INTERVIEWS

09/08/96 Interview with David Gedge
(Interviewer: Bill Pearis at NYC)

'96年9月にNew YorkでCMJの為のライヴを終えた翌日に行われたデイヴィッド・ゲッジへのインタビューです。アルバムで言うと"Saturnalia"をリリースした頃の時期ですが、内容的に様々な変化があった後期のバンドを総括するようなものになっており、「Island Label突然の契約破棄の理由」「近作での変化の背景」など、日本では真剣に取り上げられる機会の無かったトピックをはじめ、『MINI』『SATURNALIA』2枚のアルバムを手がけているプロデューサーCenzo Townshendについてや、Davidの音楽ファンとしての趣向が伺い知れる場面もあり、本当に稀にみる充実した内容になっています。Davidとしては珍しいくらい長時間に渡るインタビューだった様で、僕自身インターネットを始めたばかりの頃にこのインタビュー記事に出会った事で波瀾万丈だったTWPの後期キャリアの全貌がようやく掴めた思いがしたものです。また本文を訳出してみようと思った事がサイトをスタートさせる最初のモチベーションにもなりましたので、非常に思い出深いものがあります。いずれにせよ、この決定版とも言えるインタビュー、拙訳にはなりますがどうぞ最後までお楽しみ下さい。[YOSHI@TWP-CINERAMA]

IslandからCooking Vinylへの移籍

ENGLISH

Q. まず最初に訊きたいのは、Islandレーベルとの間に何が有ったんですか?
David Gedge(以下DG).- まあ(契約が切れた)一番の要因はIslandがPolygramに買収されたことだろうな{訳注:クリス・ブラックウェルにより1959年に設立されたIslandはイギリスで最初のインディーズ・レーベルでもあり、60年代から70年代にかけてSka、ReggaeやDubをはじめ当時最も先鋭的な音楽を紹介する音楽レーベルの名門として名を馳せたが、1995年にポリグラム・グループに吸収合併された}。それでかなりの人事異動が生じたんだ。基本的に、全部のスタッフが消えてしまった。僕らと契約した人間も含めてね。ある日オフィスに電話して「誰々さんをお願いします」って言ったらその電話を取った女が「あなた誰?」って訊くんで「デイヴィッド・ゲッジです。」「デイヴィッド・ジョージ?何てグループの人?」 それから、「ああ、彼なら先週解雇されたわよ」だって。で僕らはイギリスのIslandではなく、アメリカのIslandと契約していた事もあって、状況が変わってしまったその時には軌道修正が困難になってしまった、という訳なんだ。

Q. Islandは余りあなたたちを積極的にサポートしているようには見えなかったけど。プロモーション・ヴィデオは作ったの?
DG.-1本"Yeah Yeah Yeah Yeah Yeah"を撮った。でも、奇妙な状況下だったんだ。何が問題だったかのかな....僕らはかつてRCAに居て、彼らはとても協力的だったんだよね。僕らが契約した人物も実に精力的で、彼は宣伝部門の部長になった。だから基本的にはやりたい事が何でも出来る状況があったんだと僕は思うけどね。

Q. RCA時代での最初の作品、Ukrainians EP(訳注:1989年4月リリースの"Ukrainski Vistupi V Johna Peela"の事)にしてもそうでしたよね。
DG.-そう、あれはちょっとしかプレスされなかったんだよね。「ウクライニアン・フォークのミニLP」という形態だったけど、たぶん彼らはあれをヒット作にしようと期待してそうしたんだと思う。結局極僅かな数しか行き渡らなかったけど、それでも作品が良かったからOKだった。けどIslandでは同じ様な状況は許されなかった。で、今は僕らに対しても誠実で、より親密な関係が保てるCooking Vinylに移籍したんだ。実際インディーズとは言えそんなに小さいレーベルでは無いしね。イギリスでは紛れもなく最大のインディ・レーベルだよ。

Q. もう"Go! Discs"もありませんし...
DG.-そうだね、CreationだってSonyが運営している訳だし。だから本当に大きな企業なんだけど、いつ電話したって誰が電話に出ても、その人が誰だか判る。それは本当に良い感触だよね。契約に縛られた協力関係より友好的なコミュニケーションこそが大事って感じで。本当に良いと思う。

Q. 彼らはBilly Braggとも契約を結んだばかりですよね。
DG.-僕らがIslandを離れた時、4〜5つのレーベルが興味を示してくれたんだ。正直に言うとCooking Vinylの名前はそのリスト中でも最後尾にあって...彼らはワールド・ミュージックやフォークのカタログが多かったから。でも彼らに会ったら僕らに真剣に興味を持っている事が判って、良い条件を示してくれたから契約を交わしたんだ。以来彼らも色々手を伸ばして、今ではペル・ユビュやビリー・ブラッグ、アジア人のラッパーもいる。本当に色々なアーティストが揃ってるよ。

Q. で、今は自分たちのやりたい様に事は運んでいますか?
DG.-ああ、いつもそうだね。Wedding Presentを理解している人なら誰でもそれが僕らのやり方だって事は判っている。だから彼らも僕らと契約を交わした時から展開は見えているんだ。今の所はとても順調だけれど、もしレコード会社の仕切り方にしっくりこなくなったら、問題を抱え始めることになる。でもCooking Vinylの場合、どの道彼らはインディーズだし、その辺は気楽だしね。でも彼らも色々提案はしてくれる。時にはかなりおかしな事もあるんだけど。ジャケットのアート・ワークのためのアーティストとして何度か仕事をしているMarcus Ginns。彼はとても貴重な人材なんだ。で、今回のLP(『Saturnalia』)のスリーブを作る段階になって、Cooking Vinylが推薦するアーティストと一緒に作ってくれないかと頼まれたんだんだけど、断った。だったら彼とやった方が良いってね。彼は本当に素晴らしい仕事をしてくれたと思うし、実際これは僕らのジャケット・ワークの中でもベストに挙げられると思う。

Q. ちょっと漠然としてるんだけど、あれは何なの?
DG.-そうだね、とてもミニマリストなんだよ。あれは何かのタービンの写真じゃないかと思うけど。彼はとてもコンセプチャルな方針を持ってる男だよ。彼はシルバーがかった、白黒のイメージを欲してこのアイデアを思いついた。で彼はこの奇妙な写真の為に骨を折る形になった。でもこれはアルバムのある種SFっぽいタイトルとも合わさってぬきんでたものになったと思うし、何だかスペイシーな感覚が現れているよね。

Q. まるでヴォイジャーから撮影した土星の表面か何かかと思いましたよ。
DG.-そう、そんな風に見えるよね。ま、だから彼を起用した訳で、でもちょっと高く付いたよね。かなりの契約金だったみたい。


SaturnaliaとCenzo Townshend

ENGLISH

Q.  最近のWedding Presentは多作ですよね。
DG.-確かに。そのつもりでやって来てるし、『Mini』にしても新作を出す前にまた一年以上も新曲をストックしておきたくなかったからリリースしたし、今回も9月までに新作を出さなかったら周りのリリース・ラッシュに埋もれてしまいそうだったからね。

Q. 『Saturnalia』をプロデュースしているCenzo Townshendについて教えてもらえますか?
DG.-彼はエンジニアでね。Lightning Seedsのイアン・ブラウディと仕事をした時に出会った。彼は長いことイアンの専属で働いていたんだ。イアンは『The Hit Parade』シリーズで"Come Play With Me"、"Silver Shorts"、そして"California"をプロデュースしてくれたんだけど、それは僕らの予想とは違った出来で、とてもパワフルなサウンドも有りつつ、はじけたポップ感があった。
 今回は僕ら自身でプロデュースしようと決めて、Cenzoに関してはコ・プロデューサーとしてクレジットした。だってただのエンジニアリングだけではなく、色々制作面でも提案してくれたからね。これはとても興味深いアルバムで、何しろ曲を書き始めてから2回もバンドのメンバーチェンジがあったから。だからアルバム中3曲はPaul Dorrington{訳注:1992年の『The Hit Parade』シリーズから94年の『Watusi』まで在籍したギターリスト}がギター・パートを書いているし、いくつかは前のギタリストDarren、そして新しいメンバーのSimonが書いたものもある。中には僕が書いたパートもあるしね。だから以前のメンバーによるロック的な曲は『Seamonsters』的な所があるだろうし、現在のメンバーによる"Jet Girl"みたいないかにもPopソング然とした楽曲もある。思うにSimonは本当に変わった音楽遍歴があるから、こうなったのかな。

Q. 今回は今までの作品には無いコード進行が数多く聴かれますが。例えば"Venus"におけるコーラス部分はWedding Presentの過去の作品には無かった展開ですよね。
DG.-みんな今回のアルバムには今までに無かった、変わった要素があるって言うんだ。『Mini』は親しみやすい、ポップ・チューンが並んでいた。今回はもうちょっと入り組んでいる。ある人は一種のサウンドスケープみたいで、映画のサウンドトラックみたいな後味があるとも言っていた。

Q. 確かに。例えばラストの"50s"ですが、エンディングはまるで"Blue Moon"{訳注:Elvis Presleyの名唱で知られる50年代のスタンダード・ソング。Cowboy Junkiesによる名カバーもあり}の様でしたよ。
DG.-(笑)

Q. でも、そういう風に聴こえました。これはとてもクールな感じだと思います。あなた達は最近様々な楽器を取り入れてますよね。今作では木琴の音も聞こえたりしましたけど...。
DG.-そう、そういう試みは『Watusi』から始まったんだよね。あれはもっとポップさが盛り込まれていた。僕らはずっとギター・バンドの1つとして認知されていたけれど、だからこそ僕らは『Watusi』でギターの要素から離れたんだ。プロデユーサーのSteve Fiskはその試みに最適の人物だった。彼はキーボーディストで、キーボード類を使用した奇妙なサウンドのアイデアは彼が持ち込んだものだったんだ。今回は、その時の好感触もあったけど、もうちょっとハードなサウンドも取り戻そうと思った。マリンバや木琴みたいな楽器を用いたのもいい挑戦になった。ギター・サウンドの大半もかなり変わってるし。僕らは壊れたギター・ペダルも多用したんだ...60年代のトレモロ・アームが付いた様なやつとか。

Q. 今、あなたはコクトー・ツインズのスタジオで作業しているそうですが、そこでもそういうエフェクトのペダル類を導入してるんですか?
DG.-いや、でもそういうのは好きだよ。それにしてもおかしいよね。だってあそこでレコーディングすることを電話で提案された時、「別に良いよ」って気軽に応えたんだけど、電話を置いてから気付いたんだよね。彼らが僕のフェイヴァリット・グループの1つだって。事実、僕は彼らが作ったレコードをすべて持ってるしね。いくつかは2回も買ってる...CDとヴァイナル盤ね。僕はFallのLPもたくさんもっているけど、コクトー・ツインズ程じゃない。だからスタジオに行った日は本当に緊張してしまって。ロビン・ガスリー{訳注:コクトー・ツインズのリーダーでギタリスト}に会ったけど、すごい良い人だった。で、誰かがLiz{訳注:コクトー・ツインズの女性ヴォーカリストエリザベス・フレイザーの事。Massive Attackの1998年のアルバム『Mezzanine』での名唱も記憶に新しいところ}が2階のオフィスに居るって教えてくれたんだけど、Simon{訳注:同バンドのベーシストもSimonだがそうではなく、ここではWedding Presentの現在のギタリストSimon Cleaveの事だと思われる}と僕はどうしても彼女に会いに行く事が出来なかった。身体が恐くて言う事を効かなくて。彼女はあんなに心奪われる様な美しい声を持っているし、魅力的だよね。マジカルとしか言いようがない。僕はあんな同じ人間とは思えない素晴らしい物を生み出す女性とどうやって面と向かったらいいかわからなかった。だから2階には行かなかった、でもきっと死ぬまで後悔するだろうね。
 あそこは本当に素晴らしいスタジオで、まるですべてが芸術品の様だった。とても豪華で整備されていて。そこからすぐの所にイアン・ブラウディがテムズ川に船を持っていて、そこも同じくらい素晴らしいスタジオ設備があるんだ。


『Watusi』から『Saturnalia』までの道程

ENGLISH

Q. ところで、なぜそのイアンと"It's A Gas"{訳注:1994年のアルバム『Watusi』収録曲}をシングル用に再レコーディングしたんですか?
DG.-アルバム・ヴァージョンの出来に満足していなかったからね。もうちょっとポップに仕上げられると思ったんだ。

Q. 僕はカップリングのアコースティック・ヴァージョンがすごい気に入っているんです。
DG.-実はあっちのヴァージョンを『Watusi』に収める予定もあったんだ。僕らは収録曲の多くをアコースティック・ヴァージョンで録音して、時々どちらをアルバムに収めるべきか迷った。また『Mini』ではJayneのリード・ヴォーカルで"Sports Car"のアコースティック・ヴァージョンを録ったし、それは次のシングルのカップリングに収めようと思っている{訳注:実際にアルバムからのシングル・カット"Montreal"のカップリングに収録された}。彼女のヴォーカルは予想以上の出来で、素晴らしいサウンドに仕上がっているよ。"Sports Car"は原曲はエフェクトやディストーションがかったサウンドも手伝って、とても暗い内容の曲だけど、女性ヴォーカルによるアコースティック・ヴァージョンはまた違った感触が得られる。オリジナルとは全く違う成果を得た事は大成功だったし、まるで原曲とは違う曲の様だね。

Q. Jayneの声がバンドに加わった事によって、あなたの歌詞も3人称である"he said, she said"といった視点に変わったように思えるのですが。
DG.-でも、ある意味そういうのは昔からあったし、それが僕の書き方だからね。要は、会話的なんだよ。でも今は、君が指摘する様に、僕はああいう自分以外の違う種類の声を得る事が出来た。これは本当に意義深い事だよ。人はよく僕の詞はまるで「演劇」のようだとも言うしね。

Q. もしくは人の会話を盗み聴きしている様な感じですね。
DG.-まさしく。まあ今はそれが成功しているから良いと思う。このスタイルは僕がここ数年欲していたものだし、男性と女性のハーモニーもその1つだね。僕は何年にも渡って彼女にグループに加わらないかと誘い続けて来たんだけど、彼女はいつも笑って、他のバンド活動で忙しいからって断られたんだ。そのバンドはTse Tse Flyって言うんだけど。彼女は両立出来る余裕は無いと思ってたみたい。

Q. 新ギタリストのSimon (Cleave)もそのバンドの一員だったんですよね。
DG.-そう。今や僕らはスーパー・グループか何かみたいな気分だよ(笑)。


メンバーの変動

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Q. 別のバンドで一緒に活動していた2人を迎えた現状はどうですか?
DG.-正直言って、とても気が楽だね。全くの新人をメンバーに加えるよりも楽だったし、僕らにとっても良い結果を生んだ...新しい影響力とスタイルをもたらす人材も良いけど、何だか学校の新入生みたいな扱いになるでしょ。知っての通り僕ら3人(David、ギターのSimon Cleave、ベースのJayne Lockey)は既に確固とした絆を持っていたし、冗談を言い合ったり、物事を進めるにも確かなやり方があるようなね。Simonの場合は、Jayneは以前からよく知っていた訳だけど、本当にすぐに親しくなれたよね。彼は今ではバンドにすっかり馴染んでいる。Jayneが加入した時はやっぱりWedding Present史上初の女性メンバーだったからとても面白かったんだ。いつも野郎ばかりのグループだったんで、ある意味不自然な感じでね。現実の人生には男がいて女がいる、というのは当たり前の事だけども、この場合女性と仕事する事が全く予測されなかった男の集団だったから。今は全然違うけどね。そんなこだわりは些細なバカバカしい事だろうし。こういう小さなリハーサル・ルームにいると、毎日いろんな人が入れ替わり立ち替わりでやってきては、写真を撮ったりコーヒーや紅茶のピッチャーを持ってきてくれたりするでしょ。大体今までは自分でいちいちコーヒーを汲みに行くのが常だったけど、Jayneが来てから最初の日、客が来ていたら彼女が「コーヒーいる?」って、持ってきてくれたりしてね....。

Q. でもそういうのって気がとがめない?
DG.-少しね。言っとくけど、僕は決して性差別者じゃないから。君だってそういう時に同じ様な状況で「コーヒーは?」って訊いても、自分では「俺が気にする事じゃないな、自分でやるべきだよ」って思うだろう。それが普通じゃないかな。社会的にも、一市民としても。男はそれをやんないからさ。女性の反感を買うばかりで...。まあそれは1つの発見でもあった。これはちょっとした一例だけども、とにかく彼女の存在がいろんな事に関する僕らの今までやり方を変えたのは確かだし、それは素晴らしかった。

Q. この新しいラインアップはしばらく続きそうですか?
DG.-うん。これは今までで最高の面子だと思う。みんなもバンドが良い状態に見えるみたいだよ。そして今度のアルバム(『Saturnalia』)はたぶん僕のフェイヴァリットの1つだし、そう在りたいと思う。

Q. ところでDarren (Belk、前任のメンバーでベース/ギターを担当)には何があったの?
DG.-彼は急に人が変わってしまった。彼はバンドに加入する以前は、熱烈なファンの一人に過ぎなかった。80年代の初め頃、彼は僕らのツアーの追っかけをやっていたんだ。思うに彼は実際にバンドの内側に入ってみて、結構幻滅したんじゃないかな。それで気持ちを変えたんだと思う。すぐにバンドに対する興味を失っていったし。最初彼はベース・プレイヤーで、Paul (Dorrington)が離れてからはギターにスイッチした。この配置換えが成功したとは到底思えないね。彼は秀でたギタリストではなかったし、すごいシンプルなスタイルのプレイだった...まあ、僕もそうだと言えるけど。でも彼はギターを弾くには色々難点が有ったんだと思う。で、やつも今は自分のグループで頑張っているよ。Beachbuggyっていう名前なんだけど。

Q. 僕が今年の3月にあなたたちのライヴを観た時、彼は余り楽しそうじゃなかったですよね。
DG.-そうだね...何でそうなったのかな。彼がグループに在籍していた頃の事を思うと、彼は2枚のLPでしかプレイしていない...厳密には1枚と半分と言えるかな(訳注:『Watusi』と『Mini』の事を指している)。彼がグループに加入して以来、グループはゆっくりと下降気味だったし、またそれと比例するように彼の情熱も冷めていったんだよね。『Mini』が出てからすぐぐらいに、彼が電話してきて僕に今の状況には余り幸福を感じていないのだと言って、それから「もう続けられない」、という事も言ってきた。でも僕は続けるべきだと思ったし、アルバムを完成させる為に何とか全うするべきだと思った。で実際にトライしてはみたけど、だんだんひどくなって行って...。普通の会社務めみたいなものではないのに、なぜそうなったんだろうな。もっとやる気を出すべきだ、やりたい事をやるべきだし、じゃなければ辞めるべきだ。自分の為に曲を書くべきなんじゃないか...。で、彼はバンドを抜けた。正直に言えば、彼の抜けた穴は大きかったし、彼にとっても失ったものは大きかったろうね。でも、去ってくれて良かったとも思っている。それからすぐに、早急にレコード作りに取り掛かるべきだと決めた。このアルバムはDarrenとは作れなかったと思う。もしそうなったらギリギリの切羽詰まった状況になったろうし。


Davidに起こったハプニング〜カバーソングについて

ENGLISH

Q. ところであなたが雷に打たれそうになった、って聞いたんだけど。
DG.-今日みたいな日だったよ、ホントに。ものすごく暑い日で、フランスの音楽誌のためのインタビューを受けていた。で、そのインタビュアーの女の子がスタジオにやってきて、僕らは屋根へと登った。少し雨が降り出して彼女は「中に入らない?」って尋ねた。で僕が「そうだね」って応えようと思ったその時、相当強烈な、言葉では正確に説明出来ないような眩しい光と共に爆発が起こって...。で、その時「やばい!雷に打たれる!」って思って、走って下に逃げたよ。他の連中は「あ、雷が鳴ってるねえ...」って感じだったけどね。でも僕はもうガタガタ震えてしまって。それからスタジオに入って来た男が「救急車を呼んだ方が良いよ。表で誰か雷に打たれたみたいだから」って言うんだ。で、外に出てみたら僕らが居た場所から60フィートぐらいの付近でイタリアの小学生の子供達の集団がいて、ちょうど雷に打たれたところだったみたいでね。恐ろしかったな、あれは。ショックを受けたよ。でも中には顔を切ってしまった子もいて、何しろ雷の勢いで空中に放り出されたぐらいだったんだって。靴がバラバラになった女の子もいたり。通りかかった人は「みんな大丈夫か?」って訊いていたけど、みんな喋れないんだよね。恐かったのもあるだろうけど、彼らは旅行で来ていた訳だから。あの後あの子たちが両親とかに書く絵ハガキの事とか想像したらおかしくてさ。「国会議事堂を見て、ロンドン・タワーを見て、雷に打たれました」みたいな(笑)。もちろん彼らはみんな大丈夫だったと思う。そして僕はこれまでに無い程、雷を恐れるようになった。

Q. 今まで(男女の)関係についての唄を書くのに飽きた事は無いの?
DG.-無いね、本当に。僕はたぶんそういうのが専門なのかもね。今まで他の事象について書いた時代もあったけど....ヘヴィーな内容だったり政治的な事だったり、SFっぽかったり。

Q. 92年の『The Hit Parade』シリーズにはそういうSFっぽいものがありましたよね。「謎の円盤U.F.O」のテーマ曲のカバーとか{訳注:現在は2枚組新装編集盤『The Hit Parade』にも収録}。僕は長い事あの曲が何の曲だか知らなくて、それからNew Yorkに引っ越してきてからケーブルTVに入って、その中にSCI-FIチャンネルっていうのがあるんですよ。ある日曜日にチャンネルをカチャカチャとザッピングしてたらあの曲が聴こえてきて。それで驚いて「ああ〜、Wedding Presentはこれをカバーしたのか」って。
DG.-あれに僕らの世代は虜になったんだよね。本当に複雑な内容で。もう一度実際に聴いてみたいな、あのテーマ曲。奇妙だけど、素晴らしい音楽だと思う。

Q. ライヴで演奏したことはあります?
DG.-神に誓って、無い。あれはスタジオで録るのも時間が掛かったし、ライヴでなんてもちろんない。

Q. 他にカバー曲をライヴで演奏したことはあります?
DG.-時々やった事はあるけど、今ではWedding Presentのオリジナルが相当あるから、そういうカバーをセットリストに組み込むのが難しくなっている。でもどんな曲をやってもみんながみんな満足する訳では無いしね。いつも「何であれをやらないんだ!」って言われるし。でもカバーをレコーディングするのは好きだよ。僕らは実験的な傾向があるだろ?たとえElton Johnのある曲を解体しても、自分たち自身のイメージを破壊する事にはならないし{訳注:実際に彼らはElton Johnの曲"Step Into Christmas"を『The Hit Parade』シリーズでカバーした}。

Q. あなたたちのカバー・ソングで好きなものは何ですか?
DG.-たぶん"Falling"{訳注:Twin Peaksのテーマ}か"U.F.O."のテーマだろうね。振り返ってみるとHit Paradeの最初の方のカバーには完全に満足していないんだよね。要するにGo-Betweensのカバーをやったけど、「だから何?」って感じでしょう?当たり前過ぎて。でも「シャフトのテーマ」みたいなのは、まあばかばかしい所もあるけど、楽しいしね。でも所詮はB面だから。だからそういうのを試すのには良いスペースだよね。

Q. あなたたちはThe Fallのトリビュート作に参加している、って聞いたんですけど。確か『Deadbeat Descendants』とか何とかっていう...。
DG.-ああ、リリースされたばかりだよ。僕らは"It's a Gas"のB面にも入っている"Jumper Clown"を提供した。それはFallのオリジナルではないんだけども。
{訳注:後年判明した事実だがこのトリビュート作、実際にはリリースされなかったようだ。またこのためにレコーディングされた"Jumper Clown"は既発テイクとは異なるオルタネート・ヴァージョンという説がある。}

Q. 確かオリジナルはCreepersですよね。
DG.-そう。僕らは何年もの間何十曲もFallのカバーを試みてきたんだけど、上手くいかないんだよね。Fallの曲の多くはMark E. Smith{訳注:同バンドのリーダーでヴォーカリスト}の声が重要な要素になっているでしょ。彼独特のマンチェスター訛りの入った。真似のしようがないんだよね。やってもチープな感じになってしまうし。だから代わりに...って言うのもおかしいんだけどさ。あの曲はMark E. Smithについての歌なんだよ。Marc RileyはFallをクビになった{訳注:Marc Riley & the CreepersのリーダーMarc RileyはThe Fall初期のベーシスト/ギターリスト}から、あの曲でMarkの事を「Jumper Clown」{訳注:浮かれた道化、みたいな意味か?}って茶化した。僕はKeith{訳注:キース・グレゴリー/初代ベーシスト}がバンドにいた頃にCreepersのアルバムに参加するように誘われた事があって、実は話しだすと長い話なんだよ。それで、僕らがHit ParadeシリーズのB面でやったDavid Bowieの曲の解釈がまるでThe Fallの物真似みたいだって言われていたらしくて、それでその「演奏のスタイル」で彼らにトリビュートしたって訳。

Q. "Sucker"{訳注:95年のシングル。現在は編集盤『Singles 1995-'97』に収録}も実にThe Fallっぽい曲ですよね。"So Long, Baby"はPavementみたいだし。あのギター・リフは彼らの"Two States"との共通点が見出せますけど。
DG.-僕らは他のグループの音に似ない様に努力しているけど、時々君が指摘するような事もあるね。それは否定しない。

Q. あなたがRolling Stone誌のコミック・ブック「Alt-Rock-A-Rama」にコミックに関する文章を提供する事になった経緯を教えて欲しいんですけど。
DG.-何それ?

Q. Rolling Stone誌が新しく出したミュージシャンによるコミックに関する文章とそのコレクションを紹介している本で、その中で"David Gedge's Top Ten Favorite Comic Books." っていうコーナーがあったんですが。
DG.-Rolling Stoneの本で?

Q. ええ。
DG.-ふーん、恐いな。それ僕がリヴァプールの雑誌のオファーで編集者にfaxしたものだと思うんだ。確かコミックの特集とかで。僕もかなりマンガ好きだからね。それで文章を書いてくれないか、って頼まれたんだ。ちょっとした時間だったけど、そのリストを作って「こんなもんかな」って感じで。それから文章を付けてね。僕はどっかのファンジンか何かに載るもんだとばかり思っていたけど、そのRolling Stoneの本に関しては初耳だな。何とか取り戻して文章を書き直せるか訊いてみたいな。出版権がどうなっているか知らないけど...。


ライヴ、そしてDavid Gedgeの詞

ENGLISH

Q. 昨日のライヴはまるで長年連れ添ったメンバーの様に、素晴らしいヴァイヴに満ちていましたね。相変わらずアンコールには応えないんですか。
DG.-そう。時々「やる」って言いたい時もあるけど、僕は今までもこれからもそうだろうけど、コンサートは45分が辛抱できるギリギリの時間だと信じている。映画の1時間半とかコミックのこれぐらいの薄さと同じように。もうちょっとセットリストを短く出来るかな、みたいに思える事もあるよ。New Yorkではそれで良いけど、ドイツでは3時間も演奏して欲しいような感じでね。あとオランダのアムステルダムではコンサートが中盤に差し掛かるまで誰も拍手しなかったり。でオーディエンスが反応し始めた時、もうコンサートが終わってた、みたいな。それで(変なヨーロッパ訛りを真似て)「何?もう終わりかい?これで?」みたいに言うからさ。昨日は良い出来だったね。僕がオーディエンスの立場だったらどんなにそのバンドが世界中で一番好きなグループでも、35分で飽きるね。それぐらいが十分だと思う。

Q. セットリストはどうやって決めているんですか?
DG.-(ため息をついて)うん〜、あの作業は地獄だよ。ホントだって。かつてはそういうのはKeithの役目だったけどね。でも今はいないから、僕がやらざるを得ない。僕はこういうのをやるべき人じゃないと思うからね、客観的な見方があまり出来ないし。いつも新しいやつを中心にやって、それは良いんだけど、問題は古いレパートリーをやる時だね。このツアーと前のツアーでは2曲選んだ。「Orange Slices」というWedding Presentのファンジンがあって、そこで僕らのファイヴァリット・ソングの投票をやったんだ。で、それを参考にした。あとJohn Peelが放送している"Festive Fifty"でもリスナーが僕らの曲の中からその年のファイヴァリットを選ぶ企画があって、それも同様に参考にしたんだ。おかしな事に僕らは『Watusi』を出した時期だったから、たぶんシングルの"Yeah Yeah Yeah Yeah Yeah"と"It"s A Gas"が選ばれると信じてたんだけど、それは完全な間違いだった。みんなは"Swimming Pools, Movie Stars"、 "Gazebo"そして"Spangle"{訳注:いずれも『Watusi』収録}を選んだ。だから僕は気付いたね。僕はシングル・カットする曲を選ぶのが下手だって。実際今回のLPに関しては、これはあまり言うのは嫌なんだけど、僕が選んだものはことごとく失敗する感じがあったから、Cooking Vinylの人間に彼らがシングルにすると良い、と思う曲を相談したんだよね(笑)。で彼らは"Motreal"、僕らが選んだのが"2,3, Go"だったわけ。

Q. あなたが言ったその"Spangle"ですけど、あの曲で使われている楽器はなんですか?
DG.-あれはプロデューサーのSteve Fiskのアイデアさ。おかしいよね、あれは。僕らはエレクトリックなヴァージョンでレコーディングしてそれで満足だったんだけど、ある朝Steveが電話してきて「今日録ったSpangleを仕上げているんだけど、すごいアイデアを思いついたんだ。」って言ったんだ。でも僕は「そう。じゃあ明日起きてから教えてね。」って(笑)。で、彼の家へ出向いて行ったら「ケンとバービー人形」のMattel社製の小さなオルガンみたいな楽器を持ち出してきてさ。それは60年代に売られてたOptiganっていう名前のおもちゃのオルガンなんだ。小さいレーザー・ディスクみたいな、交換式のディスクで鳴るやつで。それとメキシカンかハワイアンみたいなスタイルを取り入れることにして。そのオルガンにカリビアンっぽいギターのパートも加えた。スクラッチ・ノイズみたいなチリチリした音も加えた結果、ああいう本当に古い録音の様なサウンドになった。Steveはあのテイクのために曲全部をキーボードでリアレンジしてくれたんだ。その成果は見事に出ていると思う。あれはまさにプロデューサーが何たるかを教えてくれた瞬間だった。

Q. あなたの書く歌詞ですが、どこまでがあなたの実体験からくるもので、どこまでがフィクションなんでしょうか?
DG.-たぶんほとんどが作り話だと思うよ。もちろん少しずつ、部分的に自分の考えがどの曲にも現れてはいるけれど、ある曲にはかなり自分自身が反映される事もある。初期には、大半はかなり日記的ではあったよね。中には自分のかなりきわどい体験に基づいた内容もあったから。今は手法が広がってもっと「自分がそのシチュエーションだったらするだろう」的な内容が書ける様にはなった。でも、時々欺瞞を感じるけどね。僕が誰かの会話を盗み聞いたり、何かの映画とかを見て「これは良いシチュエーションだな」と思う。すると、僕がそのシーンの一部になってその役を演じている様な気になるんだ。これは誰にでも出来るぐらい、死ぬほど簡単な事だよ。

Q. 今、あなたの「どぎまぎさせられる」内容の詞についてお話がありましたけど、時々その詞を唄っていて本当にその時の気分が襲ってきて気まずい感じになる事はないですか?例えば今度のアルバムに収められている"50s"にある「when I came, I cried out your name..(イキそうになる時/君の名前を叫んでしまう)」。これとかライヴで唄うのにはつらくないですか?
DG.-前はそうだった。昔の自分だったらの話だよ。これはパフォーマンスの一部だし、それはただやるしかない。この曲のポイントはあのキャラクターがやった事にある訳だから、人前で恥ずかしいとかそんな事は関係ない。僕の意識はどこか別の所にあるんだ。僕がその事を書いたら、それは歌うしかない。


プレスについて

ENGLISH

Q. 『Saturnalia』はイギリスでは好リアクションを得ていますよね。NME(=New Musical Express)では10点中8点を献上していたし。何かまたWedding Presentの季節が巡ってきた感じがします。前はよく批判されていたけど、今回は高い評価を受けている。
DG.-たぶんBrit Popがギター・ミュージックにまた人気を取り戻してくれたんだろうね。僕らも前ほどプレスに翻弄されなくなったし。前は別に僕はバンドがひどいレコードを作ったとは思いもしないのに、彼らから侮辱される様な事も言われて傷ついたけど。僕らが作ってきた一連のレコードはすべてスタンダードなものだと思ってる。過去のプレスに載ったレビューを読んだら、ファーストLPの時もそういう感じの酷評があったと思う。僕らはすげえレコードを作ったんだ、って実感してたのに。あれは本当にくだらなかった。『Watusi』だって良いアルバムだ。『The Hit Parade』のシングルたちもそうだし。要は彼らの好みの味付けではなかっただけで、あとその時他の人達が好んで聞いていたスタイルではなかったというだけなんだよね。でもそれがイギリスでの僕らのやり方だからね。僕らの音楽ジャーナリズム、批判精神の現れでもある。僕は彼らのやり方からそういう方法を見出した。アーティストの視点から言わせて貰うと、大嫌いだよ。でも一音楽ファンの次元では、小さなシーンの中でみんなが好きなタイプの音楽があって、そういうみんながみんな聴かないかもしれないその他の音楽があって...という選択肢が多い状態があるのは良い事だと思う。すべてがあっと言う間に推移するから、その急速に発展する過程を楽しむ事が出来る。イギリスのグループの多くが短期間で成功を収めているのはそういう状況が要因じゃないかな。Paul Wellerみたいに、Style Councilでの10年間は散々否定されてきたのに、また今時の人になったり、というのもおかしな事ではあるけれどね。

Q. でも、いくつかのシングルを除いては、本当にStyle Councilはひどかった。
DG.-さあ....よくわかんないけど。まあ君の言う事も正しいとは思う。ともかくまた彼は今注目を浴びている。それが何故だかはわからない。

Q. まあ、もしNoel{訳注:Oasisの兄ギャラガー。Paul Wellerの人気再燃に一役買っている。}があなたたちの音楽が好きだと言ったら、流行ったかもしれませんよ。でもきっとこれからも持ち上げられたり、突き放されたり、みたいな感じなんでしょうね。
DG.-そうだね。まあそれに関してはシニカルに捉えているけど。きっとMelody Makerとかは『Saturnailia』は最低の代物だ、みたいに言うのだろうし。やつらはN.M.E.と張り合っているからさ。見ててごらん。

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