INTERVIEWS

John Parkes :: I used to be mates with The Wedding Present
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 ジョン・パークス(パーキス)はTWP初期からローディーとして関わってきた他、BBC Sessionの際には3人目のギターリストとして参加する事もあった人物ですが、元々リーズ周辺では有名なミュージシャンであり、TWPのオリジナル・メンバーであるギターリストのPeter Solowkaと後にTWPに参加する事になるドラマーSimon SmithとはTWP加入以前にThe Chorusというバンドを組んでいた他、そのSimon Smithに加えウクレイニアン・フォーク・セッションにフィーチャーされたLen Ligginsらと共にThe Sinister Cleanersというバンドで活動していました。身近なスタッフだったからこそ語れる微笑ましいエピソードも楽しめます。 [last modified 14th July, 2005 : Japanese translation by YOSHI@TWP-CINERAMA /Special thanks to all the crew on Something and Nothing.]


Q. TWPと過ごした時間を5つの言葉で表現してください。

ストレスが溜まる、興味深い、クタクタになる、教育的な、それから…


Q. ローディーとしてはどんな役割を果たしていたんでしょうか?(例えばギター・テックに関して、とか)

たぶんギターの弦の交換が主な仕事だったね。1度のギグに弦のセット1ダースの半分も切るのが常だった(最高記録は12本かな?とかそういう気違い地味たこと)。僕はそれを張り替えて、チューニングして、またきちんと鳴るように準備しておいた。不測の事態に備えてスペアは用意しておくべきだと悟ったよ。(ライヴ中に)デイヴィッドの鼻をかませてやった事もあったな。まあそれは全然技術的な事はいらないけどね。


Q. The Ukrainiansでのローディー仕事はTWPでの仕事と比べてどうでした?

振り返ってみると、TWPのは仕事って感じじゃなかったんだよね。時にはフェスティヴァルのために気候の良い場所にブラブラと行ってみたり、時にはオフの日もあって、誰かが代わりに(ツアーバンを)運転してくれたり、とかね。まあでも、大半は11月の雨がそぼ降るイギリスの会場の周りでぶらついていたんだけどね。

ウクレイニアンズの場合は1日に18時間も働いた事もあったな。その事について本でも書いたら、なんて言われたよ!ずっとてんてこ舞い状態でね…まず朝最初にするのはグデングデンに酔っぱらった奴らのポケットに突っ込まれたメモを取りだして泊まるホテルの名前と住所を確認するために叩き起こすんだ。僕は彼らが眠っている間ずっと運転してて、彼らがメシを食ってる間に準備して、彼らが飲んだくれている間はずっとシラフでいなくちゃいけなかった。そんな奴らに1日に25ポンドは高過ぎねえか?なんて文句を言われたんだけどさ(時給1.50ポンドは当時でさえ、そんなに高くなかったんだよ)。以来、奴らと仕事をするのは断ったよ…彼らがその状況に気がついてくれたかどうかはわからないけどね。


Q. ギグで来られなかったメンバーの代役でステージに立ってくれないかとデイヴィッドに頼まれた時にはどんな風に感じました?

実際にはそんな事はなかったよ。もっとも、ほんのちょっとだけプレイした事はあったけどね。1989年の『Bizarro』ツアー終盤、セットの最後で(あとTV番組でも)The Penetrationのカヴァーの「Don't Dictate」{訳注:1990年のシングル“Brassneck”録音の為のセッションで録られたもので、オムニバス作品『Airspace II』に提供。現在は1999年発表の編集盤『Singles 1989-1991』に収録}をプレイして、その時はデイヴィッドは何もする事が無かったんだ。ジョン・ピール・セッションでも何度か演奏したけど、そんな場合でも何曲かTWPの曲を覚えてきてくれとか言われた事も無かったのは嬉しかったな。まあ言われてもやったかどうかはわからないけどね。


Q. TWP / Cineramaでのお気に入りの曲はなんですか?

僕は“ポップ期”のTWPが好きなんだ。だから"Nobody's Twisting Your Arm"とかあの時代のシングルの曲だね。その“ポップ期”はメンバーにとっては(ベースのキース・グレゴリー、あと特に思い出すのはドラマーのサイモン・スミスかな)ちょっと悔いのある、クールじゃない時代みたいだけどね。でもあの頃、だんだんとバンドが良くなりつつある感じだったと思う。{訳注:ここでジョンが言う“ポップ期”とはその"Nobody's Twisting Your Arm"と"Why Are You Being So Reasonable Now?"という明快なポップさを打ち出した2枚のEPが録音/発表された1987年末から1988年までの時期を指しているのではないかと思われる。}


Q. TWPでどこのライヴが一番心に残っていますか?

唯一思い出すのは大観衆の前で数分間、ピートのアンプが完全に止まってしまったレディング・フェスティヴァルだな。代わりに持ってきていたアンプにプラグを突っ込んで事なきを得たんだけどね。TWPはとてもライヴに集中していたけど、ステージの袖ではまた違った次元の事が起こっていたんだ。


Q. どの会場がお気に入りですか/でしたか?

正直に言うと、特定の会場での思い出はほとんどないんだけど、断片的にはあるよ。テキサスのどこだったか、バンドのFirehoseが大家族ご一行様と一緒に巨大なキャンプ・カーで現れて、駐車場でバーベキューの準備を始めた時とか…あとThe Doorsの映画のためにお色直しがされていたL.A.のWhiskey (a Go-Go)、Bradford 大学でバンドの知り合いじゃないお客を獲得し始めたのが分かった時(極々初期の話だよ…僕の知らないWeddoesTシャツを着た連中が5人やってきて、それとは別に4〜50人くらい。これは何かが起こり始めたなって思ったよ)。NewcastleのMayfairではBuck Rogersの面白いグッズもあった。
{訳注:Buck Rogersは有名なSFシリーズ。正確には「Buck Rogers in the 25th Century」。1928年にコミックで初登場し、その後ラジオドラマやアニメ映画、1950年代には白黒のTVシリーズも制作されたが、79年から81年にかけて米NBC局で放映されたTVシリーズが最もポピュラー。}


Q. ツアーであなたが目撃した“度を超した”行為があったら教えて下さい(名前は伏せて頂いて結構です)。

TWPはよくあるロックンロール・バンド的なものじゃ「全くといっていいほど」無かった。ドラッグもやらないし(僕が見た限りでは)過剰なセックスもないし、暴力沙汰も。どんなに夜遅くなってもね。ただ後から考えてみんなが言うのは、ギターリストのピーター・ソロウカがTWPでの時間に終わりを迎えようとしていた時期でさえも全く荒れる事が無かったというのが逆に恐ろしかった、ということだね。


Q. 他にツアーでのおかしな逸話はありませんか?

無いんだ。ホントに覚えてない。デイヴィッドのせいでトイレが壊れたのは見逃してしまったしね。


Q. どのバンド・メンバーと一番仲が良かったのでしょう?

一緒にバンドをやっていた連中の為に仕事をするのは奇妙なものでね(ピーター・ソロウカとサイモン・スミスは一緒にThe Chorusというバンドをやっていたし、サイモンとはThe Sinister Cleanersも一緒にやっていた…一度ベーシストを探していた時にキース・グレゴリーには断られたんだよね。「僕は上手じゃないし、それにThe Fallが好きだからね」だって!)。だから、僕の事を仲間と思ってくれていたのか、それとも単なる従業員と思ってくれていたのかは分からないんだ。時にそういう状況が僕らをちょっとだけぎこちない関係にしている。(バンドの経理を担当していた)ピートとはお金の話をしなくてはいけなかったから難しかった…彼は本来ならお金を受け取らなくてはいけない、と思う人が相手であっても「今は払えない」という巧妙な口実をいくつも用意してるんだ。デイヴィッドとは一番付き合いが浅くて、時折インタビューとか何とかしたくらいで、仲が良かったのはキースとサイモンという事になるかな。ポール・ドリントンとも良好な関係だったけど、彼が加入した頃にはほとんど彼らのための仕事はしてなかったからね。


Q. 彼らの中の誰かとはまだ連絡を?

1、2年前だったか、デイヴィッドとはTWPの古い機材を売りに出そうとした時に連絡を取りあったよ。彼はあのアクースティック・ギターも売りに出してたのかなあ?あれは何年か前に50ポンドで買ってきてあげたもので、ほんの前に初期のシングルのプロモーション・ヴィデオで使われた紙テープがあのギターの中から出てきたんだ。結局彼は売らなかったし、(新生TWPの)ギグの為の準備も始めていたから、あまり長い会話は交わさなかった。
ポールとはつい最近町中でバッタリ会ったけど、僕自身は良い友達でいられたと思っていたキースとは彼がオーストラリアに引っ越してしまってからは疎遠になっている。サイモンとは僕がソロ作を作っている時にドラマー探しに奔走している時に会った。また最近The Sinister Cleanersが“再結成”したからそこでも会っているし、何度かリハーサルして、カレーも食べたよ。


Q. デイヴィッド・ゲッジについて、みんなが知らない秘密があったら教えてください。

奇妙に聞こえるだろうけど、デイヴィッドは未だに僕にとって少しミステリアスな人なんだ。僕らは良い関係だけど、彼のいるところで完全にリラックスした状態でいられた事が無い(彼もそうかもしれないけどね)。これは彼への競争心から来るものだと思っていて(僕も歌を歌って曲も書くから)、彼も僕から何か見透かされないように慎重でね。まあ、これはあくまで僕の妄想だけども。あと、彼はチョコレート・プディングが好きで(良い趣向だね)、クリケットのスコアに興味がある(これは悪趣味だな)。


Q. ローディーの仕事から離れてTWPかCINERAMAを観たことはありますか?

ない。


Q. TWPでの仕事を離れてから、何をやっているんですか?

“尊敬はされている”けどあまり成功はしていないバンド。僕はTWPでの仕事をしている頃にGreenhouseというバンドを結成して、その後Fuzzbird で活動していた。Greenhouseは何度かTWPの前座をやって、それは良かったんけど、一方でGreenhouseがステージを降りたら僕は引き続きローディー仕事をやらなくちゃいけなかったから大変だったな。今はWhole Sky Monitorというバンドをやっていて、最近アルバムが出たばかりだ。僕らは(キースとサイモンが参加している)Cha Cha CohenのアルバムとLouiseを録音した事がある友達のMatt Ellisとレコーディングを行っている。それとキースのアドヴァイスもあって、アクースティック・ギターでのソロ活動もやっていて、イギリス北部のあちこちでアクースティック・ライヴの催しがある所でステージに上がっているよ。もうすぐ初のソロ・アルバムも旧知の仲でウクレイニアンズをやっているThe Legendary Len(=Len Liggins)のレーベルAAZ Recordsから出る(www.johnparkes.comも完成次第オープン予定)。ここ何年かはフルタイムで仕事(ちなみに、あまりお薦めできない仕事だけど)を持っていたけど、それももうすぐ辞めるつもりだよ。


Q. TWPのためにローディー仕事をするのと、自分自身のバンドでプレイするのとではどちらが好きですか?

TWPでの仕事のいくつかは本当に楽しんだけどね…アメリカ縦断のドライヴとかオフの日に自由の女神を見に行った事とか。でもやっぱり自分のバンドにいる事に勝るものはないね。これだけは言わせて欲しいんだけど、TWPでの仕事で栄光に浴した事はそんなになかったし、誰一人としてセックスやドラッグ、ヴェルターズ・オリジナルのキャンディーさえ勧めなかったんだ(まあこれは僕自身のバンドじゃないからって思い直したけど)。ある時Inspiral Carpetsのローディーをやってくれないかって頼まれた事もあったんだけど、もしあの提案を受けていたらきっと面白かっただろうね。まあ僕の代わりに彼らは太い眉毛の男を雇ったみたいだけどね…。
{訳注:この“太い眉毛の男”とは皆様ご存知世界的なロック・バンドOasisのギターリスト/メイン・ソングライターであるあの方。Oasisでデビューする前はInspiral Carpetsのローディーとして働いていた。}


Q.
今でもBBC Radio 1に爆弾(Firebomb)を落としたいですか?それとももう今ではZane LoweとDJ Spoony{訳注:現在のRadio1で番組を持っているDJの名前。前者はロック系、後者はダンス系。}の番組の熱心なリスナーだとでも???

僕は最近じゃRadio 2の方を支持しているファンだけど、僕が自分のレーベルにFirebomb Radio One{訳注:現在はFirebomb Radio Recordsに改名}って名付けたのはまだThe Hairy CornflakeとOur Tune{訳注:いずれも80年代に人気を博したRadio 1のポップ・プログラム}が人気の時代だったからね。今はBBCも政府からひどい目に遭わされているわけで、それによってどれだけ良くなるかがわかるよ。
{訳注:もしかしたらこれはBBCが2003年5月に起こした不祥事に端を発した現状を指しているのかもしれない。同局がイギリス政府が2002年9月に発表した先のイラク戦争に関する政府報告書に「イラクの脅威(大量破壊兵器の存在etc..)を伝える情報を誤りであると分かっていながら記載した」と報じた事に政府が猛反発し対立。その後情報源だった国防省の役人が自殺したり大変なスキャンダルとなり、2004年1月にはその自殺の真相を探る調査委員会でBBCサイドのチェック・ミスが原因とその非が一方的に認められ、時の会長と社長だったグレッグ・ダイク氏が辞任する騒ぎとなった。ただ、その後真相が明らかになっていく中で、政府がやはりその“脅威”とやらを誇張していた事がわかり、国民はBBCの報道を支持する所となった。報道の不偏性と正確性を貫くBBCとそれを時に好ましいと思わない政府の対立はこれに始まったものではない。このページを見ればその対立の根深さが分かるだろう。もっとも、かつてBBC Radio 1も湾岸戦争の時には歌詞や曲名に差し障りのある曲をリスト化してまとめて放送禁止にするような愚かしい行為もやらかしているのだが。}

John Peelが亡くなった事には未だに大きな喪失感を味わっているし、同じ様な番組はもう聴けないよ。もし誰かがラジオ局を爆撃しようっていうんならプレイリストの中で同じ曲を5回もかけて“人口統計学を調べている”とかなんとか抜かす様な民間放送局のチェーンを狙うべきだね。どこかパンク・ロックをかけている局はないのかな?

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