INTERVIEWS

Feb. 2001 David Gedge, Dare Mason & Steve Albini:
Recording Cinerama's Disco Volante

原文はこちら

2000年9月に発売されたCINERAMAの2nd Album『Disco Volante』はその制作プロセスからしてもハイブリッド・アルバムと呼ぶべき多面性を持った作品だと思う。一聴して明らかなバンド・サウンドのボトム音の重厚さと特色的なアンビエンス。そこにCINERAMAでデイヴィッドが『Va Va Voom』の制作時に新たに会得したオーケストレーションの演出、それまでになく明瞭に記録され、官能的な響きのあるヴォーカリゼーション・・・一見分離しそうな要素がブレンドされ、見事な調和を見せる。全体性を奪還した最大の勝因とも思えるその音響、つまりはそのエンジニアリングには最初に聴いた時から興味が沸いたものだった。
本作はデイヴィッド・ゲッジの別のバンド、ザ・ウェディング・プレゼントの1991年の事を覚えている方なら間違いなく驚きの声を挙げただろう、あのシカゴのスティーヴ・アルビニのスタジオでまずバンド部分のレコーディングが行われ、続いてロンドンで1stの『Va Va Voom』を手がけたデア・メーソンがヴォーカルとストリングスなどのオーケストレーションの録音とプログラミング、そして最終的なミックス・ダウンを手がけている。そこには三者三様の思いと哲学が交錯している。デジタルとアナログ、ビジネスとクリエイティヴ、エンジニアとアーティストのプライド。様々なせめぎ合いの中で生まれたものがこの『Disco Volante』が持つ複雑な奥行きに繋がっていく。そんな事がよく分かるのが今回の長編ドキュメンタリーというべきレポートである。
途中、多少専門的な固有名詞が並ぶ事もあり、今まで紹介してきたインタビューと毛色の異なる内容なのはもちろんなのだが、何しろ関与した2人のエンジニアの発言内容〜おそらく今回がインタビューは初めてとなるだろうデジタル時代の申し子風なデア・メーソンと、純アナログ主義の頑固者スティーヴ・アルビニのキャラクターの違いがあまりに対照的で非常に面白い。機種やソフト名がボンボン飛び出すメーソンと機種名や機材のスペックなどこだわりを見せないかの様な、そして徹底的にデジタルを唾棄するアルビニ(後者はおそらくこの手の専門誌としては誠に不向きなコメント内容にも思える)。その両者の手腕を上手く場面場面で反映させていったデイヴィッドの名采配ぶりもここで改めて浮き彫りになったと同時に、今まで全く言及される事が無かったデア・メーソンというエンジニア/プロデューサーのスタンスが明確になった気がする。今まさしくまたもやこの布陣で新たな作品が生まれようとしているタイミング(ただしデア・メーソンのスタジオはロンドンからコーンウォールへと移設した)でもあり、これまでの、そしてこれからのCINERAMAを聴く上でも示唆的内容に富んだテキストだと思う。多少長く分かりにくい所もあるかもしれませんが、出来れば『Disco Volante』を聴きながらぜひお読み頂きたいと思います。また出来る限り注釈と参考になるHPへのリンクを貼っておりますが、何せ訳していてもそのメカニズムに全く想像の及ばない箇所もあり、ここはぜひレコーディングの実情に詳しい方からの助言も頂ければ幸いです。[2002/1/11 YOSHI@TWP-CINERAMA]


ウェディング・プレゼントのフロントマン、デイヴィット・ゲッジとエンジニア/プロデューサーのスティーヴ・アルビニは共に激しいラウド・ギターを基調にしたオルタナティヴ・ミュージックの担い手であった訳だが、そんな二人がザ・ストゥージズよりもセルジュ・ゲーンズブールの影響が色濃いアルバムを作るなんて、一体全体何が起きたというのだろう?トム・フリントが調査してくれた・・・

「最初電話で僕のアイデアを話した時は“そりゃあ、おぞましいサウンドになりそうだな”って言ってたよ(笑)」デイヴィット・ゲッジはスティーヴ・アルビニにシネラマのコンセプトを話した時の印象をそんな風に語った。確かにゲッジのそれまでのインディー・ロック/ポップ・スタイルの作風をより(アルビニみたいに引き気味のリアクションをさせる様な)典型的なジョン・バリーとエンニオ・モリコーネ・スタイルのアレンジに発展させるそのアイデア自体はあまり驚くべき事ではないのだろう。がしかしアルビニと言えばあの悪名高きアメリカン・ハードコア・パンク・バンド、ビッグ・ブラック で注目を集め、後にNirvanaの"In Utero"、Pixiesの"Surfa Rosa"、P.J. Harveyの"Mansize"をプロデュースした人物である。そんな彼にシネラマの様なプロジェクトを任せるのは決して良い選択には思えなかったのだが、デイヴィット・ゲッジは時折予測不可能な事をしでかす男でもある。

デイヴィット・ゲッジはザ・ウェディング・プレゼントのフロントマンとしてよく知られている。1987年のデビュー作『George Best』の発表以来、あのJohn Peelに擁護され、音楽プレスからは自然とザ・スミス亡き後のインディー・ポップの王者と見なされていった。またその音楽は典型的なドラムにベース、2本のギターに、デイヴィットの一本気なヴォーカルで構成されていたが、恐れを知らない彼らは全編ウクライナのフォーク・ソングで固めた『Ukrainski Vistupi v Johna Peela』まで録音している。さらには「シャフトのテーマ」や「ツイン・ピークス」のカヴァー・ヴァージョンなどでテレビ・テーマや映画音楽への興味も示してきた。

『George Best』から10年以上が経過し、ゲッジは自らの新プロジェクト、シネラマに集中するためザ・ウェディング・プレゼントを一旦休止した。新バンドの最初のアルバム『Va Va Voom』(Cooking Vinylから1998年に発表)はゲッジとエンジニア/プロデューサーのデア・メーソンとの共同プロデュースだった。そしてその2年後の今現在、シネラマの2ndアルバム『Disco Volante』が“Wow”“Lollobrigida”“Your Charms”といったシングルも共に自身のレーベルScopitonesからリリースされている。今回はゲッジとメーソン、そして(シネラマに対しては当初懐疑的だった例の男)スティーヴ・アルビニが共同プロデュースを務めた。


Va Va Voom

ゲッジはシネラマのプロジェクトそのものの始まりについてこの様に語っている。「僕はこれまで常に映画的な音楽、つまりはサウンドトラックとかTV番組のテーマ曲という意味なんだけど、そういうのに興味があったんだよね。で、できたらそのフィールドで何かを作りたいとも思っていた。ザ・ウェディング・プレゼントはギター・バンドとして成立していたものだから、こういう構造の音楽は作れないだろうな、とね。実際にその手のテーマ音楽をカヴァーした事もあるにはあったけど、完全に満足出来るものではなかったし。だから、自分自身のプロジェクトを始めようと思ったんだ。」

「たいがいのロックバンドは曲を書いてレコーディングをしたその後に、楽曲をよりスケール・アップさせようと飾り立てる目的でストリングスをオーヴァー・ダブしているけど、まあ、そういうやり口は嫌なんだ。僕は曲を書いてから・・・という方法よりはその歌の中でそういうストリングスの要素を予め構築した上で後から加えるものは最小限に止めたかった。それで、まずたくさんのサウンドトラックのCDを聴き始めてね・・・エンニオ・モリコーニにイタリアの西部劇もの、ジョン・バリー、エリック・ウインスタンリー、それから“Department S”{訳注:1969年に英国ITCが制作/放映されていた人気スパイ・シリーズもの。日本では「秘密探偵S」のタイトルで放映。}のテーマ曲みたいなやつとかね。それから、以前よりヴォーカルものも好きになってきて。ザ・ウェディング・プレゼントはギターがより重要視されていたからヴォーカル・バンドとは見なされなかったしね。前からイージー・リスニングのレコードにある様な女性のバック・ヴォーカルが好きだったから、TWPの時も頭の中ではいつもそんなパートを思い描いていたものだったよ。」

後にアルバム『Va Va Voom』へと発展していくプロジェクトが進行する前に、ゲッジはマネージャーに彼のヴィジョンを実現するのに相応しいプロデューサーを見つけてくれるように依頼した。たまたま運良く、このマネージャーは元Townhouse{訳注:THE TOWNHOUSE STUDIOS、ロンドンのゴールドホーク・ロードにある大手録音スタジオ。Queenが頻繁に利用していたスタジオでもある。}のエンジニアだったデア・メーソンに雇われていた事もあり、また折しも彼と仕事をするアーティストを探してもいたので、両者は自然と引き合わされる事となった。即座に、限りあるレコーディングの予算の使途が決定づけられた。「僕がスタジオをブッキングするのに全部使い果たしてしまったんだろうね!(笑)」デアは認める。「僕自身のギャランティーが払えなかったので、自宅でいくつか仕事をしないとアルバムには取りかかれない状況だった。僕はAkaiのMPC60{サンプラー}と16トラックのFostex D160{MTR}を持ってて、『Va Va Voom』ではMIDI{訳注:1982年に米Oberheim社、ROLAND社などによって提唱された音楽関連の統一規格。メーカーの違う楽器同士でも同様の演奏ができるよう考えられたもの。}データをMPC60に流し込んで音声はD160に、という方法をとったんだけど、今ではその機材は卒業してCubase搭載のMacintoshを使っている。」


プロジェクト始動

ゲッジが克服すべき最初の問題はストリングスやブラスセクション、彼の想像する典型的な映画音楽に用いられる楽器を現実の作品にどう結びつけていくか、という事だった。「学校で音楽を学んだ事は無かったしその他のクラシック音楽のトレーニングも積んでいなかった。ただ、僕はロックンロール・バンドになりたかっただけの男だったからさ!」彼は続ける。「友達がCakewalk{シーケンス・ソフト}をくれたので、それで曲を書き始めたんだ。で、気が付いたのはまさしくこれこそが僕の必要としていたものだった、という事でね。だから同じソフトのさらに良いヴァージョンのものを入手して、それからデジタルの8トラック・レコーダー、さらにAkai S3000サンプラーもね。そのサンプルCDに入っていたストリングスを使ってプログラミングを始めたんだ。」

「デイヴィッドは彼がやりたい種類の音楽(洗練された映画的なタイプの)に対する基本的なアイデアはあったからね」とデア・メーソンは説明する。「彼は自分が当時入れ込んでいた音楽のテープを山ほど送ってよこしたんだ。それはかなり広範囲に及ぶものだったけれど、正直言えば、自分にはあまり参考にはならなかったね。でも彼にとってもそうだろうけど、それはどうしても僕には必要な学習課程だったんだ。なぜって、彼がどんなタイプのサウンドを欲しているのか、彼の頭の中に入り込んで知らなくてはならないだろう?それから彼が作ったアルバムのドラム・マシーンやギター、ヴォーカルに奇妙なキーボードのトラックも含まれたラフな4トラック・デモが送られてきてね。当初彼は全てプログラミングされたドラムで作りたいと考えていたから、僕がたくさんのループや、キーボードのサウンドもプログラムした。いくつかは上手くハマったし、そうじゃないのもあって、でもまあすぐにループ音が彼の作品のテイストには合わない事が明らかになった。いつも訊かれたよ。“フィル・インはどこなんだ?”ってね。そうだよな、それまでは彼の後ろには才能溢れるドラマー{=Simon Smith}がいた訳だからさ。」

「ある音が彼を目覚めさせたと思うね。最初デイヴィッドはそれらを何と表現したらいいのか分からなかったから、僕がだんだんとサウンドの範囲を絞り込んでいった。ホーン・サウンドで好きなのはフレンチ・ホルンだと分かったので、この間のアルバム(=『Disco Volante』)では全てのシークエンスでフレンチ・ホルン奏者を2重に入れてみた。ジョン・バリー・ライクなサウンドも相当お気に入りだったから、ツィター(Zither){訳注:オーソン・ウェルズ主演の映画『第三の男』の主題歌で知られる弦楽器}のサンプルを持ってきて演奏してみせたんだ。そしたら“ワァオ!何だいそれ?それ絶対使おうよ”だって。だからこの音源も僕らのライブラリーに加えた。で、今ではツィターにストリングス、テレミンにヴァイブ、メロトロン・フルートにメロトロン・ストリングス、それから古い楽器Optigan{訳注:TWPの1994年作『WATUSI』でも活躍した鍵盤楽器}の音源が入った“DAVID GEDGE”ラベルのディスクを用意してるよ。」

ゲッジはこの制作過程で直面した幾つかの障壁についてこう説明する。「最初は始めてしまえばものの3、4ヶ月くらいだろう、と甘く考えていたんだけど、実際に形にするのに結局1年以上試行錯誤を繰り返したよ。例えば、僕が1本の指で入力したピアノのパートを、Cakewalkからプリントアウトするよね。で、それをスタジオに持っていってピアノ・プレイヤーに見せたら“こんなの、手が3つ無いと無理だって!”って怒られたりね。あとヴァイオリニストだったら“この楽器はこんな低いパートは出ないから、演奏できませんよ!”なんて呆れられる様な事とかさ。」

「2本のオーボエでハモらせて演奏するアイデアも考えたんだけど、オーボエ奏者曰く“2本のオーボエで同時に演奏させるなんてとても考えられません!”っていうんだよね。でも僕は“大丈夫だって、このデモ・テープでは上手く鳴ってたから”って説き伏せたんだけど“いや、ダメですって。だってオーボエは自然な音色が出ないんです。フルートならクリアな旋律が吹けるけど、オーボエには少し独特な濁りがありますから。”で実際に吹いてもらった。最初のパートは良かった。でも次のパートは恐ろしいものでさ!今では楽器の制限も理解出来たから、前よりはよく書ける様にはなったよ。」

完成した『Va Va Voom』は通常のギター、ベース、ドラムとヴォーカル同様に、セロ、ヴァイオリン、フルート、オーボエ、トランペット、そしてテレミンがフィーチャーされた。サリー・マーレルによる女性のバッキング・ヴォーカルも重要なパートを占めている。

作品に対するレビューは好意的だったが、アルバムはゲッジ自身の野心を十分に満たしはしなかった。「振り返ってみれば、僕が成し遂げたかったレベルには達しなかったんだよね。だからもう一度やってみたいと思った。それが『Disco Volante』を貫くエモーションになっている。『Va Va Voom』ではとにかくザ・ウェディング・プレゼントのサウンドから離れるのに必死で、ちょっとアコースティック寄りになってしまった。当初はループを使って、全ての音をマシンで同期させるのに興味があったから、その方向で進行してたんだけど、本物のドラマーを使い始めたら音楽が生命を宿して、以前よりサウンドが数段良くなったんだよね。だから『Disco Volante』では明確に生身の人間の演奏を念頭に置いてに全てのパートを書き始めたんだ。確かにいくつか同期している部分もあるけど、それも大部分はミュージシャンによる演奏だし。別にもう二度とザ・ウェディング・プレゼント的な音楽をやりたくない、という事じゃないから、それら2つの要素をこのレコードにとけ込ませてみたんだよ。」


 シネラマ的お気に入り 

デイヴィッド・ゲッジは映画的な音楽とその構造についての考えをこう説明する。「僕が惹かれるのはそのスケールと多くの映画音楽が持つエモーションだ。そのエモーションたるや、とてつもないものだよ、ほんと!かつてはスケールの大きなサウンドを得るにはただ素晴らしいドラム・サウンドがあればいい、と思っていた。それは確かに良く聞こえるけど、でもその方法論には限界がある。映画音楽のプロダクションは楽器のダイナミックさそのものが鍵になる。ホーンは柔軟に対応できる楽器だけどそのパートは必ずしもホーンである必要はなく、時にはストリングスでも行ける。だから同じ楽曲内での同居が可能だ。例えばフルートは本当に大好きな楽器なんだけど、ハイ・ピッチで澄んだ音が吹けるからサウンドが引き立つんだよね。ビッグ・サウンドが欲しい時にはたぶんセロをボトムに据えてホーンをトップの部分にもってくるといい。これらはもう素晴らしい響きがあるから何度もその見地に立ち返る事になる楽器なんだけど、反面その種類のもので嫌いな楽器もある。特にサキソフォーンの音は嫌いなんだ。あの音を聴くと僕にはすぐ80年代のMORが思い出されてしまってね。だから自分の作品では絶対使う事はないよ。」

「『Disco Volante』に関しては極めて現代的なサウンドだと思っているよ。今のところ、こういう映画的な音楽で用いられる様な楽器っていうのは懐かしい響きを醸し出すし、トレモロ・ギターも同様だけど、まあ僕は50年代、60年代、70年代、そして90年代とずっとこの手のサウンドに引きつけられてきたからね。今やテクノロジーの発達でこれらが自由に使えるのだから、使ってみるべきじゃないかな。」

ディストーションをかけたギターサウンドを取り除いてオーケストラ楽器を用いる方向に向かったのはゲッジの音楽の魅力を損なう結果にはならなかったのは明白だ。だが「でも“Wow”は爆発的に始まって、さらにエンディングでもさらに炸裂してるからね!」とデアは声を大にする。「デヴィッドは“ギターのパートが始まったら、もっとラウドにしてよ!”って言ったけども僕はこう返したよ。“でもコンプレッサーのメーターを見てごらん。もういっぱいいっぱいだよ!”だから僕はコンプを外して、お望み通りにギター・パートをラウドにしてあげたんだ。彼はそういう‘Wall of Sound’の作り方に関してはちゃんとノウハウが分かっているんだ。で、“Wow”の終盤では5本のギター・パートの他にベース、ドラムス、フルート、セロ、ヴァイオリン、ホーン・セクション、それとたぶんキーボードのパートもいくつか入っているよ。」

「アルバムの前にリリースされたシングル“Manhattan”の終盤でも音を被せているけど、まるで24の異なる楽器を鳴らしている様な感じだった。デイヴィッドはとにかく曲のエンディングが好きなんだ。ミキシング・エンジニアとしてはそういう場面にフィットする様に方法を見いだしていくのはとても良い経験で、その為には持っているもの全てをフル回転しなくてはね。その楽器に対して適切な周波数帯域を見つけてやる必要もあるし、さらにきちんとした定位にパンして、リヴァーヴやディレイに関してもテクが要る。結果、聴覚的に正しいスペースが得られる。あの曲に関してはもはや何も付け加えるべき隙間は無いよ。」


新しいディール

『Disco Volante』へ向けて、ゲッジは自身のレーベル‘Scopitones’を設立する事に決めた。それにより、彼自身のアルバムの為に融資する責任を自ら取る立場になった。(まだCooking Vinylとの契約があった)『Va Va Voom』に関してはその予算を自由に動かせない事が制作の自由を奪っていたからだ。

まるでジョン・バリーの影響を自ずと認め、そんな彼の意志を明確に表すかの様に、ゲッジはアルバム・タイトルを1965年のジェームス・ボンド映画『サンダーボール大作戦』{シリーズ第4作目}に登場するLargo(ラルゴ)が所有していた水中翼船の名前‘Disco Volante’から名付けた。再びサリー・マーレルがバッキング・ヴォーカルを務めたが、さらに今回はウェディング・プレゼントのギターリストであるサイモン・クリーヴも加わり、アルバムにおける‘サーフ・ギター’パートを担っている。また本プロジェクトに多少の‘ウェディング・プレゼント・フィール’を導く目的で、ゲッジは1991年にザ・ウェディング・プレゼントの『Seamonsters』を手がけた人物スティーヴ・アルビニと再度共同作業に臨む事を決めた。「スティーヴを選んだのには幾つもの理由があるんだ。」ゲッジは説明する。「彼は世界でも最高のエンジニアの1人だと考えているし、彼の手がけたサウンドはどれも気に入っているんだ。
彼の技術は特別神秘的ということではなくてね。膨大なマイクのコレクションを所有してるし、彼の録ったドラム・サウンドは全て素晴らしいドラム・キットから生み出されるから、あとは上質なマイクがセットされ聴覚上完全に調整された録音ブースで録るだけ。そういう場所で録られた音がどんな風になるかは明らかだよね。そういう環境もシネラマにとって良い方向に作用したとさらに確信を強めたね。まあバンドの数人はそうでも無かったみたいだけど。」

「彼にはザ・ウェディング・プレゼントやエンニオ・モリコーネ、ジョン・バリー、バート・バカラック、そしてサーフ音楽といったキーワードを列挙した“僕が影響を受けたものリスト”を渡したよ。でも、たぶん‘セルジュ・ゲーンズブール’の箇所を指し示した時だったけど、彼の反応は“エェェェェェ!?”って感じでね。彼はいつも軽い感じの形容詞で‘おフランスっぽい’って使うんだけど、あれ以来使うのを多少遠慮してたよ!でもそんな人だから、もしスタジオで彼のあまり好きなテイストでは無い事を演奏しているといつも“その音はちょぉっとおフランスっぽいね!”って言うんだけども。」

「彼にはアドヴァンス・カセット{製作中途の段階の演奏をおさめたテープ}を渡さなかったし、それまでも彼はテープから演奏を起こす様な事はしなかったよ。僕らがその曲を演奏する時が初めて彼が曲を耳にする時なんだ。そのやり方で上手く行かないんなら、僕らはもっと感性の合うプロデューサーと同じ事を繰り返さなくては、とも考えていたけど、でも彼は聴いた上でプロジェクト全部を引き受けたいと言ってくれたんで、助かったよ!余計な予算も使わずに済んだしね。」

アルビニはアルバム収録曲お披露目の時の印象をこの様に話した。「抽象的な物言いにはなるけど、もうかなり大勢の人たちが既に進出している領域に足を踏み込んでいる様な感覚でね・・・少しオーケストレーションがあって、サウンドトラックの影響も見えて、っていう。でも僕には元々、デイヴィッドには世間によくあるレイドバックしたオーケストラル・ポップものにありがちな、平凡な出来には陥らせないセンスと才能がある、っていう信頼があったからね。だからもし君らにとってその手の音楽が聞き飽きているものだとしても、シネラマはきっとその予想よりは遙かに良いものだよ。」


エレクトリカル・エフェクツ

最初のバンド・レコーディングは全て、アルビニが設計し建設したスタジオ、シカゴのElectrical Audioで行われた。このスタジオを最も特徴づけているのはその綿密な“オール・アナログ機材”のセット・アップにある・・・Studer 820 24-trackレコーダー、Neotek Series II コンソール、Ampex ATR102 half-inchミックスダウン・デッキ、そしてB&W 805 Matrixモニターが配置されている。この素晴らしいElectrical Audioのアナログ・セットアップはシネラマのアルバムのどの要素はレコーディング出来てどの要素が出来ないかを自ずと決定づけている。デア・メーソンが言う。「デイヴィッドは2ndアルバムをどの様に制作するかをまだ確信出来ていなかった様だけど、ギターやドラムみたいなパートはどうしてもアルビニに骨を折ってもらいたかったみたいでね。で結局、また予算の問題にブチ当たるんだ。もし全ての事をアナログで行うとしたら、数週間はかかる・・・ヴォーカルを録音するために、とかカッティングとかペースティングだのの編集とか、わざわざデジタルで対応可能な事をするためにアメリカに渡る事は出来ないから、アルバムの全ての歌と演奏をそこで収録しなければならないよね。それだってコストは膨大だ。計画はプロジェクトをこの見地から見直す事になって、ヴォーカルやストリングスに多くの時間を割く事になった。僕らには使いたいストリングスやホーンとトランペット奏者もいたから、(ロンドンでの)オーヴァーダブの作業に関しては明確に見通しが立ったんだよ。」

ジョン・バリー・テイストの色濃い音楽と、ヴィンテージもののアナログ機材の環境、なんていうとまるで1960年代のボンド映画に出てくるスペクター本部を思わせる様な、くたびれた白いコートをまとい、クリップボードを持った男たちのいる絵がどうしても思い浮かばれるのだが。ゲッジいわく、実際のスタジオもかなりそれに近いイメージなんだそうだ。「そこで働いている人は全員オーバーオールを着ている。BBC無線電話機のワークショップの技術部とか何かみたいでね。アルビニ曰く“皆オーヴァーオールを着ると気持ちが引き締まって、仕事に取り組んでいる気持ちになる、と言っている”との事だから、それで相変わらず着ているんだよ。」

アルビニはこの奇妙な儀礼の背後にはさらなる理由がある事を明かす。「別に服装基準を設けているんじゃないんだ。フライ・フィッシングをやる人が常に川専用のブーツを履くのとそう事情は変わらない。ある日スタジオにいったらスタッフの1人が山ほどオーヴァーオールをもらって来ててね。これは理想的な仕事着だよ・・・ものを入れるのに十分な大きなポケットも付いてる、ぶつかっても大丈夫なしっかりとした縫製、それに自分の服が汚れたりや裂けたりするのも防いでくれる。レコードを作る作業の大部分はフォークリフトの無い倉庫で働くのと似てるものなんだよ。物を運んだり、何かの下に潜り込んだり、整理整頓したり、とか何とかね。ジャンプスーツじゃ不向きだろ、大きすぎるし。」


レコーディング・プロセス

シカゴではシネラマのサウンドにとっては必要不可欠なストリングスとブラスのパートは一切録音されなかった。そのため、ゲッジはトリガーで音を出せるよう適切なサンプルを流し込んだ彼のAkai S3000サンプラーとCakewalkを動かせるラップ・トップ・パソコンを持ち込む事となる。「僕らがリハーサルした時はクリックトラックに演奏して、僕は録音ブースの空いたところでPAからサンプラーをずっと走らせておいたんだ。」ゲッジは続ける「ちょっと変則的なやり方だけど、バンドは後から音が加えられる事を予め分かった上で演奏しなくてはならないからね。でも、良いリハーサルだったよ。一方でそれはアルビニに対しても必要な事で、何しろ彼はリハーサルをちゃんとしないバンドには容赦無いからね。」

繰り返すが、アルビニの十分にリハーサルされたバンドに対する好みとレコーディングに関するアプローチははっきりしている。「スタジオに入る前にその音楽を演奏する準備が出来ていたら、結果は十分満足いくものになるだろう事は当然だからだ。もし演奏する前に曲の最初から最後までを聴いた事が無いんだとしたら、一体どうやってその曲のポテンシャルを十二分に引き出したらいいんだい?曲が演奏された時の事を記憶しておけば演奏するのは困らないだろうしね。

僕はバンドのセットアップ中に音の鳴りを確かめてみるんだ。ドラムから始めて、それからそれぞれの楽器へ、何か響きの悪いのが目立つ時は再調整して。よくあるセットアップやレコーディングが終わった後に調整するなんていうのは僕のスタイルではないね。また特定の曲ではある楽器において違ったテクニック、もしくはヴォリュームやトーン、ムードに関わる事とかを要求される。そういった事は繊細に行われるべき仕事の1つで、必要とあらば急いで調整してやらなくてはならない。

どのマイクやプリアンプを用いたか正確には覚えていないけど、ドラムにはクローズマイクとオーヴァーヘッド、離れた場所にアンビエント・マイクを設置している。ファイナル・ミックスの段階でどんな不測の事態にも対応出来るようにね。時々いくつか“録りこぼし”は起こるけど、そんな事も念頭にいれた上で万全にしているんだ。ただミックスの時に僕は居ない訳で、その現場で僕の仕事に対して何かしら不満はあるのかもしれないけどね。特殊なトラブルが起きない限りはコンプレッサーやリミッター、EQの類はめったに使う事はないし。僕はドラムスのスネア・マイクに関しては目立たせるけど、オーヴァーヘッド・マイクの1本に関してはあくまでエフェクト程度に止めたいと考えているよ。もし不満が起こるとすればたぶんその事かな?

 スティーブ・アルビニの録音格言 

『Disco Volante』はスティーブ・アルビニがElectrical Audioで録音した数あるプロジェクトの1つに過ぎない。しかし彼の哲学はどのプロジェクトにも一貫している。彼は言う「僕が他のバンドと行った仕事にどれだけの特定な技術が共通しているのかはわからないけど、おそらく根底にある概念的なルールは一緒だね。」

一.バンドがやりたいことは全て周到に準備するべし
一.今すぐやるべし、後回しにするべからず
一.それがバンドにとって良く聞こえないというのであれば、サウンド自体そのものが良くないのだ、という事を心得るべし。
一.バンドが親分である。我は一介のエンジニアに過ぎず。プロデューサーはレコードに対するアーティスティックな方向性を決定づける責任はあるが、私には無い。よって、エンジニアの責任はレコーディングに関する技術的な職務遂行にあり。
一.たとえそれが容易に見えても、決して近道するべからず

残りのセッションでどの種類のマイクを用いたかは思い出せないな。その録音する日にマイクがどういう調子かにもよるけど、何百とあるマイクのどれかだろうね。何せ200本以上あるし、それぞれを活かせる固有の特性と異なる使途もある。それぞれのマイクの持つ特色を把握しておくのもエンジニアの仕事の1つだ。利用したエフェクト類も思い出せないけど、(今後の事を考えると)ちょっともったいなかったかな。スタジオには膨大な機材があるし、必要なものは全て揃っていたけど、どの場面で何が使われたかは思い出せないものでね。」


オーヴァー・ザ・トップ

シカゴ・セッションも終盤、ドラムとベース、エレクトリック・ギターの一部分、いくつかのヴォーカル・パートが録音された。アルビニはそれらを後でデア・メーソンがオーヴァー・ダビング作業を出来るように24トラックの2インチ・マスターに落とした。だが作業を開始する前に、音源をCubaseに移動する必要があった。

デアは言う「あの作業はちょっとした悪夢だね!」と。「デイヴは非常に理路整然とした奴だけど、あの作業は彼の性格のようにシンプルでは無いんだ。一連の録音テープとクリックトラックはそれぞれ複数のアナログ・トラックに分けて落とされている訳。ここで問題になるのは、そのクリックトラックはSMPTE{訳注:SMPTE Time Code、元来は米国映画テレビ技術者協会=Society of Motion Picture Television Engineersの間で使われるタイムコードの構成の意。ビデオテープに記録された時分秒フレームの記録に使用していたもので、業務用レコーディングのフィールドでも共通規格として汎用されている。}再生はされないものだということ。だからタイムコードでシンクロ再生させるのは無理。クリックトラックも振り分けられた24トラック・テープを受け取ったけど、それはただ“シュー、シュー、シュー・・・”っていう状態でさ。で、ガイドトラックからのクロストークが全部に生じている。それに加えて、あちこちのトラックでアルビニがハサミを入れた状態だったんだ。」

「で、この問題に関して、僕は別のエンジニア、クリス・マッデンの力を借りる事にした。まず僕らは24トラック・テープからハードディスク・レコーダーのRADARに流し込み、これでワウ・フラッターなどの再生時の不安定さは回避できた。その後、RADARCubaseをワード・クロックを介して同期させ、さらに同時に今ではとても思い出せない様な超複雑なプロセスを経てMIDIをシンクさせたんだ!もう、まる2日間爆弾処理班の様な感じだったよ。」

オーディオ・トラックのシンクロとハードディスクへの転送を成功すると、いよいよデア・メーソンのホーム・スタジオでのオーヴァーダブ作業である。「デイヴィッドと僕にとっての最初のステージはアメリカでレコーディングされたものを聴いて何かオーヴァーダブ作業に入る前にやるべき事が無いかを確かめる事だった。全体的に、1、2点のギターを除いては実によく出来ていた。残念な事にテープにはギターリストのサイモン・クリーヴがベースとドラムと共にライヴで演奏していたのが入っていた状態だったから、彼のパートをきちんと吟味する術は無くてね。だから、全てのベースとドラムの演奏を残して、いくつかのギター・パートをやり直す事にしたんだ。特にトレモロを使ったプレイはもっとクリアーな音質の方が良いだろうと思ったしね。ディストーションのかかったギターのパートはもうどれも文句無しの録音で、アコースティックのも最高だった。」

「それから取りかかったのはプログラミングだった。『Disco Volante』でのストリングスのサンプルは全部デイヴィッドのS3000サンプラーからのものだよ。私たちはデイヴィッドのプログラムしたMIDIをMIDIクロックを介してCubaseに移した。それから彼のストリングス・プログラム全てを検証してシカゴ・セッションのものと全て合致する様に取り組んだ。それが済むと、本物のストリングス奏者(ヴァイオリン1人にセロ奏者1人)の登場だ。彼らの音を録音するこういうマルチトラックの作業を少なくとも3回、たぶん4、5回は経験して初めて、そのテクノロジーの恩恵を理解し始めると思うね。それでもなお、昔ながらのスタイルとヴァイオリンで本物のプレイヤーを大勢使う方が良いと思うかな?この方法は使えるけど特殊なタイプのサウンドだから、ヴァイオリニストの演奏から最良のパートを抜き出してプログラムされたパートに重ねて、それからさらにミックスしていくのが最良の方法だと分かった。プログラミングのストリングスだけを使うよりもより生き生きとしたサウンドになるんだよね。」


 自主レーベルへのこだわり 

『Disco Volante』はゲッジ自身のレーベルScopitonesからリリースされた、文字通りの意味でのインディーズ・アルバムである。なぜ独立レーベルを立ち上げる事にしたのかをゲッジはこう説明する。「かつてザ・ウェディング・プレゼントはReception Recordsっていうレーベルを持っていて、他のバンドとも契約していたんだよね。Cudはデビュー・シングルの“Never Mind The Gap”をリリースした。

僕らのレーベル・マネージャー、スティーヴ・ヤングがCooking Vinylを辞めた事がレーベル設立の決め手となったんだよね。なぜなら本当にイイ奴だからね、彼は。(ザ・ウェディング・プレゼントとシネラマがCooking Vinylとの契約を終了して)いくつか他のレーベルが興味を示してくれたんだけど、結局どれもCooking Vinylと同じレベルなんだよな。でスティーヴは“もし自分のレーベルをやるんなら、僕がフリーランスの立場でマネージャーをやってあげるよ”ってね。それこそ僕らが望んだ事だったから。彼はディストリビューターとしての仕事や、日々の様々な業務もこなして、何か大事な決定用件がある時は僕に電話して相談してくる。本当に上手く行っているし、自分たちでレーベルを運営したいバンドにとってはこの上ない環境だね。収入が13%より80%の方がいいし、何より大部分の事を自分たちでコントロールできるからね。物事が上手く行こうが行くまいが、誰か他人のせいにするより、自分たち自身で責任を取った方が良いしね。」

「デイヴィッドのやり方には相応しいあり方だよね。」デアも同意する。「彼が彼自身のレコードの権利を有する。それがどれだけ大事な事か、この業界に長年身を置いている彼だから分かるはずさ。いろんなバンドがレーベルと契約を結ぶ事を目指すけど、それはもっと熟慮されるべき事柄なんだ。オッケー、アルバムを作ったとしよう、でもそのアルバムはレコード会社のものだ。マスター・テープも同様に、だ。奴らはそれを廃盤にする事も出来るし、他社にライセンスする事も出来る、どんな値段を付けるのも自由だ。おまけにディストリビューターもチョイス出来る。例えば別のレーベルにまたがってバンドを継続していて、“ベスト・オブ・○○”みたいなアルバムやリイシューを出したくても、レコード会社に‘お小遣い’を渡さなければならない。デイヴィッドはレーベルを運営するために正しい選択をしたと思う。あとは運が味方をする事を祈るよ。」


最終仕上げ

『Va Va Voom』と『Disco Volante』のレコーディングの間に、デア・メーソンは彼の録音機材をアップグレードしている。彼のメイン・レコーダーはもはやFostex D160ではなく、MOTU 2408インターフェイスを装備されたAppleマッキントッシュになった。標準的な機材ラックを使用している彼のホームスタジオではアコースティック楽器はCubaseに直接録音され、ストリングスとヴォーカル用にNeumann U47マイクをレンタルしてある。「Neumann U47ヴァルブ・マイクを設置したホールにストリングス奏者を連れだしたんだ。それから何のEQをかけずMackieのデスク・プリアンプから、僕のTL Audioコンプレッサーに通す。MOTU 2408で得られるくらいのと同等のクリアーさでね。別に特別な音色は欲しく無かったんだ。なぜならミックスの段階で調整はいくらでも出来るからね。」

ミックス作業はロンドンのIntimate Studiosで行われた。デア・メーソンは言う。「相当数の機材をIntimateに持って行かねばならなかったよ。モニターにサンプラー。オルガンとヴァイヴスのサウンドで使用していたRoland Sound Canvasとかね。Emuもいくつかのサウンドで使っていたけど、メインはS3000だね。

「いくつかの曲では24トラック以上使っていたから、そういう時はMOTUからの出力を使った。24 ADAT用の出力チャンネルがあったから、そのうち16をパッチしてFostex D160に流し込み、アナログに変換した。それから24アウトプットをフル活用する為にMOTUの8個のアナログ出力も使ったな。

コンソールのHarrison MR2デスクもよく使ったね。Harrisonコンソールを通した音が僕には一番しっくり来るんだ。何人かには驚かれるかもしれないけど、トラック上ではアウトボードのEQは一切使用していない・・・デスクには付いているのに、って訊くのかい?だって僕は大のコンプレッサー好きなんだ。スタジオには一つのラックの中にUREI 1176sコンプもあるし、Summitsも少し、dbx 160s、Gain Brainsっていうちょっと上級機のコンプレッサーも一緒に入っている。それ程コンプレッションを必要とはしないギター・サウンドにもこれらを用いたよ。

ドラム・サウンドには恐ろしくコンプレッションがかけられてていたね。一旦ステレオ・トラックにサブミックスしてからコンプをかけた。ドラムは10トラックから選べた。スティーヴ・アルビニはバスドラの前方と後方、それから4〜5個のアンビエンス・マイクを立てていたんだ。その内2本のオーヴァーヘッドはルーム・アンビエンスを十分拾っていてね・・・彼は他のオーヴァーヘッド・マイクを動かしてシンバルに出来るだけ近づけて音を補填しようとしたんじゃないかと思う。アルビニは4日間で13曲を録音して、“Wow”に関してはデイヴがアルバムの前にシングルとしてリリースしたかった事もあって、ストリングスとホーンを除いた状態で完全に仕上げられていなければならなかった。だもんで、耳障りなあれやこれやは何もかも取り除かれていたという訳。この曲に関してはずいぶんと楽させてもらったね。」

「ドラムには全くと言っていいほどリヴァーヴはかけていない。とても信じてもらえないのはわかるけど、あのリヴァーブ感はアルビニのスタジオで録られた、そのまんまの音なんだ。アルビニは相当離れた場所にマイクを設置した、ただっ広い部屋でレコーディングをしたに違いないよ。その手法に何か問題があるとすれば、クローズ・マイクさえもが大きな部屋で録音している様な風に聞こえてしまう事だろうね。これは個人の趣味趣向の問題だから、もし僕が録る事になったらあんなにアンビエンスを活かした 音にはならないだろうね。僕は同じスペースでバンドがレコーディングしている風に聞こえる音が好きだからさ。ただデイヴィッドはまた僕とは違うヴィジョンを持っていて、スティーヴの音をそのまま使用するより、僕のテイストでミックスしたらさらにユニークなものになるから好きだってね。デイヴィッドならおそらく“ドラムをもうちょっとアンビエントにしてみない?”っていうかな。で僕が“何でこんなクソ仕事やらせんだよ!もう十分レッド・ツェッペリンぽい鳴りしてんじゃねえか!”って返してね(笑)。

僕がこのアルバムに関して決定権があったなら、もう少しスプリング・リヴァーブやプレート・リヴァーブ、理想的にはチェンバーを効かせるだろうね。今回はこういうのを使用しなかったから、僕はエフェクターのYamaha SPX1000のプリセットで‘Old Plate’というのをオーケストラ楽器にかけて、Lexicon 224の‘Rich Plate’も必要に応じて使用した。ドラムスとは反対に、デイヴィッドはヴォーカルが前面に出たドライな感触が好きだから、“Lollobrigida”はついに何のヴォーカル・エフェクトを使わなかったよ。で僕のAlesis Microverbに入っているReverseというプログラムがあって、これがミキシングの時のヴォーカルの座りを良くするのに最高のエフェクトなんだ。いいかい、200ミリセカンドのディレイだ。これをあのセッティングの時にスラップ・バック・ディレイをかける目的で使用するとヴォーカルがさらに滑らかできめ細やかになる。で、ショート・リヴァーブとスラップ・バック・ディレイの間を交差する様な感じになるんだ。
僕はああいう安っぽい機材やエフェクトの大ファンなんだよ。使うのにシンプルだし、高価なものでやるよりもあまり複雑じゃない方法で、1つか2つくらいその機種のポテンシャル以上の機能を発揮する事がある。

一度デスクでの左右の定位と音のバランスを見る目的で最初のミックスを作ったんだけど、全体的にスムースに流れすぎてたんだ。バンドのサウンドを固めてからヴォーカルを加えて仕上げてね。それから残りの要素を加えて引き締めていって。一旦全てを僕の好きなバランスで上げたんだけど、デイヴが入ってきてドラムスのアンビエンスをもう少し効かせて欲しい、っていうから、“ヴォーカルはもっとラウドにしなくていいのかい?”って聞き返してね。そういう事が煮詰まる原因だったし、また彼との間の口論の元でもあった。僕が彼が考えている以上にヴォーカルをもっと大きめにすべきだ、と説得したんだと思う。彼はザ・ウェディング・プレゼントの時はギター・サウンドの下に声を埋もれさせがちだったからね。歌詞は少なくともシネラマの50%を占める要素だから、この歌詞を堪能してもらえると嬉しいよ。でもデイヴはドラムとアンビエンスに関しては自分を曲げないんだけどね!」


 純アナログ主義 
スティーヴ・アルビニは彼のスタジオに一切のデジタル機材を置いていない理由をこう説明する。「僕の耳にはデジタル・サウンドより実際の楽器やヴォーカルのサウンドが持っている感触に近いアナログ・サウンドの方が良く聞こえる。その機能が実証されている機材や技術を捨て去る事は何の利益ももたらさないし、アナログ・マスターは永久的なものなんだ・・・少なく見積もっても100年は持つ。デジタル・マスターじゃ、こうは行かない。このスタジオでも難儀な技術的ディスカッションが起こるけど、結局のところデジタル・レコーディングのシステムはやがては廃れゆくものか、職務上は不適当なものとされてゆくという結論に至るし、また人知を得ていないハード・ディスク・ファイルも人間の手でバックアップを取られていないデジタル・テープやディスクも、比較的短期間で自ずとそのクオリティを堕落させていっているし、それに普遍的なレコーディング手法である僕のスタイルでは最小限の作業で全ての事が完遂出来るとみなしているしね。

デジタル・システムは一般生活におけるコンピューターの故障と同じくらいの数多くの問題をスタジオ内に招き入れる。だから僕はバンドや彼らのオーディエンスにそんな厄介なものを与えたくはない。
アナログ・システムは使うのにも信頼できて、迅速で、簡単なものだよ。酷使しても尊敬に値する頑丈さだし、メンテナンスや修理も容易く、クリエイティヴでエクスペリメンタルな録音技術に適している。技術者やリスナーの耳を疲弊させる事もない。最後に、長期間機材を使おうと思うんなら、アナログ機材はその価値を予想以上に維持するものだ、という事は肝に銘じておいた方がいい。」


世界へ向けて

ミックスが完成し、アルバムはガイ・デイヴィスの手によりHilton Groveでマスタリングされ、2000年夏にリリースされた。特別仕様の重量ヴァイナル盤がゲッジの手からアルビニ(このフォーマットでは一家言持つ人物)に送られ、これがこのエンジニアが完成した作品を初めて耳にする機会となった。このアルバムを‘いいレコードだ’と評する一方で、アルビニはこのプロセスに関しては疑念の声を上げる。「僕は高い基準を持っているからこそ、常にプロジェクトの最初から最後まで関われるよう準備をしているし、機材が整備された状態にあるのは好きなんだ。1人のエンジニアと環境から得られたプロジェクトが別の場所へと押し込まれた場合、それは矛盾した折衷的な結果を産んでしまう。これは他のいくつものプロジェクトと同様、シネラマに対しても真実だよ。」

ゲッジもまたこのハイブリット・プロジェクトの結果には満足しつつも、スティーヴ・アルビニとのプロジェクトにはまだ十分可能性がある考えている。「僕は他のオーケストレーションも引き連れて最初から最後までアルビニとプロジェクトを添い遂げたいと思うよ。それが彼の理想だからね。彼はグランジ・プロデューサーとして知られているけど、彼の最高のアイドルはジョージ・マーティンだしアビー・ロード・スタジオを愛しているんだ。彼は『Disco Volante』にある種のエッジをもたらしたと思うし、そうでなければ仕事はしなかったよ・・・それに最高のドラム・サウンドだろ!将来的にはまたザ・ウェディング・プレゼントの作品を本当に作ってみたいんだけど、それが(シネラマの如く)さらに楽器を入れる事になるのか、もしくは(4ピース・バンドならではの)制限の中で作る事を楽しむ事になるのかはまだわからないけど。その時が来たらわかるさ。」

△TOP
←戻る
TWP-CINERAMA[dbjp] is not responsible for the content of external sites.
© TWP-CINERAMA[dbjp] All rights reserved by Yoshiaki Nonaka except where noted.