INTERVIEWS

Sally Murrell :: I Used to be in The Wedding Present and Cinerama
原文はこちら

 Something and Nothingに掲載された元メンバーたちへのインタビュー・シリーズ、その真打ち登場と言ってもいいと思います。
 サリー・マーレルは1986年頃にデイヴィッド・ゲッジに出会い、その後TWPのローディーやマーチャンダイジング部門(TWP/CINERAMAの通販を利用した経験のある方なら、彼女のサインの入ったレターをお持ちではないでしょうか?)を担当するようになり、またデイヴィッドとはプライベートでも長年恋人関係にありました。1998年にデイヴィッドのソロ・プロジェクトとしてスタートしたCINERAMAではバック・ヴォーカルとキーボードを担当する正式なメンバーとして活動。しかし3rdアルバム『TORINO』発売後の2002年夏のU.K.ツアーを最後にステージ活動を引退(そのツアーの様子はドキュメンタリーDVD『GET UP AND GO』に収められています)。デイヴィッドとの恋人関係も解消し、結局CINERAMAそのものからも退くことになり、彼女の離脱によって新生TWPが実質的に始まったものとみなされています(実際にはもっと複雑な経緯を経ますが、ここでは説明を省略します)。また新生TWPの『TAKE FOUNTAIN』の歌詞にはあからさまにサリーの事を思い起こさせるラインも少なくありませんが、このインタビューはそういった背景を知る方ならばちょっとホロリとさせられるものではないかと思います。なおサリーはデイヴィッドとの破局後音楽的な活動からは離れ、プライベートでは最近第一子を授かったようです。 [last modified 6th January, 2006 : Japanese translation by YOSHI@TWP-CINERAMA /Special thanks to all the crew on Something and Nothing.]


Q. TWPで過ごした時間を短い言葉で表現してください。

エキサイティングで、楽しくて、人生に欠くことができない冒険だった。


Q. CINERAMAで過ごした時間を短い言葉で表現してください。

時にゾッとするものではあったけど、退屈はしなかったわね。


Q. なぜバンドを離れたのか、その理由を正確に教えてください。

15年も世界中を旅してきて、もう少し腰を落ち着けた生活を送りたくなったから。ターニング・ポイントになったのはある日デイヴィッドが興奮しながら部屋に入ってきて大げさに次のツアー日程を見せびらかした時…みんなが本当に乗り気だったのに私は心底から思ったのよね。「ああ、もうっウンザリ!」って。犬を置いてきたまんま何週間も離れるのも嫌だったし。たぶんローディーとしてだったらもう少し長く続けていたかもしれない。でも演奏する事は実際楽しめなかった。30代になる前だったらもうちょっと出来ていたかもね!最後のツアーでは私はまたローディーをやった…(今のローディーである)ジェシカに引き継ぐためにもね…その時はとても楽しんだわよ。


Q. TWP/CINERAMAを離れてからしばらくの間、グループの一員として過ごした時の事で何か恋しくなった事があったら教えてください。

最高の友人達と居られなかったこと。本当に愛おしい人たちで、あれだけ長い時間を共に過ごしたんだから特別な絆が出来るわよね。劣悪な環境であっても慣れてしまえば恥や外聞みたいなのはどこかに吹き飛んでしまう…夜寝る前も朝一番に起きた時だって一緒だったんだから。大抵はあまり眠れなかったんだったけどね。それと旅することも恋しくなった…ひたすらツアーヴァンに乗って果てしなくドライヴする様な日々ではあったけど、毎日違う街で目が覚めるのは面白かったし、見ず知らずの興味をそそられる人に会うことも、次に何が起こるかも分からなかったのもね。そうは言っても、マンチェスターで彼らのライヴを見たんだけど、みんな疲労困憊の様子で、ショーもあまり良い出来じゃなくてね…気持ちが分かるだけに、身に詰まされたわね!


Q. 何か後悔している事はありますか?時々まだグループの一員であったらいいな、と願った事は?

ある意味では今でも一員ではあるのよ…私が可能であれば彼らに会う事だってできるし、デイヴィッドはどこかの風景だとか素晴らしい天候だったとかを伝えるためにメールをよこして思わせぶりな態度だったりするし、今でも私の意見を訊いてきたりする。もし彼が私に彼らのレコードで歌って欲しいのなら、きっとそうすると思う。


Q. あなたがTWP/CINERAMAで最高の瞬間だったと思う楽曲、もしくはパフォーマンスはありますか?

TWPに関しては、何本もギターの弦を切ってしまったギグの事を思い出すわ。ライヴを保たせるために大変だったけど、あの作業は大好きだった。あとカナダのトロントでのショーのステージ上でダレン・ベルクがプレイ中なのにベースの弦を張り替えたのはよくやったものだと思うわ。

CINERAMAに関して最高だったのは、何日だったかはデイヴィッドに確認して欲しいんだけど、ロンドンのULU(2001年4月27日)でのチケットがソールド・アウトになった晩の事ね。あの晩は横柄なサポート・バンドTahiti 80との間でかなりいざこざがあってね。彼らが持ち時間以上にライヴをやったせいで、正気の沙汰では無いくらい出来る限り早くステージに上がらなくてはいけなかったから。でもお陰でステージに上がる前からアドレナリンがハイな状態で、1000人ものオーディエンスがノリノリで一緒に歌詞を歌ってくれたものだから、どんどんライヴも良くなった。{訳注:この夜のライヴは確かにほとんどのオーディエンスが歌詞をきちん記憶していて、それが意味的に辛辣で聞き手がドギマギする程性的なニュアンスを含んだものだとしても、それが"Suck"や"Wow"だったとしても、嬉々として歌詞をシングアロングしていたのが印象に残っている。}


Q. TWP/CINERAMAでのフェイヴァリット・レコードを教えて下さい。
(a) あなたが参加しているもの と (b) 参加していないもの の両方で。

(a) ライヴで演奏するのが楽しかったから"Superman"と言いたいところだけど(でもそう言ったらデイヴィッドに笑われるかもしれないわね)、"Health & Efficiency"が思い出深いから、これで決まりね。

(b) これは無理。彼の作ってくるものはいつだってお気に入りだったから。マンチェスターで彼らを観たときは奇妙だった…まるで私の半生のスクラップブックをめくる様な感覚に陥ったから。新作の『TAKE FOUNTAIN』も大好き。普段BBC 6 Musicを聴くことが多いんだけど、デイヴィッドの曲がかかると何かおかしくってね。特にそれが個人的な歌詞であればね。


Q. どの会場/フェスティヴァルでの演奏が“背筋をゾクゾクとさせる”(良い意味でも悪い意味でも)ものでした?

それ分かって訊いてる?私が演奏した111のギグから選べっていうの?思い出すことは数え切れない。もしくは記憶を消去しちゃったのかもしれないわね。


Q. ツアーをやっていた時、または録音スタジオにいた時の面白い逸話をたくさんお持ちだと思いますが、その中から何か紹介してもらえませんか。

毎日何かしら面白い事はあったんだけどね。でも文字に上手く起こせるような類のものじゃなくってよ!デイヴィッドがレディング・フェスティヴァルの時に女優のAnna Frielに会った時のこととかね。「エマ!エマ!僕は大ファンなんだよ!」ってね。もしくはギターのサイモン・クリーヴが初めて『Geroge Best』の高速カッティングの曲を演奏した時に見せた紅潮した表情とかね。きっとワインを山ほどかかえてテープレコーダーを回しながら私たちを同じ部屋に押し込んだらいろいろ分かるわよ。でも話し始めたら絶対止められないけどね!


Q. デイヴィッド・ゲッジについて、ファンが知らない秘密があったら教えてください。

デイヴィッドは可愛らしい足をしてるわ。


Q. バンドを離れてからTWPかCINERAMAを観た事は?

ええ、何度か。いつ観ても最高よ!いつだってエモーショナルで、特に個人的な楽曲を演奏している時はね。初めて『TAKE FOUNTAIN』からの"Mars Sparkles Down On Me"をリーズのNew Roscoeで聴いたときは涙を搾り取られた。あれには胸を打たれたわ。


Q. 今現在デイヴィッド・ゲッジとはどういう関係ですか? まだTWPに再参加出来ると考えていますか?

デイヴィッドは最高の、何でも話せる友達だし、今でも大きな尊敬の念を抱いている。私たちは失敗した訳じゃない、ただ別の事がしたくなっただけなの。もし私たちの人生に何かあるんなら、またお互いに寄り添うだろう事は疑いないわ。


Q. 近況を教えてください。

学校の試験問題の編集に携わっていて、ESOL(English for Speakers of Other Languages=他の言語を母国語とする人のための英語教育)などの教職にも就いている。今はSkiptonに住んでいて、Sidっていう男の子の赤ちゃんを授かったばかりよ。


Q. あなたのロフトにはTWP関係のお宝がありますか?

ウーン、そんなにはないかしら。たぶんそれぞれのアルバムのCDくらいはあるけど…今じゃプレミアが付いているらしい(廃盤の)『WATUSI』は除いてね!デイヴィッドと私は自分たちのコレクションをきっちり分けていなかったのよ…CDは全部私のiPodに移してしまった。ヴァイナル盤は全部デイヴィッドが保管してる。私たちが引退したらたぶんきちんと整理するかもね。


サリー・マーレルだけへの質問

Q. それぞれのアルバムのフェイヴァリット・トラックを教えてください。

『TOMMY』→"Once More"
『GEORGE BEST』→"Anyone Can Make A Mistake"
『BIZARRO』→"Bewitched"
『SEAMONSTERS』→"Niagra"と"Heather"
『THE HIT PARADE』→"Flying Saucer"
『WATUSI』→"Click Click"
『MINI』→"Convertible"
『SATURNALIA』→"Kansas"
『VA VA VOOM』→"Honey Rider"
『DISCO VOLANTE』→"Heels"
『TORNINO』→"Get Up and Go"と"Health & Efficiency"
『TAKE FOUNTAIN』→まだ選べないわ


Q.
『TAKE FOUNTAIN』の歌詞を最初に聴いたとき、どう感じました?

泣いたわ。バック・ヴォーカルをお願いされてた"Don't Touch That Dial"みたいにいくつか知っている曲もあったんだけどね…でもあの曲をエンジニアがスタジオで初めて通してプレイバックした時、まさに私に向けて作られた曲だって気づいたのよね。胸がいっぱいになった状態で歌えるわけないじゃない!まったくデイヴィッドたらヒドいわよね…あのアルバムの曲は極個人的な意味で書いてるし、その感傷を乗り越えるのに時間もかけていて、私の推測では、今回ばかりはそのプロセスは彼にとっては感情を浄化する作用があったと思うの。でも、彼はそういう曲に何週間も取り組むうちに段々と客観的になっていく。一方で私は、それを聴くと時には私たちが過ごした時間に引き戻される事になる。きっとね、こういう曲を書くことによって彼は私の事を嫌いになろうとしたのよ!とにかく、私にとって個人的なものでなかったとしても、とても感情に訴えかけてくるものがある。(シングルの「Interstate 5」のカップリングだった)"Snapshots"は若くして亡くなった私たちの友人のカメラマン、ジュリアについて書かれた曲よ。あれはただただ美しくて、感動的な曲よ。
{訳注:このジュリアとは2003年に他界したJulia Hemberの事で、『VA VA VOOM』や『CINERAMA HOLIDAY』のジャケット写真を手がけた他、『VA VA VOOM』の制作過程に多大なインスピレーションを与えた人物だったそうだ。なお、ドキュメンタリーDVDの『GET UP AND GO』の冒頭でも彼女に捧げられている。}
デイヴィッドは印象に残る明快な歌詞を書き続けられる、驚くべき才能を持っていると思う。


Q.
どの時代のTWPのラインナップがお気に入りですか?

たぶん(『THE HIT PARADE』時代の)キース・グレゴリーとポール・ドリントンがいたラインナップね。ポールはステージに上がるととてもカリスマ的で、グループもとてもダイナミックだった。自信があるわけではないけど、そうだったと思うわ。


Q.
どのメンバーがバンドを去って一番残念でした?

(初代ベーシストの)キース・グレゴリー。


Q.
最もお気に入りのT-シャツのデザインは?

1枚も持ってないわ。


Q.
ソングライティングに関してCINERAMAのどの曲で一番関わっていますか?

実際にはないわよ…歌詞に関してはいくつか手を加えた箇所はある。あと1、2曲の制作に対してのアイデアとか。でもクレジットは出来ないレベルよね。


Q.
よくあなたはライヴで演奏するのが嫌いだったと言われていますが、一体何が嫌いだったんでしょう?

人の注目を浴びるのが嫌いだった。でも本当の所なんて言っていいのかわからない。デイヴィッドは普段演奏していない時は無口で穏やかな人なのに、ステージに上がったりインタビューを受けている時は人が変わったようになる。スポット・ライトが当たるとね。私は正反対だった。


Q.
あなた自身音楽的なビジネスに戻れるとお考えですか?

デイヴィッドがレコードで歌って欲しいのならそうすると思うけど、それ以外だったら×。興味無いわ!

△TOP
←戻る
TWP-CINERAMA[dbjp] is not responsible for the content of external sites.
© TWP-CINERAMA[dbjp] All rights reserved by Yoshiaki Nonaka except where noted.