INTERVIEWS

Feb. 2001
Interview with David Gedge
(抜粋)
原文はこちら


前途有望なリーズ出身のバンドThe Wedding Presentのフロントマンとして10年以上も過ごした後、デイヴィド・ゲッジは1998年に新しいバンドCINERAMAで“未知の水域”への航海に乗り出した。
ゲッジは『Va Va Voom』(みじめで情けない恋歌にわずかばかりのディストーション・ペダルが加味されたワイドスクリーン・アルバムだ)のリリースによって彼が全く新しく始めた方向性を立証してみせた。4月2日にはCINERAMAのPeel Sessionの編集盤も発売される。ゲッジ氏はいくつかこちらの失敬極まりない質問に答えるために時間を割いてくれた・・・CINERAMAについて、彼のFestive Fifty{訳注:BBC Radio1のJohn Peel Showで毎年暮れに開催される有名な読者の人気投票。The Wedding PresentとCineramaの曲も当然ながらよくランクインする}に対する想い、そして、鉛筆の歴史についてもね・・・。


Q.CINERAMAのサウンドはそのスタート以来発展してきましたよね?

バンドが始まった時みんなにどれだけ自分が映画音楽から影響されているかを伝えてきた・・・あと60年代のTV番組のテーマ曲みたいなやつとかね・・・でも発表された1stの『Va Va Voom』は別にそういうサウンドの作品ではなかった。今は僕の元々、言うなればまあ“ヴィジョン”とやらにバンドがかなり近づいているとは思うね。


Q.自身のレーベルScopitonesからCINERAMAのレコードを発表し始めたわけですが、そのアイデアはどこから来たんでしょうかね?で、なんでまたCooking Vinylを離れたんでしょうか?

Cooking Vinylにはがっかりだった。ぶっちゃけて言うけど、彼らは古いおなじみのファンが既に付いているアーティストを売るのは得意だったと思うんだけど{訳注:実際ここ数年同レーベルと契約したアーティストの中にはXTCやEcho&the Bunnymenといった、かつてのU.K.シーンの顔役だったアーティストが数多いので、そういう現状を指しているに違いない}、CINERAMAに対しては何かもっと挑戦的でいて欲しかった。偶然にも、時を同じくしてレーベル・トップのマーケティング担当者が辞めたもんで、彼にScopitonesを運営してくれないか頼んでみた。で、自分のレーベルを持つ、みたいな事がとてもエキサイティングに聞こえたみたいで、実際今ではめいいっぱいやってくれている。

他のインディ・レーベル(例えばThe FallのArtfulとか・・・まあリーダーのMark E. Smithとはこの為に楽しい“ミーティング”を過ごしたんだけども)から話はあったけど、結局自分が完全にコントロール出来るレーベルを持つ方が良いかなと思ったんだよ・・・The Wedding PresentがかつてReception Records{訳注:デビューの1985年から1988年の"Why are you beiing so reasonable now?"までリリースしていた自身のインディ・レーベル}を運営してたみたいに。


Q.Mark E Smith.との“ミーティング”とは聞き逃せない話ですね。Smith話を少し話してもらえませんかね?

Markとは前もかなり会ってはいるんだ・・・レディング・フェスティヴァルとかJohn Peelの50回目の誕生記念パーティーとかね。でも交わす会話はいつも簡潔で。「やあマーク!」って声を掛けたら「あいよ!んじゃな!」って。だからArtfulの人間が僕らを引き合わせた時もそんなに期待はしてなくて。でも結果的には一緒に楽しめて素晴らしい夜になったんだけど。彼はホント親しみやすい人で、僕が矢継ぎ早に質問する事も許してくれたし。まあこれは彼にはそんなに嬉しい事じゃなかったかも。「これはインタビューかなんかか?ってえの!」って言ってたしね。でもまあ、The Fallは1977年以来僕のフェイヴァリット・バンドであるわけで・・・他のどんなバンドと比べてもはるかに多い回数のライヴを見に行っているし、数週間前にもまたLeedsでのライヴに行って来た。そんな訳で、あんまりその夜に話した事のほとんどは覚えてなくて・・・でも確実に思い出すのは彼が僕の後頭部の寝癖をお父さんっぽく平らになでつけてくれた事かな(笑)。それからマークはClint Boomのステージに"I wanna be your dog"{訳注:Iggy & the Stoogesのカヴァー}を唄いに上がっていった・・・。


Q.Cooking Vinylはあなたがやってきた事に対して何か実際に口を出したりしました?もしくはあなたが望んだ契約は何も縛り付ける事も無い自由だったとか?

その質問が言わんとする意味に答えるなら、何にしろ彼らがアーティステッィクな示唆をもたらした事は無かったよ。それは、ある意味、この離脱問題の一番のポイントで、物事が進行しない限り、彼らはただ傍観してただけだった、という。RCAとIslandに在籍していた頃、宣伝マンはみんな熱心に話に入ってきてくれた・・・アドバイスしてくれたり、プロデューサーは誰が良い、とか、スタジオは?ヴィデオ制作者は?スリーヴ・デザイナー、などなどね。もちろん最終的な決定権は僕らが持っていた・・・それがThe Wedding Presentと仕事をする時の基本だからね・・・だから議論もそこにあって、でも少なくともみんな口に出さなくても音楽とバンドに対して情熱的な関心があったから。でも、Cooking Vinylときたら会計士と話している様な感じしかなくてね、ホント。だからもう、奴らは必要ない、って決めた。


Q.Steve Albiniが最新のCINERAMAのLP『DISCO VOLANTE』を録音してますーーーこのセッションはどの様に進行したのでしょうか?

完全無欠の完璧さだった。Albiniは今まで仕事した中では最高のレコーディング・エンジニアだ。旨いパンケーキが作れる事は考慮に入れないとしても(笑)。何人かその仕上がりを危惧した人も居たけど、The Wedding Presentとの仕事(訳注:1991年の空前絶後の大傑作『SEAMONSTERS』)同様、僕は本能的に彼がCINERAMAに新たな方向性をもたらしてくれる事は分かっていたから。僕らはこのセッションでアメリカの法制度や鉛筆の歴史についても学んだんだよ。


Q.鉛筆???

スタジオに入ればいつも何も起こらない“待ち”時間があるんだよ・・・エンジニアがテープ・レコーダーをセッティングしている間とかなんとかね・・・で、そんな時には本を読む時間になる。Albiniは 『DISCO VOLANTE』録音中の期間、「鉛筆の歴史」という本に夢中になっていたんで、合間合間に黒鉛がどこで採掘された、みたいな事を言うわけだよ。僕は鉛筆はイギリスで発明されたと思ってたんだが・・・なんで彼は僕らが興味を持っているだろうと思ったんだろうな。


Q.彼自身のバンド、Shellacについてはどう思いますか?

Shellacはいいよね。だいたい僕は“歌もの”好きなんだけど、Shellacのサウンドはスゴいんで、あれは聞き逃せないでしょ。


Q.Albiniがあんなに数多くのバンドから素晴らしい結果をコンスタントに引き出せるのは何が要因なのか、正確に指摘する事は出来ますか?

はいはい、出来ますよ〜。あまりにシンプルなんで笑うけどね!彼はバンドと話して彼らが余計なお金を使わない様に順序立てて十分リハーサル出来るよう前もって伝えておくんだけど、でもその金言を守らなければ、結局、バンドは完全に監視される事になる。最近言ったんだよ、「それがバンドにとって快く思えないんであれば、それ自体が良くないって事だ。」って。彼は全員が確かな楽器を演奏している事を確認する・・・例えば、希にだけど、ドラム・キットがちゃんとチューニングされているか見るのに十分な時間を掛けたりね。それからバンドを高価なマイクが聴感上適切にセッティングされたブースに通す。そうそう、BBCの古いマイクもたくさん持ってるね。それから全員一緒に演奏させて最高のクオリティのミキシング卓を通し、磁気テープに記録する(デジタルではない)。絶対にショートカットは使わない、物事が終了すれば直ちにそれはフィックスされる。事実、これはThe Beatlesとジョージ・マーティンが仕事をした頃から試みられ行われてきたポップ・ミュージックのレコーディングのフォーミュラ(定式)だよ。それは非常に明白だから、なぜ誰かいつか他の何か別の方法を試さないのか不思議に思うだろうね!


Q.『DISCO VOLANTE』の仕上がりには満足してますか?

あぁ・・・だって今じゃ自分がCINERAMAの曲を書く方法が分かったからね。最初のアルバムでは少し大変だったけど・・・OK、正直に言おう、“かなり”だな・・・・ストリング・アレンジをしたりとか。何せ僕はきちんとした音楽教育は受けてないしね。


Q.一番最近の作品は除いて、あなたが最も誇りに思っている作品はなんでしょう?

そりゃ答えるのは不可能だよ。むしろ僕はそれぞれ全てが固有のはっきりとした個性を持っているという事実を誇りに思うし、比較は出来ない。強いて言うなら、間違いなく後に出たものの方が好きだと言うだろうね・・・御存知の様に、より“売れなかったもの”になるんだけどさ・・・


Q.今まで自分が全く意図した通りにレコードを作れた事がありますか?

無い。もちろん、無いよ。いつだって聞き直してみれば、変えたくなる所はあるもんだよ。


Q.では最も近かったものは?

それなら、『DISCO VOLANTE』だね、間違いなく・・・なぜならレコーディングの間僕は制限される事から完全に自由だったし。ソングライティングとアレンジに関して“グループ”内で妥協する必要も無かったし。The Wedding Presentっぽいサウンドにする制限も無かった(『Va Va Voom』の時に自分自身に課したものだった)。{訳注:この発言が不可思議に思えるなら、それはThe Wedding Presentに対する認識が間違っている。いくらオリジナルメンバーが彼1人だからといっても、TWPは完全にスポンティニアスで民主的なグループだから。} 背後に迫り来るレコード会社も居なかった。そして今回はどの楽器を使うべきか、どの様に鳴らすかを心得ていた。今では自分がメロトロンが好きで、サキソフォーンが嫌いだと言う事も分かる。


Q.つまりは、あなたのかつてのバンドの様では無いサウンドにする為に、『Va Va Voom』で意識的に自らに試練と訓練を課したと?

そう、まさしく。“ソロ”レコードを作るのにわざわざThe Wedding Presentの様なサウンドにする必要は無いと思ったし。でも、間違ってたね。『DISCO VOLANTE』はレコードを作るのにやってはいけない事は何も無いんだ、全てやってみるべきなんだと教えてくれた。結果として、それは『Va Va Voom』より強いものになったし・・・また出来上がったものはThe Wedding Presentの様には聞こえないしね。


Q.それは何か別の事をやるのに“可能だった”チャンスだと見ますか?それともCINERAMAはこれまでずっとその機会が現れるのを待って潜在意識の中で眠っていたのでしょうか?

両方だよ、ホント。1994年からずっと自分自身の為の何かを出来るんじゃないかとずっと考えてきたんだって・・・でもそれをやり通すために自分を奮い立たせるには2〜3年を要した。自分は決してそれを確信していた人間ではなかった・・・あまりに馬鹿げた恐ろしい考えだったろうし・・・特に適度に成功したバンドの中で安全なマユにくるまれた状態ではね。

アルバム『WATUSI』では・・・それは1994年に発表されたものだったけど、The Wedding Presentが変化して行こうとしていたのが聴き取れると思う。あれは僕らの作品の中で最も異なった作風に結果としてはなったもので。問題なのは、僕らがみんな次に何処に行くべきなのか異なった考えを持っていた事で・・・それが原因で(ギターリストの)Paul Dorringtonと(ベーシストの)Darren Belkはバンドを抜ける事が次の場所としては最高だと思ったんだけどさ!もちろん発展したいバンドにはいつも困難が伴うんだけど。みんなが上手く1つのヴィジョンを共有する事は出来る、でも彼らが第2候補のアイデアに同意する事はほとんど無いもんだよ。それがほとんどのバンドが同じ様なレコードを何度も何度も作る原因なんだろうね。


Q.最近アメリカをツアーしましたけども、東部13州でのCINERAMA への反応はどうでしたか?

驚くほど良かったね・・・最初はああいうロック化された文化の中ではちょっと自分らのはポップ過ぎるかもな、と思っていたんだけど、きっと別の違う何かを探している人たちが何処にでも居るんだろうね。最初のCINERAMAの北米ツアーは凄まじかった・・・僕らは朝早い時間に遠くまで移動してね。2回目のフィラデルフィアのギグはBelle & Sebastianのサポートだったんだけど、あれは悪夢だった。


Q.恋人のSally Murrellとバンドを共にしている訳ですが、ヨーコ・オノやリンダ・マッカートニーとの比較対象になるようなトラウマをどのようにして避けてますか?

わざと自分自身を悪く言うようなリスクを承知で言えば、それこそが自分たちが成功していない原因なんでしょうな!もし彼女がThe Wedding Presentに加入して何百万枚もアルバムが売れたんなら、そういう類の性差別主義の批判を僕らが引きつけているんだろうね。その視点で言うならレコードは自分がやっている事に対して現実に理解しているコアなファン向けにしか売っていない、という事になるからね。


Q.私の認識では、The Wedding Presentは正式には解散してない、という事ですよね?なぜ昔のバンドを過去のものにするために解散宣言しないんでしょう?

んまあ、部分的にはまだ存在しているのでね・・・とにかく、もししないとしても、僕は大々的に解散宣言みたいなやつを発表する必要があるとは思ってないね。解散やら再招集みたいなやつの大半はマーケティングの道具じゃないのかねえ?


Q.CINERAMAとしての活動をスタートさせてから、だいぶファン層は変わったと思いますか?

そうね、まあ小規模にはなったんでしょうな!それは僕自身の失敗でもあると思うし・・・「CINERAMA featuring David Gedge」としては売りたくなかったからで・・・現実を見てしまうとね・・・僕はWedding Presentのファンをがっかりさせたくなかったよ。幸い、僕はWedding PresentのファンからはCINERAMAに気が付いて好きで居てくれるという人からの評判しか聞いてないけど。


Q.あなたはFestive Fiftyに一家言持つ人物としても有名ですが、実際に何か付けているものとかあるんですか?統計表やらチャートやグラフみたいな?

他の人たち以上に持っているとは思わないけどね。テープには録ってる。リストも付けてる。で、彼らがランクされた順位に基づいて算出したリストも作ってるよ。そして、そうだな、それがクリスマスの最高の楽しみの1つになっていると思う。まあ、喜んでいいんだかわからないんだけどさ(笑)。

でもPeelは僕の趣味を大袈裟に言い過ぎだと思うけどね、きっと誰かが現実に自分の番組のチャートに異常な関心を示しているのが可笑しいんだろうな。


Q.この音楽産業に長年身を置いてきて、何か心残りになっている実現しなかった野心などはありますか?それとも十分に成功した果報者として第一線から退かれるとか?

いや、全然満足はしてないよ。僕の創造的な道程の一部は「野心を完了させるストレッチング」であると思う・・・一度何かを満たされたら、また新たなものを発見したくなるんだ。


Q.これまで様々な場所でJohn Peelの為に500曲近いセッションを録音してきましたが、特に思い出に残っているものはあります?どれが一番誇りに思えるセッションですか?

やっぱり一番最初{訳注:1986年2月11日}のが一番思い出深いかな。俺は“あの場所”に居たんだ・・・そう、この俺が!・・・Meida Valeで、Peel Sessionを録音したんだ!!ってね。あの番組を聴いて育った人間なら間違いなく感慨深いものだよ。例えば「Top of the Pops」に出る事なんかより遙かにエキサイティングなんだって。

僕はPeelが『Seamonsters』のセッションをその年の最高のセッションに選んでくれた時は鼻高々だった。あれって1990年?{訳注:1990年10月14日}それからCINERAMAの2000年のセッション{訳注:2000年9月19日}のサウンドもかなり気に入っている。へえ〜、もう10年経つんだねえ。

あと3回のウクレイニアン・セッションは一番楽しかったね。まああんまりストレスにならなかったからね{訳注:ウクレイニアン・フォーク・セッションのシリーズではDavidはサイド・ギターとバック・ヴォーカルのみ担当}。


Q.バンドの次の予定地は?

(売り上げが伴わないとしても)皮肉な事に予定は満載だ。ファンタスティックな『Cinerama: The John Peel Sessions』の編集盤をまとめ上げたところで、これは最初の2回のPeel Sessionに加えて「Peel Acres」でのアコースティック・セッションもの、それとMeida Valeで行われたJohn Peelの60回目の誕生記念パーティーでのライヴからも収録される。これを4月にリリースして、続いてニュー・シングルの"Superman"がアルバム『DISCO VOLANTE』からシングル・カットされて、それからずうっとツアー・・・イギリス、ドイツ、アメリカ、カナダ・・・たぶんスペインにイタリアにナイジェリアも。OK、最後のやつは冗談だ。
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