INTERVIEWS

Life on the Gedge: The Return Of The Wedding Present
interviewer : Dom Gourlay
原文はこちら

英音楽サイトDrowned in Soundに掲載されたデイヴィッド・ゲッジへのインタビューで、日付は特定できませんが、話の内容から2005年秋の欧州〜英国ツアー終盤に行われたものと思われます。内容としては『Take Fountain』以降では初となるレコーディングの話(しかもそのうち1曲はThe Beach Boysの"Caroline No"のカヴァー!これには期待が高まります)が一番の収穫ですが、全体的に見ても最近のインタビューの中では結構ちゃんと質問に応えているのが特徴で、過去のラインナップや楽曲、作品に対するコメントにはデイヴィッドなりの考え方が露わになっていて、なかなか興味深いものになっています。またFranz Ferdinandに対する彼の見解には思わず「なるほど」と膝を打つものがありました。[last modified : 16th December, 2005 /Japanese translation by YOSHI@TWP-CINERAMA]


ザ・ウェディング・プレゼント(以下TWP)とシネラマのメインソングライターとして、デイヴィッド・ゲッジは過去20年間の英国インディーズ・シーンに於いて何曲かの最も影響力のある楽曲を生み出してきた。ほろ苦い嘆きのある"Give My Love To Kevin"や"Why Are You Being So Reasonable Now?"、内省的な"California"や思い悩む"Apres Ski"、もしくは愉しげな"Boing!"などなど、いずれもゲッジ節と言うべき300曲余にもわたる傑作の数々が今日まで発表されてきた。
1985年にリーズでTWPが結成され、彼らのデビュー・アルバム『George Best』によってバンドは直ぐに、決して少なくはない高い評価と喝采を贈られ、そこからの成功への道のりも遠くはなかった。実際TWPは(12枚のシングルを1年間にわたって毎月連続でリリースした)1992年には1年間のチャート・イン曲数でギネス・ブック記録を生んだ。何度かのメンバー・チェンジがあった後に、ゲッジはTWPを“解散”し{訳注:典型的な事実誤認だが説明は省略する。}、パートナーのサリー・マーレルと共にシネラマを結成した。そしてやや小規模にはなったとはいえ、成功を収める事になる。以降、サリーと破局し、彼は“元のバンド名に戻る”事にし{訳注:これも典型的な事実誤認だが説明は省略する。}、近作であるアルバム『Take Fountain』によって時間を引き戻し、周囲に驚きを与え、彼自身も再びスポット・ライトの真ん中に戻ってきた事に気付いたようだ。

Q:なぜTWPの名前を再び使う気になったんでしょう?
デイヴィッド・ゲッジ(以下DG):正直に言うと、本当にここ数年ずっと考えていたことだったんだよ。要するに、この面子は最後のシネラマからサリーを除いたもので、シネラマのライヴのセットでも何曲かTWPの曲も演奏してきたし、今度は同じ事をTWPとしてやっているだけで、まあ2つのバンドが合併したような感じだね。

Q:80年代にTWPを始めた時、20年後もこうして観客の歓迎を受けながらツアーをするような姿を予測してました?
DG:ウ〜ン…率直に言うけど全くと言っていいほど無かったね。変なもので、20年も経った気がしなくてね。去年ドイツのラジオ局でインタビューを受けた時に、DJが「バンドの20周年のお祝いでどんな事をするのか」訊いてきて、僕は「よしてくれよ!そんな長い時間は経ってないよ!」みたいに答えたんだけどね。もし20年前に僕に会って「2005年も活動していたらどうする?」なんて訊かれたら、きっと「ありえないよ!」って答えてたと思うんだけど、まあ今こうしている訳でね…

Q:何があなたに精力的に音楽を作り続けさせているんでしょうか?
DG:たぶん音楽を作るという行為そのものに取り憑かれているんだと思うよ!子供の時いつもDJかバンドの一員になりたがっていたし、今じゃそうなっているわけで、たとえそこが知らないステージであっても、自分にとっては上手くやれる場所だというだけでね!もう来年のツアーも計画してるし、まだこの仕事を終わらせる考えはないよ。

Q:『Take Fountain』の成功を受けて、何か新曲は書いていますか?
DG:今のところは無いよ。実際年明けからずっとツアーに出てたし、残念ながらツアー中に新曲を書ける様なタイプじゃないからね。ツアー・ヴァンの後ろにポータブル・スタジオを積んでいるバンドがホントに、うらやましいよ。ショーとショーの合間に新曲のアイデアに取りかかって、ツアー初日と最終日に間に次回作の楽曲を作るようなね。僕らは初期から今に至るまで、そんな事はやった事がない。でも不思議なもんでこのツアーの終盤に、いくつかのトリビュート・アルバムの為に何曲か新しい曲を録音する目的で、シェフィールドのスタジオに向かうんだけどね。

Q:誰へのトリビュートですか?
DG:1つはレックレス・エリック。彼の"Whole Wide World"っていう有名な曲をね{訳注:レックレス・エリックは名門Stiffレーベルからデビューした70年代のパブロックを代表するアーティストの一人。"Whole Wide World"は近年発売されたベスト盤でもトップを飾っている。}。このコンピレーションの趣旨はたくさんのバンドがこの曲1曲のみをカヴァーするというものなんだ。タイトルは『The Whole Wide World Of Wreckless Eric』。
これと同時に、僕らは『Pet Sounds』トリビュートにも呼ばれていて、僕らは"Caroline No"を提供した{訳注:『Pet Sounds』とは言うまでもなく、今持ってポピュラー・ミュージック史に残る金字塔として名高いThe Beach Boysの1966年作品。"Caroline No"はそのエンディングを飾っていた名曲で当時Brian Wilsonのソロ名義でシングルとしても発売されている。来年2006年は同作品の発売40周年にあたり、デラックス・エディションをはじめとして様々な企画が予定されているが、おそらくこのトリビュート作品もその40周年を祝うものだろう。}。

Q:300曲以上もチョイスがある中で、どうやって90分のセットに収まるように選曲しているんですか?
DG:正直、僕は二度とそんなことやりたくないんだ!僕らのギターリストのサイモン・クリーヴに一任している。僕よりも上手だと思うしね。彼は90年代の半ばにTWPに加入して、シネラマでもずっとやってくれているから、僕らの楽曲に対して僕とは違った視点を持っていると思う。ショーの前にそのセットリストのコピーをもらうと興味深くてね。ファンが喜ぶような曲だけで埋めようとしているようで、彼自身はそんなつもりは全くないって。極々初期から最近のものまで、アッパーなものからダウナーなものまで、とにかく強烈なセットを作ってくるんだけど、彼はみんなの期待に迎合するような輩じゃないんだ。そりゃあ、毎晩"Kennedy"と"Brassneck"で締め括る様なセットができたら楽だろうけど、僕らはそんな風にはならない。

Q:お気に入りの曲をあのセットに組み込むとしたら、なんですか?
DG:だから、僕にとってそういうのが一番難しいんだよ。だってそれぞれの時代の楽曲にいろんな好きな理由も(そして嫌いな理由も)あるからね。"Kennedy"はTWPのお気に入りの中では下位の方だね。極めて平凡だと思ってる。アルバム『Bizarro』用の曲として録音したんだけど、全部書き上がった時は僕は次のシングルのカップリングの3番目ぐらいに考えていたのを覚えてるよ!でも他のメンバーが気に入ったものだから、A面曲に昇格してさ…今となっては歌詞がバカバカしく思えるんだ。僕はジョン・F・ケネディの暗殺に関して何か素晴らしく深みのある曲を書きたかったんだけどね…意味のあるものにしようと何週間も頑張ったよ!結局僕の長所は誰かと誰かの関係について書くことだと気づいた。
今のツアーのセットでは僕にはあまりに“インディー”っぽく聞こえ過ぎて、20年近くは演奏してなかった"Nobody's Twisting Your Arm"をやってるけど、今となっては何て良い曲なんだ!って思えるようになった。僕にとっては今回のセットでは最高の瞬間の1つだし、それは実際の所、最後に演奏してからだいぶ長い月日が経過してるからだろうとも思う。ある意味、カヴァー・ヴァージョンみたいなものかな。今のラインナップは初期の昔のバンドよりは上手く演奏出来てると思うよ!今回他にもいろんな曲を試したけど、"Nobody's Twisting Your Arm"は上手くいった。一方で『George Best』の"What Did Your Last Servant Die Of?"は挑戦はしてみたけど、あまりにヒドい出来だったから止める事にした。
{訳注:参考までに2005年秋のツアーのセットリストはこちら。}

Q:今までTWPとシネラマで本当に様々なラインナップで活動してきましたけど、どの時代のラインナップが最強だと思いますか?
DG:本当に歓迎すべき事はね、“最強のラインナップ”なんか無かったって事だと思う。それがこのグループにとっての強みの1つだろうし、僕らがこうして活動している事の主たる理由でもあると思う。みんなが出たり入ったりして、それぞれが異なったアイデアとインプットを持っている。僕はあるバンドが確立した型に執着して、そのままダラダラと惰性で活動を続けて、何度も何度も同じ様なアルバムを出すような真似が心底嫌いなんだ。で、誰々と誰々がいる“最強のラインナップ”で凄い!なんて言っちゃってね。ただ彼らは25年も同じ面子で同じ曲を演奏してるだけなのに、だよ!『George Best』と『Bizarro』は似通った所があるアルバムだけど、それ以降はどれもそれぞれ前のアルバムとは全く違うものになっている。

Q:TWPと同時代の人たちが1989年のザ・ストーン・ロージズのヴァイブを再構築しようと躍起になる中で、TWPは3作目の『Seamonsters』でスティーヴ・アルビニと仕事をしました。今あの頃を振り返ってみて、当時メインストリームに進出してきた数多くのローファイ/ノイズ・ポップを後目に、称賛を得る事は無い革新的な試みが出来たとお考えですか?
DG:僕らは評価されなかった事については結構思い悩んだけど、同時にさほど気にも掛けていなかったと思う。当時はスティーヴ・アルビニがピクシーズの『Surfer Rosa』でやった仕事が好きだっただけでね…いまだにあれが最高のレコードの1つだと考えているくらいなんだけど…当時のレコード会社(=RCA)に次のアルバムはこの人と仕事をしたい、って言った時の事を思い出すね。あの音は当時として先を行きすぎていたよ。歌が埋もれていて、代わりに感情的なギターが前面に出ている。何にせよ、明らかにメジャー・レーベルがリリースしてきたどんなレコードにも無いものだった。

Q:1992年に12枚ものシングルをリリースする『The Hit Parade』シリーズをあなた達に行わせた理由は何だったんでしょう?前もってこれが出れば、ギネスブック記録になるだろうと予測できる青写真でもあったんでしょうか?
DG:『Seamonsters』を録音した後、少し休暇を取ったんだけど、その時手つかずだったこの『The Hit Parade』シリーズの曲があってね。「次はどうしようか?」ってみんなで相談してた時に、その頃のベーシストだったキース・グレゴリーが来る年に1年間通して12枚のシングルをリリースするというのはどうだろう、というアイデアを思いついてね。彼は当時Rough TradeやSub Popレーベルがシングルズ・クラブを通してシングルをリリースしていたものに近い事をやりたがったんだ。で、みんな一旦その場を離れて各々がそのアイデアについて考える事になって、15分後に戻ってきた時には「いいじゃない!すごいアイデアだよ!」みたいになった。同時にB面についても考える事になって、僕らには全部のシングルにカヴァー・ヴァージョンを入れるのが最適だと思えた。ただ厄介だったのはレコード・レーベルの人間の説得だね。でも12ヶ月後には実際に大成功になって彼らはどれだけ驚いたかって思うよ。当時はあのギネス記録は僕らに何ももたらさなかった。今となってはあれを完遂できたのは実にクールだったと思う。僕らがあのシングルをリリースしていた時代、締切についてのミーティングにはナーヴァスになっていたな。だから(それぞれのシングルが発売された)月初めにはみんな出かけたりしてた。あれほど命令と時間に縛られた事は過去に無かったからちょっとストレスも溜まったね。

Q:でも、そのお陰で忠誠心のあるハードコアなファン層を何年にも渡って獲得する事にもなりましたよね。ただ『The Hit Parade』シリーズ以降はやや下降線を辿ったとも言えるでしょうし、その事で悩まされた事はありませんでした?
DG:まあね。名声を得られた事は楽しんだしね。別にBonoだか誰だかみたいな事をしたかった訳じゃないけど。ある程度のレベルまで落ちると、素晴らしい会場で演奏する事が出来なくなるし、レコード売るという事にも同じ様な問題を抱える事になる。最終的には、生活をするために稼がなきゃいけなくなる。

Q:ファンたちがファイル交換やインターネットを通じて無料であなたの曲をダウンロードできる現状にはどう考えていますか?
DG:そうだな…諸刃の剣というやつだよ。今は小さなレーベルにとっては生き残るのが困難な時代で、資金が無くてはどんなバンドと契約する事もできないし、そうなるとレコードだって出せなくなるから、短命になってしまう。単純な事だね。一方で、同じ技術を使う事でレコードを集める事が容易になったし、どこでも聴いた事がないような新しいアーティストたちを知る事もできる…全体的に見れば、僕はたぶんそれを利益の搾取と見ている人間の一人だと思う。

Q:今出てきているバンドで、20年前の自分たちを思い起こさせるバンドはいますか?
DG:僕はFranz Ferdinandの大ファンなんだよ。彼らの曲は僕らのいくつかの曲に似通ったものがあるし、明らかに僕らと同じものに影響を受けたんだろう…Josef KやThe Fire Enginesとか1980年のPostcardレコーズのものとか。大きな違いは僕らがやっていたものより、彼らの方がよりポップなヴァージョンだという事だね。

Q:TWPの初期には音楽誌からの好意的な評価が数多くあって、より広範囲のオーディエンスにバンドの魅力を伝えるものになっていたと思います。今、NMEはその影響力と重要性をあの頃と同じレベルで果たせていると思いますか?
DG:今のもの関してならノーだね。5〜6つのバンドを毎号フィーチャーしているだけみたいだし、編集ポリシーも音楽に集中させるものよりむしろファッションやスタイルの提案みたいになっている。 BBC Radio 1もある意味そうなっているけど、きっとある特定の層だけを対象にしているんだろうね。

Q:バンドの全史を通じて大ファンだったジョン・ピール。ほとんどのファンが初めてあなたたちの曲を聴いたのが彼の番組でした。
DG:そうだね。今でも正直、彼がこの世に居ないなんて信じられないよ。奇妙に思われるだろうけど、今でも彼の声が聞きたくてラジオをつけてしまうんだ…僕にはインスピレーションの源だったし、TWPにもシネラマにも本当に良くしてくれたんだ。あんなに偉大で、素晴らしい人だったから動揺したよ。彼の番組を自分で全てを賄わなければいけない様な人でその人の音楽を知ってもらうきっかけにしていた人はこの業界には大勢いるけど、彼は純粋にそのレコードを買って貰うように配慮していたし、僕の目にはそれこそがDJに期待される事だと写ったよ。

Q:そう言えば、TWPはジョン・ピールのトリビュート・シングルには参加していませんね。参加を要請されなかったんでしょうか?
{訳注:2005年11月にLibertyレーベルから発売されたBuzzcocksの"Ever Fallen In Love (With Someone You Shouldn't 'Ve?)"のカヴァーを収録したトリビュート・シングルの事で、本家BuzzcocksのメンバーPete ShellyをはじめPink FloydからギターのDavid Gilmoure、The WhoからヴォーカルのRoger Daltrey、Jeff Beck、New OrderからPeter Hook、Elton John、Futureheadsなど錚々たる面々がフィーチャーされている。}
DG:おかしな話だよ。2枚組の“Best Of John Peel”{訳注:2005年10月に発売されたオムニバス版『John Peel - A Tribute』の事。彼らは代表曲"Brassneck"を1990年のシングル・ヴァージョンで提供。}には参加したけど、あのバズコックスの曲には招かれなかった。おそらくあの企画をした人は僕らがかつてほど関係は無いとでも思ったんだろうね!

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