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Darren Belk : I Used to be in The Wedding Present
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 1993年7月、オリジナル・メンバーであるベーシストのKeith Gregoryが脱退。そのポジションに座ったのがこのダレン・ベルク。彼は元々初期Weddoesからの追っかけをやっていた人で、TWPに入る直前にはローディー的な仕事を手伝っていたと聞いています。旧TWP史上でアルバム収録曲としては唯一デイヴィッド・ゲッジ以外の人物がリード・ヴォーカルを担当した"Shake It"(1994年作『Watusi』収録曲)のヴォーカルがこの人です。ギターリストのPaul Dorringtonが脱退した1995年3月以降はレコーディングではギターも兼任(Jayne Lockeyが加入してからは完全にスイッチ)。1996年4月にTWPでの活動に嫌気がさして脱退し、現在は自らのバンドBeachbuggyなどで活動中です。ここでのコメントの多くはデイヴィッド・ゲッジ並びに現在のTWPに対して嫌悪感を露わにしながら唾を吐きかけるようなもの(正直、訳しているだけでもかなり不愉快になるものでした)ですが、決して友好的な形でバンドを離れた訳ではなく、元々初期TWPのヘヴィーなサウンドにあこがれていた一介のファンだった訳で(それだけにデイヴィッド・ゲッジが新たな変化を求めたポップなアプローチが表出した『Watusi』から彼のTWPでのキャリアが始まってしまったというのは皮肉としか言いようがないものです)、この様な発言内容になってしまうのも致し方ないのかなとは思います。それにしても、もうちょっと分別があっても良かったんじゃないですか、とも考えますが…。 [last modified 7th May, 2005 : Japanese translation by YOSHI@TWP-CINERAMA /Special thanks to all the crew on Something and Nothing.]


Q. TWPで過ごした時間を短い言葉で表現してください。

起きて、二日酔いで、腹が減って、酔っぱらって、また寝る


Q. なぜTWPを離れたのか、その理由を正確に教えてください。

ソニック・ユースやピクシーズの様なバンドにいたいと思ったのに、デイヴィッド(・ゲッジ)とサイモン(・クリーヴ)は弱々しいベル&セバスチャンみたいなのをやりたがったので欲求不満でね。{訳注:原文中ではサイモンは単なるSimonとだけ表記されており、ダレンが在籍していた時期を考えればドラマーのサイモン・スミスとも考えられるが、ここではどうやらCineramaの事をこき下ろしたいだけの様なのでおそらく現在の新生TWPでのパートナーとして活躍するSimon Cleaveの事と解釈した。ちなみにBelle and Sebastian自体は彼が脱退した時点ではデビューさえしていないので、本当にただの言いがかりでこの様なコメントになったのだろうと想像する。もっとも、この後の回答を見ても明らかだが、まともに答える気もなさそうではあるが。}それとビジネス的にもだんだんと信用を得られなくなってバンド内で孤立していったので、バンド活動そのものが単なるバイトみたいになってね。バンドで演奏するのは大好きだったけど、それは自分がそこにいる必然性があってこそだしね。


Q. TWPを離れてからしばらくの間、グループの一員として過ごした時の事で何か恋しくなった事があったら教えてください。

それはもうツアーだよね。とはいえその7割方は飲んだくれていた記憶しかないけれど。ただただ平坦な一本道を16時間もひどい二日酔いに襲われながらドライヴするような感じだったからさ。


Q. 何か後悔している事はありますか?時々まだグループの一員であったらいいな、と願った事は?

脱退した当時はかなり後悔したよ。だってあくまで個人的な事情だけどかなりややこしい事態になっていたから。もう半年か1年くらいバンドにいられたら良かったんだろうけど、どうしてもバンドを抜けなくちゃならなくてね。


Q. あなたがTWPで最高の瞬間だったと思う楽曲、もしくはパフォーマンスはありますか?

それを選ぶのは難しいな…


Q. TWPでのフェイヴァリット・レコードを教えて下さい。
(a) あなたが参加しているもの と (b) 参加していないもの の両方で。

(a) "Sucker"{1995年春に自主制作で発表したシングルA面曲でトリオ編成で録音した珍しい1曲。} / 僕が初めて曲の大部分を書いたものだったから。
(b) 1992年の月刊シングルシリーズ『The HIt Parade』のB面曲だった“U.F.O.のテーマ”{訳注:シリーズ第11弾"The Queen of Outer Space"のカップリング}が気に入っていたよ。


Q. どの会場/フェスティヴァルでの演奏が“背筋をゾクゾクとさせる”(良い意味でも悪い意味でも)ものでした?

1994年のフェニックス・フェスティヴァル。僕にとって初めてのフェスだったけど、今までで一番良い出来だったからね!初めてだったからあんなに背筋にいやな汗をかくような事も無かったけど、とにかく良く弾けたからさ…あれは誇りに思えるものだったよ。


Q. デイヴィッド・ゲッジについて、ファンが知らない秘密があったら教えてください。

そんな事をバラしたら、向こうの弁護士がやってきちゃうよ。


Q. バンドを離れてからTWPかCINERAMAを観た事は?

脱退して数ヶ月してからいくつかのフェスで観たけれど、どれも閉口もんでさ。「俺があのバンドにいた時ってこんなにヒドかったっけ?」って友達の(前任のベーシストである)キース(・グレゴリー)に訊いたら「そうだったんじゃない?」ってさ…ま、どうでもいいよ。


Q. 今現在デイヴィッド・ゲッジとはどういう関係ですか? まだTWPに再参加出来ると考えていますか?

なんにもないけど、再加入って何すかね?もしあのバンドともう1度ツアーをする機会があるんならそれはそれで楽しいでしょうから、答えの欄には「YES」とでも書いておいて下さいよ。


Q. 近況を教えてください。

Saucerと一緒にフル・アルバムを作ったばかりだよ…Lowみたいなサウンドで、とてもスウィートだ。現在はBeachbuggyで活動している。このバンドで3枚のアルバムを作って、うち2枚はシカゴでスティーヴ・アルビニと作った。今年後半に発表予定の4作目を制作中だ。それとWalkerというバンドで元TWPのギターリスト、ポール・ドリントンと一緒にプレイしていて、この夏にはレコーディングに入るはずだよ。


Q. あなたのロフトにはTWP関係のお宝がありますか?

ポスターに旅日誌/日記の類、テストプレス盤、山ほどの写真、とにかくいっぱいあるよ。自分が関わったレコードも出来るだけ持っていたいと思っているけど、再発ものとか誰も知らせてくれなかったりするので、漏れはあるかな。それにTシャツだったり、古いレコードの契約書、何曲かその演奏方法を記した紙切れもね。リハーサル・テープなんかもあったな。


ダレン・ベルクだけへの質問

Q. 1ファンとしてTWPを様々な国を股にかけて追っかけた時代の事で最高の思い出を教えてください。

いろんな素晴らしい思い出があるよ。泊まっていけよ、なんて言ってくれるいい人にもいっぱい出会えたしね。初めてツアー移動のバンで泊まった時の事、初めてバンドが僕が前のショーに来ていたのを覚えていてくれた時の事、そして人生で初めてダイヴした時の事もね!そのお陰で会場からつまみ出されたりもしたけどね(実際にほっぽり出されたんだよ!)。発表前の新曲を聴いた事や、素晴らしいサポートバンドに出会えたこと、などなどさ。全ての音楽を愛する人に出会えた事、TWPを追っかけてる世界中の人に出会えた事、バンドにいた時に出会った人も、とにかく最高だった。中には一生の友達になれた人もいたし、幸運だったよ。

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