I Am Not Going To Fall In Love With You (2023年5月19日リリース)
 ソングライターって、普通は常に新しいアイデアを追い求めたくなるものなんだけど、この曲に関してはそんな幻想は持ってないよ。

 「I Am Not Going To Fall In Love With You」には、The Wedding Presentらしさがしっかりと染み込んでる。この曲はジョン・スチュワートとの共作で、彼はSleeperのギタリストでもあるし、大学時代にThe Wedding Presentのファンだったんだよね(ちょうど僕らがRCAにいた頃)。

 彼がこの曲を思いついたときは、まるで『Bizarro』と『The Hit Parade』のエッセンスを蒸留したボトルを飲んでたみたいだったよ。

出典情報:
CLUE Recordsよりリリースされたコンピレーション・アルバム『24 Songs』収録。初期バージョンはシングル「I Am Not Going To Fall In Love With You」に収録。録音:トビアス・メイ。プロデュース:トビアス・メイ & The Wedding Present。

39. Science Fiction (2023年5月19日リリース)
 38~39曲目は、ブライトンのMetwayスタジオでトビアス・メイが録音したもので、このスタジオはLevellersのメンバーが所有・運営してるんだ。両曲とも、2022年に7インチ・シングルとして編集版がリリースされた。

 この曲は、メラニー・ハワードが書いたベースラインから始まったんだけど、彼女は幻想的なバッキング・ボーカルも担当してくれてる。歌詞はけっこう沈んだ内容なんだけど、僕はというと、ハリウッドの高級ホテルで優雅に過ごしながら書いたっていうね…ちょっとグラマラスでしょ?

出典情報:
CLUE Recordsよりリリースされたコンピレーション・アルバム『24 Songs』収録。初期バージョンはシングル「Science Fiction」に収録。録音:トビアス・メイ。プロデュース:トビアス・メイ & The Wedding Present。

(補足)
「Science Fiction」は、失恋の痛みと現実逃避の願望を、SF的なイメージを通して描いた曲。タイトルの“S.F.”(=Science Fiction)は、空想の世界に逃げ込みたいという感情の象徴として使われている。
曲は、宇宙人が地球に降り立つという夢のような場面から始まる。
“Aliens have landed / I don’t know what they’ve demanded / but the Earth will never be the same again”
しかしその後、語り手は目を覚まし、世界は昨日と何も変わっていないことに気づく。
宇宙人の侵略やコンピューターによる支配など、SF映画のような非現実的なイメージが登場する一方、現実では恋人と別れたまま、毎日名前を呼び続けてしまうほど未練が残っている。
“We broke up but I still call your name, like I do every day”(僕らは別れたけど、毎日のように君の名を呼んでしまう)
このストーリーこそが本シリーズでも特にこの楽曲が人気を集めている理由でもある。

40. Hot Wheels (2025年12月5日リリース)
 この曲は、(執筆時点ではまだリリース前の)『MAXI EP』からの収録曲。レコーディングでは、トビアス・メイと一緒にMetwayスタジオに戻ったんだけど、ブライトン近郊のPortsladeにあるSalvation Music Studiosも使ったんだ。

 『MAXI』のために書いた曲は、わりと短期間で仕上げたんだけど、それは僕自身の人生でいろんな出来事があって、歌詞面でも音楽面でもすごくインスピレーションが湧いてたからなんだ。新しく加入したギタリスト、レイチェル・ウッドとの共作もあって、すごく刺激的だったよ。

 ちなみに「Hot Wheels」っていうタイトルは、1960年代からアメリカの玩具メーカーMattelが出してるミニカーシリーズの名前から拝借したんだ。

出典情報:
CLUE Recordsよりリリース予定のEP『MAXI』収録。録音:トビアス・メイ & ジェイク・ステイナー。プロデュース:トビアス・メイ & The Wedding Present。



マーク・ボーモント ライナーノーツ訳  

Est 1985(1985年創業)

針が溝に触れた瞬間、まるで旋風がターンテーブルから瞬時に舞い上がり、ペトゥラ・クラークの「ダウンタウン」を破壊しに飛び去っていくかのような音が響いた。その渦中には無数の音楽が渦巻いていた——ポストパンク、ノイズロック、熱狂的なガレージポップ、かすかなゴシック、そして原始的なインディーポップ。それは「Go Out And Get 'Em, Boy!」と題された4分間の爽快なローファイ・ロックであり、その核心には唯一無二の存在感が宿っていた。デイヴィッド・ルイス・ゲッジは、情熱的で無垢な、そして反抗的なほど北国風の声で、感情の渦に息も絶え絶えになりながら、右腕が燃えているかのように狂ったようにギターを掻き鳴らし、唸るような歌声で人生の意図を歌い上げた:

「外には広い世界が広がっているが、それは急速に縮みつつある。
 お前はそれを全て掴み、永遠に、あるいは、ただ一生だけでも、それを永続させたいと思うだろう」

1985年当時、デイヴィッド・ゲッジはリーズのオルタナティブ・ロック・バンド、ザ・ロスト・パンダスの25歳の生き残りだった。彼はベーシストのキース・グレゴリーと共に新バンド、ザ・ウェディング・プレゼントを結成した。この新たなグループはポップ・ラジオ、パンクの奔放さ、 ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、そしてデイヴィッドの旧友バンドであるザ・カメレオンズに魅了され、ザ・バースデイ・パーティーへのオマージュを込めて名付けられた。彼らは自主レーベル「レセプション・レコード」から自費でデビュー・シングルをリリースした。

40年の歳月を経て、彼はオルタナティヴ・ミュージック界の伝説的存在となった。モダン・ギター・ロック(そしてそれに触発されたすべての音楽)の創始者であり設計者のひとりであり、ロック史上最も豊かで、耳に残り、そして一貫して魅了し続けるカタログを築き上げた稀代のマスターマインドである。

この記念盤に収められた40曲――The Wedding Presentの活動年数に合わせて1年につき1曲ずつ〔訳注:実際には違う〕選ばれた、まさに“贈り物”のような楽曲群――は、凡百のバンドには到底成し得ない、全曲が傑作と呼べる驚異的なセレクションだ。しかし実のところ、これらは彼らの壮大な作品群のほんの一端にすぎない。時代を超えて輝き続けるその偉業は、熱狂的なカルト的支持を生み出し、時にはチャートを席巻しながら、人間関係の複雑な糸から、誰もが共感できる豊かで奥深い世界を織り上げてきた――憧れや欲望、歓喜と絶望、裏切りと復讐、そして最終的には苦悩の末に得られる成熟まで。

すべてを置いてきた今、もう一度やり直そう…

1985
GO OUT AND GET ’EM, BOY!


バンドが「これが最初で最後のリリースになるかもしれない」と思っていた可能性すらある中で、デビュー・シングルのA面「Go Out And Get ’Em, Boy!」は、フックとアイデア、そして狂騒的なエネルギーがぎっしり詰まった一曲だった。
デヴィッドが政治的なテーマに触れた数少ない楽曲のひとつで、フォークランド紛争に触発された部分もある。

この曲はアンダーグラウンド・シーンに嵐を巻き起こし、最初にプレスされた500枚の7インチ・シングルは即完売。
その後、1985年後半にCity Slangから追加で1,000枚がリリースされたが、これもまた瞬く間に姿を消した。

熱心なリスナーだったデヴィッドにとって憧れの存在だったJohn Peelも当然この動きに気づき、Andy Kershawの番組でのBBC初セッションを経て、自身の番組で数多くのセッションをオファー。
こうしてThe Wedding Presentは、PeelのプレイリストやFestive Fifty〔訳注:BBC Radio 1のJohn Peel Show年末恒例の人気投票企画〕の常連として定着していくことになる。
「“Gedgeってやつは、ロックンロール時代の中でも最高のラブソングをいくつも書いてる”」――DJ John Peelのこの名言は、今も語り草だ。
「異論はあるかもしれないが、僕が正しくて君が間違ってるんだよ」とまで言い切った。

もちろん、その“異論”はとっくにGedgeの勝利で決着済みだ。
その後のリリース群は、彼が英国史上屈指のソングライターであり、心の地図を最も緻密に描ける作家であることを証明していく。
彼の会話調の詞は、日常の関係性に潜む苦悩と歓喜を鮮やかに照らし出すのだ。

そしてJohn Peelは、The Wedding Presentを大衆に届けるうえで中心的な役割を果たした。
1988年にリリースされた初期シングルとセッション音源をまとめたコンピレーション『TOMMY』は、こうした流れを裏付ける作品となった。

バンドはその後も、息つく暇もない勢いで自主制作の7インチを連発。
「Once More」や「You Should Always Keep In Touch With Your Friends」などがその代表だが、Peelセッションの音源も同じくらい魅力的で、むしろそのスピード感と荒削りさが良さを引き立てていたと言える。

1987
GEORGE BEST


The Wedding Presentのサウンドは、荒々しく制御不能なエネルギーの塊だった。それは、The Smithsが広めた“キッチン・シンク”型のオルタナティブな倦怠感を凝縮したようなもので、ローファイの稲妻のような衝撃を放っていた――瓶詰めにして保存したくなるほどに。

後年、彼ら自身はこのレッテルを嫌がるようになるが、初期のThe Wedding PresentがC86ムーブメントと同一視されるようになったのは当然の流れだった。
それは、NMEの伝説的なカセット・コンピレーションに選ばれたからだけではない。
彼らの音楽は、他のどのバンドよりも、インディ・ロック創世期の興奮と感情の浄化作用を結晶化させていた。
そしてそれは、その後何十年にもわたるギター・ロックの礎となった。

1987年のデビュー・アルバム『GEORGE BEST』は、まさにそのシーンとサウンドの体現者だった。
ギターは新幹線のようなスピードで鳴り響き、ボーカルは挑発的なほど北部訛りが強く、感情は若さゆえの恋愛劇に引き裂かれるようにして張り詰めていた。

「当時僕らが求めていたのは、明るくて鋭くて、Postcard RecordsやThe Velvet Undergroundを思わせるジャングリーなギターとパンクの組み合わせだったんだ」と、Davidは語る。

「『GEORGE BEST』は、僕にとって一番好きなWedding Presentのアルバムってわけじゃないけど、その重要性はもちろん理解してるし、ライブで演奏するのは最高に楽しいよ。
どの曲もものすごくテンションが高くて、演奏しててワクワクするんだ。
超高速ギターが延々と鳴り響くこの騒々しさは、もはやちょっと笑っちゃうくらいだよね。」

「My Favourite Dress」は、このアルバム、そしてこのシーン全体を象徴するアンセムだった。
浮気、失恋、嫉妬、クラブでの苦悩を巧みにスケッチした一曲だ。

「酔ったキスの中にすべてが見えた/見知らぬ男の手が僕のお気に入りのドレスに触れていた」

だが、このアルバムには若き恋愛の未熟なねじれがいくつも詰まっている。
「Everyone Thinks He Looks Daft」や「Give My Love To Kevin」では、投げやりな態度の裏に薄く隠された苦々しい憤りが描かれ、 「Anyone Can Make A Mistake」では、一夜の過ちの後悔が滲み出る。
そして「A Million Miles」では、新しい恋人と家路を歩く歓喜――腕には夢、足元には世界が広がっている。

このアルバムでは特に、The Wedding Presentの激しいジャングリー・ギターが、恍惚とした浮遊感にまで達していた。
『GEORGE BEST』の音は、輝きはあるが限界も感じさせるサウンドだったため、バンドとプロデューサーのクリス・アリソンは、 このノイズの超越性をさらに追求し、より密度の高い音響世界へと踏み込んでいくことになる。

「今あらためて『GEORGE BEST』を振り返ると、ちょっと単調というか、一本調子な感じがするんだよね」と、Davidは語る。
「レコーディング・スタジオの使い方を学んでから、僕らのサウンドはより洗練されていったと思う。」

たとえば1988年にリリースされたEP「Nobody’s Twisting Your Arm」や「Why Are You Being So Reasonable Now?」では、 バンドの持ち味であるメロディと疾走感はそのままに、アメリカのプレ・グランジ・シーンの“筋肉質な荒々しさ”を取り入れていた。
まるでDinosaur Jr.が、明るい英国インディ・ポップの世界で副業しているかのようなサウンドだった。

ギタリストのピーター・ソロウカの東欧系のルーツに敬意を表して、The Wedding Presentは突如としてウクライナ民謡の世界へと舵を切った。
それは3回にわたるPeelセッションで展開され、なかでも『Davni Chasy』(スラヴ版「想い出のグリーングラス」とも言える伝統曲)のダイナミックでパンク風味なカバーは特に印象的だった。

このセッション音源をまとめたコンピレーション『УКРАЇНСЬКІ ВИСТУПИ В ІВАНА ПІЛА(UKRAINIAN JOHN PEEL SESSIONS)』が、メジャーレーベルRCAと契約後に初めてリリースされたアルバムとなったことは、 このバンドがいかに妥協を許さず、定型にとらわれず、芸術性を最優先していたかを如実に物語っている。

当時の彼らは、ライブの持ち時間を最大1時間に制限し、今に至るまでアンコールという“見せかけの茶番”を拒み続けている。

「ウクライナ音楽に寄り道したのは、みんなを驚かせたし、困惑させたと思うけど、実はすごく“らしい”選択だったと思うよ」と、Davidは笑う。
「僕はね、“アルバム出してツアーして、またアルバム出してツアーして…”みたいなバンドにはなりたくなかったんだ。」

1989
BIZARRO


The Wedding PresentがRCAと契約して初めてリリースしたメジャー・アルバム『BIZARRO』(1989年)は、オルタナティヴ・ギター・ロックが持つ催眠的で包み込むような可能性を探る試みだった。
タイトルは、DCコミックスのスーパーヴィラン“Bizarro”に由来しており、Davidが古典的なコミックやパルプ文化を愛していることの初期の兆候でもある。

バンドの持ち味であるメロディの推進力は、「Brassneck」や哀愁漂う「No」でこれまで以上に輝きを放っていた。
しかし彼らは、『GEORGE BEST』よりもより立体的な音像を目指しており、アルバムの多くの部分では、 Davidの言葉に込められた圧倒的な感情を音で呼び起こすような、激しく催眠的なノイズ構築の瞬間が織り込まれていた。

「『BIZARRO』では、いろいろ試す時間があったんだ」と、Davidは語る。
「『GEORGE BEST』のときは、ギターのオーバーダブを丸一日かけて録る余裕なんてなかった。予算的に無理だったからね。 だからこそ、『BIZARRO』は『GEORGE BEST』の“より良いバージョン”みたいなものだと思ってる。

『GEORGE BEST』の録音は、ほぼライブ演奏と同じアレンジだったけど、 『BIZARRO』では、ギター・エフェクトやレイヤーの使い方をずっと意識して作ったから、音のバリエーションが豊かになったんだ。」 「Kennedy」のクライマックスに向けた爆発的な展開を聴いてみてほしい。
それはまるでマジックアイのように錯綜するギター・リフの連続で、 フックに次ぐフックが積み重なり、千本のギターが恍惚のスラッシュ・ポップの饗宴で融合するかのようだ。

あるいは「What Have I Said Now?」――家庭内の些細な口論や忍び寄る疑念の片側を描いた曲で、 その緊張感はやがてトランス状態に誘うようなクライマックスへと膨れ上がっていく。

「Take Me!」は、ロックアウトの快楽を9分間にわたって極限まで引き延ばした一曲。
そして「Bewitched」は、遠くからの献身を歌ったバンドの究極のステートメントであり、 静かで憂いを帯びた沈黙に身を潜めたかと思えば、失恋のビッグバンのように再び燃え上がる。

『GEORGE BEST』が初期インディ・ロックのスリルを封じ込めた作品だったとすれば、 『BIZARRO』こそが、The Wedding Presentがより深く響き、長く残る音と質感を築き上げたアルバムだった。
この作品は、Arctic MonkeysやYeah Yeah Yeahsをはじめとする無数のオルタナティヴ・ギター・バンドに影響を与えることになる。

この荒々しくも豊潤なロックの美学は、1989年当時のThe Wedding Presentを、 英国シーンよりもむしろアメリカのアンダーグラウンドに近い存在へと位置づけた。
当時のUKでは、ペイズリー柄のブラウスや水仙の花から、だぶだぶのスウェット、皿のような瞳、Heavenstorm製のエフェクト・ペダルへと移行する最中だった。

一方で彼らは、「Brassneck」や「Kennedy」(UK初のTop 40入りシングル)によってアメリカのカレッジ・ラジオで人気を集めていた。

さらに、1987年にLeedsで観たBig Blackのラスト・ショウや、1988年のPixiesのアルバム『SURFER ROSA』のダイナミクスに衝撃を受けたこともあり、 バンドがより粗削りで攻撃的な音像を探求するために、ミネソタのPachyderm Studiosへ向かうのは運命だったようにも思える。

そこでは、Big Blackの中心人物であり、『SURFER ROSA』のエンジニアでもあるSteve Albiniとの邂逅が待っていた。
1990年に再録されたシングル・バージョンの「Brassneck」は、『BIZARRO』の温かみのある歪みの奥に潜んでいた棘をあぶり出した。 続くEP『3 SONGS』では、「Corduroy」や「Crawl」を通じて、The Wedding Presentのサウンドを解体し、再構築。
その結果生まれたのは、荒々しくも見事に研ぎ澄まされた咆哮のような音像だった。

1991
SEAMONSTERS


「『BIZARRO』のあと、録音された音がもっと良くできるんじゃないかって考え始めたんだ」と、Davidは語る。
「ライブでは、僕らはもっとスケールが大きくて、立体的な存在だったと思う。 それでPixiesの『SURFER ROSA』を聴いたときに、“そうだ、これが僕らの目指すべき音だ”って思ったんだ。
あの作品には、自然さと同時に奇妙さや違和感もあって、それがすごく魅力的だった。
AlbiniはPixiesのために、僕らが求めていた音の本質を見事に捉えていたんだよ。」

The Wedding PresentとSteve Albiniの音響的な結びつきは、まるで錬金術のような化学反応だった。
彼らが共に生み出した1991年のアルバム『SEAMONSTERS』は、虚無的な感情と荒廃したノイズの傑作であり、 “苦悩”が“内臓をえぐるような痛み”へと変貌する場所だった。

「Corduroy」が、美しくも凄惨な“仲直りの歌”だったとすれば、そこから先はさらに閉塞感と絶望が深まっていく。
爆発的な「Dalliance」では、これまでほとんど歌にされてこなかった存在――“元恋人同士が復縁したときに取り残される浮気相手”という地獄の煉獄が、 音の力で一気に暴かれる。

「Suck」では、魂を浚うようなギターの呻きの中で、恋愛における吸血鬼的な執着の本質が描かれ、 「Heather」では、「My Favourite Dress」に込められていた苦悩が、さらに暗く、絶望的な深みへと沈んでいく。

「君は町からヒースの野へ歩いていったの?
 かつて僕らが一緒に寝転んでいた、あの場所まで――」

『SEAMONSTERS』は今なお、感情の苦悩をここまで徹底的に解剖した作品は他にないと言えるほどの衝撃作であり、 “未認定のグランジ名盤”であり、そしておそらくThe Wedding Present史上もっとも統一感があり、心を奪うアルバムだ。

「このLPには、独特のムードがあるんだ」とDavidは語る。
「『BIZARRO』にはなかった暗さと強度があって、 The Wedding Presentの録音で、あんな深みと力強さを感じたのは初めてだったよ。」

45分のアルバム・フォーマットを極めた彼らは、次なる進化へと踏み出す時を迎えていた――“史上最強のシングル・バンド”になるために。
KeithがSub Popの月刊7インチ・クラブから手に入れたシングルの束を持って現れたとき、ひらめきが走った。

The Wedding Presentは、1992年の1年間、毎月1枚ずつシングルをリリースするという前代未聞のプロジェクトを始動することになる。
プロデュースを手がけたのは、シンガーソングライターのIan Broudieや、Rolling StonesのプロデューサーJimmy Millerなど、錚々たる面々。
各シングルにはカバー曲をB面に収録し、世界限定15,000枚でリリースされた。

1992
THE HIT PARADE


『THE HIT PARADE』は衝撃的な幕開けを迎えた――
「Blue Eyes」では、バンドが『SEAMONSTERS』の暗い深淵からグランジ・ポップの華麗な奔流へと浮上し、 このプロジェクトは瞬く間にカルト的なロック現象となった。

3月にリリースされた「Three」では、シタールの音色がカーマ・スートラの多恋的な一頁を彩るかのような、異国情緒漂う三角関係の懇願が描かれ、 この時点でシングル連続リリースはUKチャートのTop 20入りを果たす。

5月の「Come Play With Me」では、ついにTop 10に到達。
すべてのシングルがほぼ即完売という熱狂ぶりだった。

そして1992年が終わる頃、The Wedding Presentは1年間でUK Top 30入りしたシングルが12枚という記録を打ち立て、 1957年のエルヴィス・プレスリー以来の快挙を成し遂げた。

「ヒットするなんて、最初はまったく思ってなかったんだ」と、Davidは語る。
「でも、リリースを始めた途端に、どのシングルも数日で完売していくのが明らかになって、 “これはすごいことになってるぞ”って感じだったね。かなりワクワクしたよ。

もしプレス枚数に制限がなかったら、どこまで行けたのか見てみたかったな。 12枚全部がTop 10入りしてたかもしれないし…いや、わからないけどね。
でも、もしそうなってたら、ほんとにクレイジーだっただろうな!」

「Loveslave」のS&M風スリージー・ロック、 「Sticky」のThe Fall風味のパンク・ポップ、 そして「Flying Saucer」や「The Queen Of Outer Space」のような惑星間ロック・アウトまで、 このシリーズはスタイル、色彩、音調において大胆に実験を重ね、The Wedding Presentの音楽的パレットを大きく広げた。

その果てには、おそらく史上最もノイジーなクリスマス・ヒット「No Christmas」まで登場することになる。

「『THE HIT PARADE』は、『SEAMONSTERS』に対するアンチテーゼみたいなものだったと思う」と、Davidは語る。
「アルバム・プロジェクトじゃなくて、またシングルに戻ったし、ある意味でポップ・ミュージックだったんだ。 「Blue Eyes」みたいな曲には、確かにAlbini以降の感触があるけど、 僕らは“暗いロック・アルバム”じゃなくて、シングルを作ってるんだ”っていう意識をちゃんと持っていたと思うよ。」

1994
WATUSI


この広角的な発想は、Islandとの新たなメジャー契約とともに1994年のアルバム『WATUSI』へと受け継がれた。
プロデューサーにはシアトル・グランジ・シーンの重鎮Steve Fiskを迎え、彼はバンドにキーボードや“奇妙で素晴らしい楽器”の数々を紹介。
その結果生まれたのは、まるで衣装箱をひっくり返したようなスタイルの饗宴だった。

「So Long, Baby」では艶めかしいグラム・ロック、 「Click Click」ではモーターリックなドローン・ロック、 「It’s A Gas」では60年代風ゴーゴー・ポップ、 「Catwoman」ではThe Velvet Underground風のサイケデリアが展開される。

この多様性は、Davidによる切ないアコースティックの嘆き節――「Big Rat」や「Gazebo」――を可能にし、 バンド史上もっとも優美な瞬間、古い蓄音機の温かなノイズに包まれた哀愁のバラード「Spangle」を生み出した。

「『WATUSI』には、50年代、60年代、70年代へのローファイなオマージュが込められてるんだ」と、Davidは語る。
「「Click Click」のアカペラ・エンディングとか、ワイキキ風サーフ・サウンドとか、 それまでやったことのないことをたくさん試したよ。 このアルバムがCineramaの原点だって言う人もいるけど、まあ、それも納得できる話だね。」

1996
MINI


創造力がトップギアに入ったThe Wedding Presentは、Cooking Vinylレーベルへと移籍し、 1996年には車をテーマにした6曲入りのミニ・アルバム『MINI』でピットストップを決める。 それはまるで、クラシック・ポップの風を受けて疾走し、髪には少しオイルがついているような作品だった。

このアルバムは、新ベーシストDarren Belkの自動車アイコンへの愛情に触発され、 恋愛とその喪失をモータリングのメタファーで彩った内容となっている。

「Drive」や「Convertible」のような疾走感あふれる楽曲は、 続くシングル「2, 3, Go」へとバンドを導いていく――
それは、インディ・ロックがジェット機で南国へ飛び立つ音に最も近づいた瞬間だった。

Davidは、キャリア史上もっとも歓喜に満ちたコーラスのひとつでこう叫ぶ:

「太陽に近づいて飛ぼう
 楽しいからってだけでやってみよう
 ザンベジ川で泳ごう
 簡単だからやってみよう!」

1996
SATURNALIA


同年のアルバム『SATURNALIA』からのリード・シングル「2, 3, Go」は、 この作品が持つ冒険的で地球規模のスピリットを高らかに告げるものだった。

「Skin Diving」では、失恋後の裸泳ぎに歓喜し、希望の終わらない夏に身を浸す。 息を呑むような「Kansas」は、若き恋のオズでのテクニカラーな目覚めを描く。

新ベーシストJayne Lockeyによるバック・ボーカルは、 アルバムとバンドにクラシックなパリ風アート・ポップの底流をもたらし、 「Montreal」では、遠くの海へと去っていった恋人を想う切ないポップの転がりの中に、 目を見開いたような世界感覚が宿っていた。

1998–2002
CINERAMA


まだ見ぬ空間、まだ味わっていない体験が、そこには広がっていた――そしてDavid Gedgeは、それを探しに出かけた。
The Wedding Presentの中心人物として10年以上にわたり活動し、 この頃には唯一のオリジナル・メンバーとなっていた彼は、バンドを一時封印し、 より“90年代的”なオーケストラル・ポップの世界へと踏み出すことを決意する。

そして、より成熟した恋愛テーマを探求する新プロジェクト「Cinerama」を、 当時のパートナーSally Murrellと共に始動させた。

…おそらく、ストロークし続けた腕に、ちょっとした休息を与えるためでもあったのだろう。

「1996年は本当に忙しい年だったから、ちょっと休もうと思ったんだ」と、Davidは振り返る。
「北米ツアーを3回もやって、少し休憩が必要だと感じた。 以前にも何ヶ月か休んだことはあったけど、今回は違っていて、完全にひとりで曲を書き始めたんだ。

ちょうどその頃、テクノロジーが手頃になってきていて――コンピューターも安くなって、 サンプラーやシーケンサーなんかも揃えやすくなってた。
僕は音楽理論なんてまったく知らないし、楽譜も読めないけど、 キーボードとマウスでストリングスのパートが書けるようになって、すっかり夢中になったよ。

最初はただ遊んでるだけだったんだけど、 だんだんと“The Wedding Presentとは違うタイプの音楽を書くのも楽しいな”って気づいたんだ。

Cineramaは、50年代から70年代のポップ音楽への僕の愛情と、 John BarryやEnnio Morriconeみたいな映画音楽の作曲家たちへの憧れをベースにしてる。

The Wedding Presentをポップと映画的オーケストレーションの世界に引きずり込むのは違うと思ったから、 ひとりでやることにしたんだ。

そして、本当に楽しかったから、そこから8年間続けたんだよ。」

The Wedding Presentは、ほぼ10年もの間、封印されたままだった。
しかしその間にリリースされた3枚のスタジオ・アルバム―― 『VA VA VOOM』(1998年)、『DISCO VOLANTE』(2000年)、『TORINO』(2002年)――では、 Cineramaの“銀幕的な音像”に、ギター・ロックの兆しが徐々に芽吹き始めていた。

そして構想されていた4作目『TAKE FOUNTAIN』は、 DavidとMurrellの別離によって、より暗いトーンを帯びることになる。 2004年にリリースされた時点では、ギタリストSimon Cleaveとの共作が中心となり、 Cineramaはすでに終焉を迎えていた。

この作品は、待望のWedding Present第6作として“再び取り戻された”アルバムとなったのだった。

2005
TAKE FOUNTAIN


Davidの鋭く切り裂くようなノイズは、壮麗な音響の10年を経て洗練され、驚くほど優雅な帰還を果たした。
不穏なムードを醸す「On Ramp」が、8分間の陰鬱な「Interstate 5」へと滲み込むように繋がり、 それはまるでインディ・ロック版『Telegraph Road』のような展開を見せる。

『TAKE FOUNTAIN』は、The Wedding Present史上もっとも豊かで謎めいたカムバック作としてほどけていく。

「Mars Sparkles Down On Me」や、感動的なフィナーレ「Perfect Blue」では、 室内楽的なストリングスと、デイヴィッド・リンチ映画のようなギターの揺らぎが響き渡る。

「Don’t Touch That Dial」や「Larry’s」では、 静けさと炎を併せ持つポスト・ロックの気配に、プロム向けのメロディが織り込まれ、 Morricone風のタッチも随所に散りばめられている。
唯一、快活な「I’m From Further North Than You」だけが、かつて「A Million Miles」を作ったバンドの面影を残していた。 「Cineramaはどんどんギター寄りになっていったんだ。 ポップよりロックになって、強化版Wedding Presentみたいな感じになってきてた」と、Davidは語る。

「『TAKE FOUNTAIN』をシアトルで録音してたときのことだけど、 僕とSimon Cleaveでスタジオに向かって車を停めたとき、 僕が“この作品、Wedding Present名義にすべきじゃないかなって思ってるんだけど”って言ったんだ。 そしたらSimonが、“それ、最高のアイデアだよ”って即答してくれてね。」

2008
EL REY


The Wedding Present第2章は、初期の名アイデアのいくつかを再訪することになった。
2008年1月、Davidは再びSteve Albiniとタッグを組み、 今回はシカゴのElectrical Audioスタジオで、2作目の共作アルバム『EL REY』を録音する。

これは『SEAMONSTERS 2』ではない。
むしろ、ポップカルチャー、カリフォルニアの熱気、古きハリウッドの神秘に浸された、比較的軽やかな作品だった。

謎めいた間奏が散りばめられ、どこかフィルム・ノワール的な空気を帯びたこのアルバムでは、 Albiniの簡素で密度の高い美学が、Davidのクラシックなオルタナ・ポップ楽曲―― 「Santa Ana Winds」「Spider-Man On Hollywood」「Don’t Take Me Home Until I’m Drunk」――に魔法をかけている。

一方で、『TAKE FOUNTAIN』のワイドスクリーン的アプローチの粒子も残っており、 優美な「I Lost The Monkey」、陰鬱な「The Trouble With Men」、 そしてZiggy風味の「Boo Boo」にその痕跡が見られる。

かつての“Gedg-bini”マジックが、今度はより明るい閃光となって再び炸裂したのだった。

2012
VALENTINA


次なるThe Wedding Presentのアルバム――2012年の『VALENTINA』――までには、さらに4年の歳月が必要だった。
タイトルは、今回もコミックのキャラクターから取られており、今度はイタリア発の官能的ヒロインの名に由来する。

この作品は、バンド第2章が完全に軌道に乗ったことを示す、キャリア総括的なアルバムだった。
『THE HIT PARADE』や『WATUSI』の折衷主義的な多様性を、 『BIZARRO』のロック的推進力に結びつけ、 さらに『TAKE FOUNTAIN』の空気感や情緒を織り込んでいる。

たとえば、「Deer Caught in the Headlights」の高揚感あるロックに続くハーモニウムのコーダは、 フランスの田舎にあるBlack Boxスタジオの裏手で見つけた埃をかぶった古楽器から生まれたものだった。

この原点回帰的なアプローチは、 再編成されたThe Wedding Presentがこれまでに生み出した中で最良の楽曲群によって支えられている。

「You’re Dead」や「You Jane」は、 推進力あるダイナミズムと叙情的な間奏が夢のように融合した楽曲だった。
「Back A Bit… Stop」は、1987年のエネルギーを再び呼び起こすような鋭さに満ちていた。 一方、「Stop Thief!」「Mystery Date」、そして一部ドイツ語を取り入れた「The Girl From The DDR」では、 『SATURNALIA』の情感豊かなメロディと繊細さが見事に蘇っていた。

このアルバムはあまりに洗練されていたため、 その制作過程を綴った書籍―― 『VALENTINA: THE STORY OF A WEDDING PRESENT ALBUM』が刊行され、 アウトテイク4曲入りのEPも付属することになった。

さらにDavidは、このアルバム全体をCinerama名義で再録音し、2015年にリリースしている。

再びトップギアに入ったThe Wedding Presentには、旅すべき道があった。
『VALENTINA』が地に足の着いた作品だったとすれば、 Davidの視線は今や遥かなる地平線へと向けられていた。

2014年――メイン州からカリフォルニアへ、東から西へと横断する旅の中で、 Davidと写真家Jessica McMillanはアメリカを縦横に駆け巡り、各地で映像を撮影していった。

「地図を広げて、名前が面白そうな町を20個選んだんだ」と、Davidは語る。
「その時点では、まだ曲はまったくできてなかったけど、 “ある人が恋愛の問題を抱えていて、やがて別の誰かと出会う”っていう漠然とした物語のアイデアはあった。

それで地図を見ながら、“この町は物語のこの部分に合いそうだな”、 “あの町は別の場面に使えるかも”って全部計画していったんだ。

本当に魅力的な旅だったよ。風景も文化も、ものすごく多様でね。
ニューヨーク・シティにいたかと思えば、次の瞬間には何もない平原のど真ん中にいたりして。

最後には太平洋の海岸にたどり着いて、すごく満たされた気持ちになった。
だって、訪れて撮影したすべての場所をリストから“チェック済み”にできたからね。」

2016
GOING, GOING…


旅を終えて帰国したDavidは、2014年のアメリカ横断の旅を丸ごと音楽に昇華させた。
各曲には、インスピレーションを得た土地の名が冠されている―― ニュージャージー州リトル・シルバー、ノースカロライナ州キル・デビル・ヒルズ、ワイオミング州テン・スリープなど。

こうして生まれた全20曲の壮大なアルバム『GOING, GOING…』は、 バンドを未知の領域へと送り出す作品となった。

冒頭4曲は、アヴァンギャルドなポスト・ロックのムード・ピースで構成され、 ボーカルは言葉のないハーモニーのコラールや、地図座標のスポークン・ワードで綴られている。

そこからは、より楽曲主体の“横断ルート”が展開されていく―― マンハッタンの「Two Bridges」のグランジ的な活気から、 カリフォルニア州サンタモニカの至福に満ちた音像へと至るまで。

この作品は、アメリカ地下ロックの荒涼とした陰影に染まった暗いオデッセイであり、 印象的な“立ち寄り地”が数多く登場する。

デラウェア州ベアやネブラスカ州ブロークン・ボウの原初的ポップ・ロックの風景、 メリーランド州セクレタリーの熱狂的なパンクの急流、 アーカンソー州フィフティ・シックス、ミズーリ州フォードランド、ユタ州ウェールズの焦げつくような音の山脈。

そして、ネバダ州のエリア51近くにある小さな町「Rachel」にちなんだ、星を見上げるようなポップのスペクタクル―― 今世紀屈指のキャッチーなオルタナ・ロック・チューンのひとつだ。

空を見上げよう(Watch the skies indeed...)――まさにそんな作品だった。
〔訳注:「Watch the skies indeed…」というフレーズは、ここではネバダ州Rachelという町がエリア51の近くに位置していることと密接に関連している。もともと1951年のSF映画『The Thing from Another World(遊星よりの物体X)』のラストで使われたセリフ「Keep watching the skies!」に由来し、UFOや異星人の存在を期待するニュアンスを含んでいる。〕

この頃には、The Wedding Presentの名作アルバムを再現するアニバーサリー・ツアーが、ライヴ活動の定番となっていた。

「新しい曲を書くのも、新しいレコードを作るのも本当に楽しいんだ。
でも、それができている限り、たまに過去を振り返るのも悪くないと思ってる」と、Davidは語る。 「昔の日記を読み返すようなものだよ。」

やがてDavidは、バンドの過去作をレコード上でも再解釈し始める。
2017年と2019年には、それぞれ『GEORGE BEST』と『TOMMY』の完全再録アニバーサリー・バージョンが登場。

さらにパンデミック期には、バンド楽曲のアコースティック・バージョンを収めた『LOCKED DOWN AND STRIPPED BACK』が2巻にわたって制作された。

2023
24 SONGS


ならば、コンセプトそのものを再訪してみてはどうだろう?
2022年、The Wedding Presentは『THE HIT PARADE』30周年を記念して、 月1枚のシングルをリリースする方式を再び採用した(今回は主にサブスクリプション形式だったため、チャート記録の再現は対象外)。

ただし今回は、各7インチの両面がほぼすべて新曲で占められていたため、 『24 SONGS』はさらに野心的なプロジェクトとなり、そしてそれに見合うだけの成果を上げた。

2023年にリリースされた3枚組アナログ盤コンピレーションでは、 Davidが楽曲を時系列ではなく、物語的な流れに沿って再配置した。

「I Am Not Going To Fall In Love With You」「Memento Mori」「We Interrupt Our Programme」といった活気あるナンバーが幕開けを飾り、 1980年代への最も愛情深いフラッシュバックのように響く。
この構成は、シングルというフォーマットがバンドの貪欲なポップ感覚を再び研ぎ澄ませたことを示している。

続いて、「Each Time You Open Your Eyes」「Monochrome」「Science Fiction」では、 痛切な内省の時間が訪れ、哀愁を帯びたポップの嘆きが、心を打つロックの爆発へと昇華していく。

そして後半では、「Kerplunk!」「Astronomic」「La La La」といった楽曲が、 傷つきながらも前向きな救済の光を差し込んでくれる。

遊び心と実験精神の余地も、たっぷりと用意されていた。
MagazineやSleeperの曲を歓喜に満ちたカバーで披露―― 後者「We Should Be Together』では、オリジナル・シンガーLouise Wenerとのデュエットが実現。

「Don’t Give Up Without A Fight」では、こんなチャント(掛け声)も飛び出す:

「ツー・フォー・シックス・エイト、誰を讃えるべきだって?!」

「Telemark」は、ノルウェーの小石浜で恋が芽生える様子を語るスポークン・ワード作品。
そして「We All Came From The Sea」では、なんとサイケデリック・ディスコ・ロックの領域にまで踏み込んでいる。

『24 SONGS』は、創造のシリンダーが一度も止まることなく回り続けていることの、誇り高き証であり、 そのエンジンは今もなお、未来へ向かって加速中なのだ。

2025
MAXI


ここに収められた最後の楽曲「Hot Wheels」は、『MINI』の姉妹作として制作中のスタジオ・ミニ・アルバム『MAXI』の先行プレビュー。
テーマは“車”である。

「僕らはよく、コンサートのリハーサル中に曲を書くんだ」と、Davidは語る。
「2024年に『BIZARRO』ツアーをやったんだけど、そのリハーサル中に新曲を書いていてね。 11月にツアーを終えた時点で、6曲が揃っていた。
それで思い出したんだ――30年前の『MINI』も6曲入りだったって。
“これは運命だ!”って思ったよ。」

その一方で、この40年の軌跡をまとめ上げる作業は、急カーブを描く記憶の旅でもあった。
たとえ逆再生で辿ったとしても、The Wedding Presentが今も享受している熱烈な支持は変わらなかっただろう。

「とても誇りに思ってる」と、Davidは語る。
「すべてを一気に聴くと、本当に魅力的なんだ。これは旅なんだよ。 4つの年代をかけて進化してきたプロジェクトのサウンドトラックなんだ。」

「メンバーの変遷や、エンジニアやプロデューサーの違いが、どう音に影響してきたかを聴き取るのも面白いし、 自分自身がどう変わってきたか――曲の書き方、ギターの弾き方、歌い方――もよく分かる。

偉そうに聞こえたら嫌なんだけど、でも明らかなのは、 このすべてを繋いでいるのは“ちっぽけな僕”だけってことなんだ。

周りのすべては変わってきたし、今も変わり続けてる。時には劇的にね。 そんな変化を経験できたことを、僕は幸運だったと思ってる。」

「彼は出かけて、見つけて、
 それを“一生もの”にした。
 なんて素晴らしい贈り物だろう。」


※Mark Beaumont(マーク・ボーモント):1972年生まれ。NME(New Musical Express)を中心に、 The Times, The Guardian, ShortList, Uncut, Classic Rock, Melody Maker など多数の媒体に寄稿。苛烈で対立的、時にユーモラスな筆致で、辛辣さと愛情が同居する独特の批評眼を持つ。90年代からTWP/Cinerama双方の作品を高く評価してきた音楽ジャーナリストであり、かつてバンドのプレスリリースにも引用されたフレーズ「“Britain’s most consistently brilliant, yet criminally underrated band.”英国で最も一貫して素晴らしい、なのに信じがたいほど過小評価されているバンド」は彼の手によるもの。TWPの作品のライナーノーツとしては2001年リイシュー時の『Bizarro』以来となる。

(first published : 14th October, 2025)

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