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Joe Hickey :: I Used to Mix Live Sound for The Wedding Present(抄訳)
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 ジョー・ヒッキーは1989年から95年頃までライヴでのエンジニアを担当していた人物。今回初めてこの方の事を知りましたが、バンドのすぐ側にいたスタッフならではの視点でTWPの事が語られており、ツアー中の思い出はロックバンドのロードの様子が垣間見える逸話でなかなか面白いものです。 [last modified 11th October, 2005 : Japanese translation by YOSHI@TWP-CINERAMA /Special thanks to all the crew on Something and Nothing.]


Q. TWPと過ごした時間を5つの言葉で表現してください。

寝る、働く、演奏、働く、飲む


Q. 何年くらいバンドのために働いていたのでしょうか?

1989年から95年頃まで…いつが最後のギグだったかは忘れたけれどね。たぶんサイモン・スミス/デイヴィッド・ゲッジ/ポール・ドリントン/ダレン・ベルクのラインナップだった頃にやった欧州ツアーの最後、フランス・トゥールーズのLe Jimmyでのライヴだったかな。でも(ダレンの後に加入した)ジェイン・ロッキーがステージにいたライヴも確かにやった記憶があるから、あの後のフェスティヴァルでも単発的に関わったと思う。


Q. あなたの職務の中でどんな役割を果たしてきましたか?

初めてTWPの為に仕事をしたのは1989年、ベルギーのPukkel Pop Festivalだった。その時は他の何よりもモニター・アウトをチェックさせられた。でもReading Festivalの時には思わず仕事を投げ出そうとしてしまったな。だってその日ラモーンズが演奏してたからね。ラッキーな事にその前のPukkel Popでも出演してたんだけど、ステージの袖から見られたんだよ。その時にもらったラモーンズのピックは宝物だよ(今でも持ってるんだ!)。ジョーイ・ラモーンがマイクスタンドを通路に置いて、あの例のポーズを決めていた時に、(その頃のローディーだった)ジョン・パークスは「君もやってみたいかい?」なんて訊かれてたっけな。

あれから何年か、ローディー仕事もやりつつサウンド・マンをやって、彼らからの信用を十分得られるようになってから、ようやくツアー・ヴァンを運転させてもらえた。


Q. 当時の仕事の典型的な1日を教えてください。

バスで寝泊まりするようなツアーをやった場合は大体こんな感じだった…

・朝6時:起床。憩いのひととき。
・8時:どこか「大」を出来る場所を探す
 (ツアー・バスの中では絶対に「大」をやってはいけない掟があった)
・9〜10時:ライヴ会場をチェックして、PA係に何の機材をヴァンから降ろせばいいかを確認。
・11〜12時:荷下ろし(摂れればその前に食事、それがたいていの場合朝食になってた)の後PAと照明準備。
・12時を廻った頃にPAに灯を入れて、それと並行してジョン・パークスとサリー・マーレルが機材の準備を始める。
・それからしばらく照明のセッティング中は暇な時間。サポートバンドにサウンドチェックをさせるから3〜4時頃に僕らのサウンドチェックが終わってそれから昼食になる。
・ブラブラして、夕食。そしてギグ。
・ギグがハネた後はみんなバラバラに片づけしてツアー・ヴァンに荷造りする。それからシャワー。
・深夜1時を廻った頃、ようやくみんなバスになだれ込んで、少しくつろぎつつ飲んで、次の場所への移動中に眠りに就く。

これで50ポンドなら悪くないだろ!

ただし北米ツアーの場合は「眠りに就く」を「うんざりする様なカンカスのデコボコ道をドライヴで横断する」、「シャワー」「くつろぐ」を「うんざりするほど運転してて、結局全てのモーテルへのルートが渋滞しているのに気付く」に言葉を入れ替えなくちゃね。

これでも45ポンドなら悪くないよね!


Q. TWP / Cineramaでのお気に入りの曲はなんですか?

CINERAMAの曲は全然知らないんだ(デイヴィッド、良かったら何枚か送ってくれよ!)。TWPだったら"Dalliance"に "Dare"、"Suck"…『SEAMONSTERS』の大半かな。それとプラス『BIZARRO』の曲、あとは古典の"My Favorite Dress"や"Kennedy"とかね。でも正直、TWPのアルバムを熱心に聞いていたとは言えないので、こういうお気に入りを挙げるとなるとライヴの時の記憶を辿らないといけないんだよね…ウ〜ン、ダメだ。看護婦さん、今すぐ薬を!


Q. TWPでどこのライヴが一番心に残っていますか?

僕にとってはロンドンのAstoriaでやったショーが最高だったな…サウンドも最高で、あの時は全てが上手くいった。結構頻繁に、自分が思うようなサウンドにできなくて、その事をバンドに伝えるとバンドもあまり良い演奏にならなくてガッカリさせられたんだ。だからAstoriaではこの2つがリンクしたんだ…サウンドが素晴らしければ、バンドも最高の演奏ができるって事が。

あと『SEAMONSTERS』ツアーはほとんどが素晴らしかった。曲が僕のセッティングに上手くハマってたしね…ある種の暗さがあって、閉所恐怖症的で(ヴォーカルが聞き取れない位のバカでかいギターとドラムの音もね!)。それにそれぞれの楽器が出す音の空間に余裕があったから、調整もしやすかったんだ。

The Ukrainiansのツアーも良かったな。なぜって1ヶ月の間、毎晩カレーが食べられたからさ。Town and Country Clubの時のThe Ukrainiansのライヴはダンサーもたくさん出て特別な夜だった。


Q. どの会場がお気に入りでしたか?

バーミンガムのHummingbirdが大好きだった(その他の“Mecca Ballrooms”系列の会場も。いつも良いサウンドが得られたからね)。あそこは世界でも指折りの大きなフロアでね…最初に僕らがライヴをやった時は最後にはそこの用心棒全員が腕を組んでミキシング・デスクを囲んでピョンピョン跳ねる連中がそれ以上近づけないようにしてね(いくつかの会場ではそのハコの「警備員」やら「無駄遣いもいいとこ」の会社から人を雇ってこの種の「囲い込み」をやらせるんだよ、わかるかな。)

その他のお気に入りを順不同で挙げると

・グラスゴーのBarrowlands(雰囲気が最高だから)
・フランス・トゥールーズのLe Jimmy(プールが外にあって、オーナーが旨い魚を揚げてくれたり、僕のお気に入りのフランス語のフレーズ“Ello oui?”って言って電話に出たりした)
・全部のBordeauxの会場(フランスの会場は僕にはどこもOKだったよ)

おそらく他にもあるけど思い出せないな(酔っぱらっていたからね)。


Q. レコーディング・セッションに参加した事はありますか?

特定のものはないけど、Oxford Circusの近くにあるAir Studiosで行われたセッションには行ったことがあるよ。僕が一緒にツアーに出ている時に何かラジオ局やTV局でのセッションがあれば見に行ってた。

ライヴのためのセッティングとスタジオ・レコーディングのためのセッティングは技術が全く異なるし大きな違いがあるよ。大体、僕はスタジオ・ワークには耐えられそうにないしね(逆にスタジオ・マンの多くはライヴのためのノウハウは持ってないだろうしね)。高いレベルで仕事をこなす為には完全に酔っぱらって誰よりも飲めなきゃいけない…まあこういうのは数ある技能の中でも一番容易いやつだけどね。


Q. スタジオ・レコーディングとライヴの場での経験の違いについてはどう考えていますか?

2つの全く別物だ。ライヴでは囁くような声から耳をつんざく様な音まで、ダイナミック・レンジを持たせなければならない。耳で聞くのと同じくらい、その音楽を感じなければならない。僕はいつもバス・ドラムの音に気を遣っていたから、そこにいたら胸で感じる事ができたと思うよ。自宅に高価なステレオでもない限りは、あんな効果は得られないはずさ。Lolapoloozaツアーの時に一度SuperchunkとCypress Hillを担当したんだけど、Cypress Hillはベースがあまりに効き過ぎてて眼球が震えるくらいだった…正確な調整もできないくらいにね!


Q. ツアーであなたが目撃した“度を超した”行為があったら教えて下さい(名前は伏せて頂いて結構です)。

本当のところ、よくある“セックス、ドラッグ&ロックンロール”的なものはそんなに無かったよ。デイヴィッドはそんなに呑む人じゃなかったから、彼がオシッコしに行く時にはいつも笑ったね。一度フランスのブルターニュでみんなヒドく酔っぱらってしまった事があって…ギグの後に会場で大勢の飲んだくれたフランス人と一緒に食事を摂っててね。そのフランス人の一人にワインにマスタードを混ぜたグラスを「これはイギリスの蜂蜜酒だよ」っていって勧めたら一気に飲み干して、その後吐き散らしちゃったんだ!サリー(・マーレル)はトイレで寝入ってて、隣の部屋に連れて行くのにその“水たまり”を越えていくのが大変だった。


Q. どのバンド・メンバーと一番仲が良かったのでしょう?

全員だよ。ポールとは彼がバンドに加入する前からの知り合いだったから、いつも悪ふざけをしたものさ。(ベースの)キース・グレゴリーは最初は取っつきにくいけど、知り合うと楽しい人だったね。(ドラムの)サイモン・スミスはよく笑う人。(初代ギターリストの)ピーター・ソロウカはまああんな感じだし、デイヴィッド・ゲッジとはあまり打ち解けられなかったけど、でも彼もよく僕らのお楽しみに加わったよ。


Q. いつの時代のラインナップがお気に入りですか?

(The Hit Parade時代の)スミス/ドリントン/グレゴリー/ゲッジは音楽への「シリアスな」取り組む方、(Bizarro〜Seamonsters期の)スミス/グレゴリー/ソロウカ/ゲッジはヒットするだけの価値があるインディー・ポップ・チューンを作っていたから好きだった。それ以降のラインナップにはそんなに愛着はない(ダレン・ベルクは楽しい奴だったけどね)…何だかただバンドを続けるために無理矢理やってた感じだったから。


Q. デイヴィッド・ゲッジについて、みんなが知らない秘密があったら教えてください。

よくサリー・マーレルの耳たぶを引っ張ってイライラさせてたよ。あと僕は彼に50ポンド借りてる(知ってる人はあまりいないけど、10年経った今も彼は共通の友達にその事を言ってるらしいけどね!)。


Q. ローディーの仕事から離れてTWPかCINERAMAを観たことはありますか?

Mike Stoutがサウンド・マンの仕事をやっていた時にTWPを見た。彼は僕が関わる以前にも担当しててね。でももう随分前の話だよ…95年か96年かな。野次り倒すつもりでCINERAMAのギグに行こうとは思うけど、暇がないものでね。


Q. かつて通信販売で売られていたオフィシャル・ブートレグ・シリーズのライヴ・カセットは後からリミックスされたものだったのですか?それともミキシング・デスクを通じてPAから出てくるそのままの音だったのですか?

デスクからの直録りだよ。オーヴァーダブはしてない。時々、デスクに余裕があれば、オーディエンスの方にマイクを向けて会場の雰囲気を少し加える意味でサウンドに混ぜた事もあったな。


Q. どのくらいのギグを記録してましたか?

出来る限り録ってた。


Q. DATのマスターはどうなっていますか?ベットの下にある未発表テープの山に幾らか積んで欲しいんじゃないですか?

Vox Magazineで働いていた時に機材のレビューのためにDATを借りるまでは、全部カセットに録っていたんだ。デイヴィッドがテープを全部保管していると思うけどね…僕のところにもあるかもしれないな。でも彼らが実際にリリースしたものの複製はしてないね。


Q. あなたのロフトにはTWP関係のお宝がありますか?

バックステージパスは沢山取って置いてある。いくつかシングルにThe Hit Paradeのボックス、僕らが週末をかけて描いた「Brassneck」の限定手描きスリーヴの一部とか。まだ他に何かあるか?って訊かれたって教えないよ!


Q. TWPでの仕事を離れてから、何をやっているんですか?

あまり稼げる仕事じゃなかったから、いつも別の仕事を持ってたし、第一にその低収入を補ってくれる「企業開設手当制度」のお世話になってた(日々の事業資金を融資してくれる唯一の制度だった)。

1991年にロンドンに移ってからはVox Magazine(Qマガジンに次ぐベスト・マガジンだ)の写真編集を始めたけど、数年後にツアー・マネージャーとサウンド・マンに集中するために辞めた。それからSuperchunk、Rocket from the Crypt、Drive Like Jehu、Unrest、Yo Le Tengoとも仕事をした。1998年にロックに疲れて、気が狂う前に普通の生活に戻った。

その後僕のヒーローの一人だったJah Wobbleがそうだった様に、London地下鉄で職を得て地下鉄の運転手になった。
{訳注:ジャー・ウォブルはP.I.L.を辞めた後、食えなかった時代に地下鉄の運転手をやっていた経歴がある。}
今では彼女、子供、定職、抵当、そして二重ガラスのある家もある。自分にしてみれば本来の目的は達成したと言えるね。僕の過去について他の人に訊いてみたら?きっと違う視点が得られるはずだよ。

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